エピローグ:義眼職人と、その用心棒

 ある日の朝、オルクシャール州のとある屋敷の、カーテンの閉め切られた薄暗い応接室の中で、わずかな蝋燭の光が三つの人影を浮かび上がらせていた。

「あなたのご報告通りでしたわ、レフトン卿」

その女は怜悧な顔面に微笑みを張り付けたまま、心臓を氷柱で貫くような声色でそう言った。

「え、ええ……勿論ですとも……フレーダー殿……」

 その対面に腰を据えた紳士――レフトン侯爵は、落ち着かない様子で口髭をいじくりまわしていた。自分の屋敷だというのに、随分と縮こまっている。

「横領に、収賄に、おまけに阿片の違法栽培……戦後の混乱に応じて随分と大胆なものでしたわ。まったく、困ったお方……」

「それで……首尾の方は……」

「まあ! ご心配なさらないでください」

 客として出されたカップを持ち上げると、エリザベート・フレーダーは家主よりも落ち着き払った様子で紅茶に口を付けた。

 レフトン侯爵とて、貴族の監視役たる彼女の『仕事』の首尾に疑いなど持ってはない。会話に困ってつい口をついたまでのことだ。

 エリザベートの手袋と、そして彼女の後ろに控える無言の従者の服にべったりとついた青い血痕を見れば、彼女たちが何をしてきたのかは明白だった。

「卿から中央への通報をいただいて、オルクシャールへ居を移してからおよそ三年……ブレンダン伯爵の数々の不正の証拠を掴むのには少し時間がかかりましたが、『処置』は今しがた済んだところです」

 そこで、エリザベートは己が手についた血に気が付いたらしい。

「あら、気になりますか……ふふ……わたくしも現場主義なものでして。ブレンダン卿も抵抗するものですから、わたくしたちとしても不可抗力でしたの、ねえ?」

「お召し物を汚してしまい、申し訳ございません」

 血みどろの従者が機械的にそう返答したのに対して、エリザベートは再びくすくすと笑った。

「いいのよ。次はもっと上手になさってね」

 カップを置き、エリザベートは意味ありげにその左手の薬指の先を愛おしそうに摩った。

 そのやり取りにレフトン侯爵が閉口していると、エリザベートは我に返ったようにその目を彼に向けた。

「さておき、卿の通報の甲斐もあり、この地の秩序も保たれたわけですから、中央における卿の『点数』についてもご心配には及びませんことよ」

「点数だなんて、私はそのようなつもりでは……」

「…………」

 ただ微笑むばかりのエリザベートにすべてを見透かされたような気持ちになり、レフトン卿はまた口を噤んだ。

「それに、卿の望むラングトン市長の座も、卿の想定よりも簡単に手に入りそうですわね」

「それは……例の『歌姫襲撃事件』のことかね?」

「ええ、わたくしとしては『部品泥棒事件』としたいところですが」

「ぶ、部品泥棒?」

「ええ、お噂は聞いたことがあるでしょう? 美女の体を盗むとか……」

 無論、レフトン伯爵とてその怪人の噂は聞いたことがあるが、それが歌姫の件とどのような関係があるのかは検討もつかなかった。

「ふふ……迷い子たちが入り組んだ道の先でぶつかり、そして終着点を迎える……その幕切れとして、今回の事件は大変美しいものだと思いますの」

 再び自分の薬指を撫でながらそう言ってから、エリザベートは唐突に席を立った。

「長話が過ぎましたね。素敵なお屋敷を血で汚してはいけませんから、これにてお暇させていただきますわ」

 慌てて立ち上がったレフトン卿に対して、エリザベートはその口元とは対照的にまったく笑っていない目を向けたまま、

「ラングトン市長だけではなく、首相の座も狙っておられるのでしたら……卿も『品行方正』でいらしてくださいまし」

 と言い残した。

 彼女が去った後も、レフトン伯爵はしばらく暗い部屋に立ったままだった。


 同日、フリンジャー家の娘は、義眼を二つ手に掲げたまま父親の部屋に駆け込んだ。

 娘のその様子に腰を抜かしかけた父だったが、彼女の『目』を見た父は、家に訪れた突然の不幸が、これもまた突然に立ち去ったことを知ったのだった。


 その頃、ロングマン氏は新聞を取りにポストへ足を運んだ時、その中に見慣れない封筒が入っていることに気が付いた。

 恐る恐る開けて見れば、そこには息を飲むような額の札束が詰め込まれていた。

 汚い字で〈ピースメーカー保険調査〉と書き殴られた封筒を眺めながら、ロングマン氏はしばらくの間ポストの前に立ち尽くしていた。


 また同日、閉院したナイスフェロー邸で新聞を読んでいたジェイコブ氏は、家政婦から手紙を手渡された。

 小さな封筒ながらやけに重たいそれを開くと、中から金属性のなにかが転がりだした。

 それは、メスの柄だった。

 封筒には便箋も入っておらず、差出人の記載もなかったが、ジェイコブ氏には必要なかった。

 彼は静かにメスの柄を自らのガウンのポケットにしまい込むと、新たに貧民街の近くに開業する予定の医院の計画を進めるべく、いそいそと書斎へ向かった。


 エレノアとその妹のアンナは、その日の早朝にラングトンを発つ馬車に乗っていた。貸し切り馬車はこじんまりしたものだが、二人の荷物はごく少ないものだったからさほど問題にはならなかった。

「ごめんね、お姉ちゃん。わたしのせいで……」

「何を言っているのよ。アンナのせいじゃないわ」

 石畳の上で小刻みに揺れる馬車の中で、エレノアは新聞を広げていた。

「もともと、ラングトンは私たちなんかに住みこなせる町じゃなかったのよ……戦後で今はどこも人手不足だし、どこへ行ったって働き口はあるわ」

「うん……」

 まだラングトンの大通りを走っている馬車の窓から、アンナは町の様子を眺めていた。

「全然、人が歩いてないね」

「しょうがないじゃない。歌姫が襲われたのよ?」

 エレノアが手にした新聞の一面には、でかでかと『歌姫襲撃! スノウ=ホワイトは一命をとりとめたものの、下手人は依然不明』の見出しが躍る。

「犯人も見つかっていないみたいだし、みんな怖がって家を出ないのも当然よ。駆けずり回っているのは新聞記者と政治家だけ」

「政治家が?」

「ええ、世界規模の要人が公演中に堂々と襲われたんだもの、国際的な信用に関わるわよ。戦後で各国の関係もまだぴりぴりしてるっていうのに、その橋渡しをしていたスノウ=ホワイトが襲われたという事実は重いわ」

 新聞記事の内容をエレノアがそんな風に整理していると、アンナは「あ……」と声を上げた。

「どうしたの?」

「花売りの女の子がいる。今日は売れないだろうな」

「……孤児院の子かしら」

 エレノアは新聞を畳んだ。

 これから新しい門出だというのに、暗い話題ばかりなのも気分が悪かった。

「戦後間もない頃と比べると、孤児も減ったわね」

「わたしの職場にも、孤児院で育った子がいたの。そういえば、スノウ=ホワイトの基金で出来たところだったかな」

「へえ、そうなの」

 姉妹は、特にそれ以上町の様子に言及することなく、その代わりに華やかな大通りの向こう側、ひっそりと建っているであろう孤児院に思いを馳せた。

『歌姫スノウ=ホワイト』の復帰ではなく、彼女本人の無事を心から祈っているのは、政治家でも、金持ちの貴族でもなく、きっと孤児院の子供たちだけだろうと、二人は考えた。


 そして、また同じ日――



 大小さまざまな行李を抱えた小柄な少女が、ラングトンのセントラルステーションで列車を待っていた。

 よく晴れた日だったから、彼女は暖かい日差しの中で小さく欠伸をした。

 のんびりとした顔をしていた彼女だが、すぐ隣に長身の男が並ぶとビクリとしてその顔を見上げた。

 所々ほつれたチェスターコートに、くたびれたハンチング帽。

「指名手配犯がこんなに堂々と駅に現れてもいいのかい?」

「堂々としているほうが見つからないもんさ。結局、歌姫襲撃犯は目撃者が少なすぎて手がかりもつかめていないらしいしな」

「……君もこの町を出るのかい?」

「ラングトンの裏社会は部品泥棒のせいでめちゃめちゃだ。巻き込まれるのはごめんだぜ。それに、警察どもはまだ歌姫襲撃犯の捜索を諦めちゃいねえ」

「行く当てはあるのかい?」

 イルミナがそう尋ねると、ヴィンセントは「あー……」と、煮え切らない顔で口を閉じたり開いたりした。

「その話なんだが……あんた、用心棒を雇う予定はねえか?」

「え? それって……」

「事情があって、山ほど持ってた金が消えちまった。鐚銭、身に付かずってな……見たところ、大海原に泥船で漕ぎ出そうとしている無謀な女がいたから声をかけやったわけだ」

「大したお給料はだせないよ」

「なら、片手間に守ってやるまでだ」

 イルミナは我慢できず吹き出した。初めて、この男にも可愛げあるのだと感じた。

「ちょうど、猫の手も借りたかったところだよ。是非ともお願いしたいところだね」

「交渉成立だな」

 そのとき、重々しい音を立てて列車が滑り込んできた。

「で、どこへ向かうつもりなんだ?」

「ノーリッチ方面さ。あそこも大都市だから、珍しい義眼の話が流れ着いているかもしれない」

 そう答えると、ヴィンセントは少し黙ってから、

「……難儀な旅になるぜ、義眼職人」

 と言った。

「百も承知さ。凄腕の用心棒がいれば、案外簡単かもしれないし」

「……あんたの荷物、一つ持ってやるよ」

「本当かい? 助かるよ」

 イルミナが答えるや否や、大男は最も小さな行李をひょいと掴んでさっさと列車に乗り込んでいってしまった。

大きな行李と共にホームに取り残されたイルミナは呆然とした表情でしばらくそこに立っていたが、やがて小さなため息とともに行李を抱え上げた。

列車の扉をくぐる彼女の表情には、微かな笑みがあった。

ブザーが鳴って、列車の扉は閉められる。

緩やかに進みだした列車は、およそ二時間でノーリッチに到着する予定だ。

 素晴らしい加速度で走り去る列車は、やがてラングトンの喧騒を置き去りにしていった。

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