第40話 混沌を望む者 その2

 重い沈黙があった。チェルシーと言う転生者はリズベットとユーフィリアに新たな視点をもたらし、彼女自身の善良性もあって心強い味方であった。だがもしもその異端の知識を持つ転生者と敵対した時、二人が感じている心強さがそのまま凶悪さに変わる。

 特にユーフィリアはチェルシーから国を亡ぼす程の兵器について聞いていた。故に転生者が敵としている可能性なんて考えたくもない。

 それに転生者が厄介なのはその知恵だけじゃない。チェルシーの場合はたまたま伯爵家であったが、別に貴族と限定されているとは限らないし、転生ではなく直接この世界にやってきた異世界人というケースもある。

 ここまで来ると国民全てが疑わしいわけで、それを調べるのは途方もない事である。

「過ぎた力は身を亡ぼすとは言いますが、何故この世界は別の世界の知恵を持つ者を引き寄せるのでしょうか」

 チェルシーはずっと己が疑問に思っていた事を口にした。転生人は諸刃の剣だ。

 例えばタチバナリツカ、彼女はフローディア国に農耕に適した土を与え、多大な発展をもたらした。それ自体は国の危機を救った素晴らしい功績である。

 だが一方で過程を経ずに完成品を先に得てしまった影響は大きく、理屈を理解していないため、自分から土を作り出すという事が出来なくなり、タチバナリツカ亡き後では農地が増える事がなかった。

 彼女が当時のフローディア人に土の製法まで教えなかったのは、後にその歪さに気づいたからであろう。タチバナリツカが来ていなかったら、そもそもフローディア国は生まれていなかったし、間違いだったとは口が裂けても言えない。

 だがもしタチバナリツカが後先考えずに突き進んでしまった場合、彼女の生み出す混沌はどれ程の物だったろうか。その事を考えると転生人と言う存在はあまりにも危険であった。だが二人は動じない。

「何か理由があるのかもしれないけれど、今の私達には調べようもない事ね。でもねチェルシー、これだけは言えるわ。私はあなたの事を好ましく思っている」

「ええ、あなたは前にも私に転生人の危険性を話してくれましたね。普通であれば自分を守るためにも転生人という存在を良く語るべきなのに。そんなあなただからこそ私は信用出来るのです」

 リズベットもユーフィリアも、チェルシーが強い責任感を持つ人間だと知っていた。そんな彼女が転生人として圧倒的な知恵を持つにもかかわらず、私利私欲に走らずにフローディア国のために尽くしてくれている事も。

「……ありがとうございます」

 二人にお礼を言うチェルシーの瞳にはうっすら涙が浮かんでいた。ユーフィリアは早速転生人というファクターを己の推理の中に組み込む。

「転生人が黒幕かもしれないという考えは盲点でした。聖女の件も考えれば異世界の知識を持つ人は二人いるのですものね、三人目がいないとは限りません。しかしながら、転生人と断定するのは危険極まりないとは思いますが……」

「それはもちろんだけれども、ユーフィリアは何か思うところがあるみたいね?」

「ええ、私だって何も闇雲に貴族を当たっていたわけじゃありません。黒幕の目的を考えたら貴族が一番ありえそうだったんです。何せその謎の人物の望みはフローディア国の滅亡ではなく、フローディア国とグレイシア国を戦争させる事のようですからね。国家の転覆とかじゃないんですよ」

 これまでずっと追ってきた黒幕の真意について、ユーフィリア自身辿り着いた結論、


 それは……


「私はフローディア国にグレイシア国を滅ぼして欲しい、そんなように思えました」


 実に奇怪な答えにリズベットとチェルシーは顔をしかめる。『○○が何をする』だけではなく、『○○が』こそが、『誰が』それを行うかこそが重要。感じ取れるのは強い妄執、こうあらなければならないというその者にとっての絶対な真理。

「リズベットが狙われたのは当時からグレイシア人であるパルフェさんとの付き合いがあったため。あなたが王妃になったら、グレイシア国との友好を結びそうと思われたのだと思います。一方で私が狙われたのは暗殺する事によってグレイシア人に罪を擦り付け、戦争を引き起こすため」

「……筋は通るわね」

「犯人は私の暗殺を目論みましたが、フローディア国の事は愛しているのだと思います」

「愛……ユーフィリアは洒落ているわねぇ」

 呆れと関心が半々に交じった顔でリズベットは苦笑した。その裏には怒りも滲んでいたが。フローディア国を愛するが故にシュタイン家が滅んだと言われても、リズベットとしては認められるわけがない。

「でも言い得て妙だと思います」

 チェルシーの前世では妄執は日常であった。インターネットの世界とは数多くの妄執が存在する。彼女は当たり前のようにそんな妄執に触れていた。ネットの世界で楽しむための必要経費として。


 好きだからこそこうなってほしい、

 自分の好きな事だからこそ回りも好きになるべきだ、


 今の黒幕の思いの深さとは比べ物にならないかもしれないが、結局は程度の問題で根っこの部分は同じだ。好きだからこそ、愛しているからこそ、人は狂う。

 有名な言葉で言うと好きの反対は嫌いではなく無関心。強い興味が力の源で、好き嫌いはただのベクトルの問題、好きは容易く嫌いに反転する。

「フローディア国に対しての強い思い。そしてグレイシア国を滅ぼすべきという深い恨み。そのような感情を持てる者と言えば、おそらく過去の戦争を引きずっている者……」

「すなわち建国当時から歴史のある者達、貴族って考えたわけね」

「ええ、動機の面ではグレイシア国と因縁のある古くからの貴族達の方がしっくり来るんです。結果は全て白だったわけですが……」

 ユーフィリアの顔には強い落胆があった。同じ国を支える仲間であるはずのフローディア国の貴族の中から、裏切者探しをするのは苦痛以外の何物でもなかった。覚悟を決めてやったのに空振りに終わった虚しさをユーフィリアは思い出す。

 なお税金の横領とか、爵位をめぐっての後継者争い等、領単位の問題はそれなりに見つかったため、本命は空振りでも引き締めとしての効果はあったのを追記しておく。

「黒幕がフローディア国とグレイシア国以外、第三国の間者と考えてみたら戦争を引き起こさせて弱体化させる動きはあってもおかしくないけれど、そこのところはユーフィリアはどう考えているの?」

「ミリシアン国はそもそもどことも交流しない国なのではっきりとは分かりませんが、当時のグランナハ国は王が代替わりした時期で内政に手一杯だったはずです。またもしもグランナハが黒幕であるのなら、後に弱ったフローディア国を攻めるために軍備を進めておかなければなりません。しかし実際はそうした動きは今に至るまで見られていません」

「確かに戦争の準備はどうしたって大規模になるし、隠し通せるものじゃないわよね」

 リズベットは五年間軟禁状態にあったので、外の国の情報には正直疎い。リズベットとしても他国の介入の可能性は低いだろうと見ていたが、それでもユーフィリアに聞いたのは己の空白を埋めるためのものであった。

「後、私が気になったのは貴族にしてはやり口が中途半端だなって事です。あれだけ強力な暗示です。私を殺す事が目的であるのならアシュリーのような可憐な子ではなくもっと屈強な者、かつ私から信頼がある者、例えばライネルでしょうか? 彼に接触して暗示をかける事さえ出来れば私の命はとっくになかったかもしれません。暗示にかけられた事に気づいたとしても、暗示によって本気で殺しに来るライネルを止めるのは容易ではありません。コネのない彼は己の実力によって騎士団長まで上り詰めたほどの猛者なのですから」

「ぞっとしない話ね。そんなおじ様は見たくないわ。でも現実としてそれが成されていないという事は黒幕はユーフィリアの周囲の人間を把握していなかった事になるし、ユーフィリアに近づくためには偽聖女事件を起こすしかなかったとなるわ。貴族とは意図的に接触できない者達、それはすなわち……」

「そこで平民と断定出来ればいいのですけれど、そもそも平民が暗示なんて強力な力をそう簡単に得る事が出来るのかしら? いえ、あえてこう言い換えた方が良いでしょう。どうして暗示の存在を知る事が出来たのか、です」

 フローディア国は魅了持ちの女に国を脅かされた過去の経験から、王族やその親族、国の根幹をなす重要なポストについている者達は、暗示について学び、その傾向、対策をも学ぶのが必須となっていた。

 だがその一方で平民に暗示について教えるのは禁止となっている。これはもちろん悪用を防ぐためである。暗示を対策するためには暗示のかけ方も知らなければいけないのだから。防ぐつもりが広げてましたとなったら本末転倒である。

 故にフローディア国内で普通の平民が暗示を知る事は普通ではありえない。

「ここで転生人説が刺さりそうなのだけれど、暗示のようなものはチェルシーの知恵袋には含まれるのかしら?」

「知恵袋って……まあいいですけど。うーん、それこそアシュリーさんがされたような、とある状況下で発動するとか条件付けが出来て、かつ本人の意思まで封じ込める程の暗示なんてのは聞いた事ありません。ただですよ? 一般向けの娯楽小説などでは魔法や呪いで操られた人ってのは良く出てくるので、現実にはなくとも物語ではよくあるという感じなんですよね」

「前も聞いていて思ったけど、あなたの世界の小説って一体どうなってるの? なんか奇抜過ぎない?」

「一言で言ってしまうと何でもありって感じですか。娯楽に飢えている世界ですので。現実にない物も何か生み出しちゃうんですよ。空の星からやってきた宇宙人とか」

「……何というか、凄い想像力ね。脱帽だわ」

 リズベットは空の星に別の生き物が住んでいるとは考えた事もなかった。

「要約すると暗示をかける事は出来ないけれど、暗示の存在は知っているって感じなのかしら?」

「そうですね。その可能性は高いと思います」

 黒でもなく白でもなくグレーという結果にリズベットは深いため息をつく。

「はあ、情報を精査するつもりが余計ややこやしくなってしまったわね。転生人がグレイシア人を恨むのはピンとこないのもあるし。フローディア国ならまだ分かるのだけれど」

 転生した国がフローディア国なら、一番接するのはフローディア人である事は間違いなく、だからこそフローディア人に対して恨みを持つ可能性も高くなるわけで。個人としてグレイシア人と因縁を持つ事はあるかもしれないが、グレイシア国を恨むなんて可能性はないに等しい。今は戦時ではないのだから。

「王妃として認めたくはありませんが、我がフローディア国は全ての貧民の方々を救えているわけじゃありません。こう言っては何ですが、フローディア国の方を恨んでくれていた方がむしろ目途が立って良かったのですが……」

「フローディア国に住んでいて、グレイシア国を恨むなんてよっぽどの事よね。ユーフィリアの事だから王都にいるグレイシア人の確認はとっくの昔に済んでいるんでしょ?」

「ええ、もちろん。グレイシア国の諜報員を知るついでに調べました。結果はこの場で今議論している状況から分かりきっていると思いますけど、こちらも白ですね」

「うーん、色んな方向から話し合ってみても、結局どこかで壁にぶつかるわね」

 一方を立てればもう一方が立たない。現状で分かるのはこの辺が限度だと悟ったリズベットは一度頭をリセットし、黒幕の事で分かっている事のみを抽出する。

「過去の恨みに捕らわれた姿なき者、か。まるで亡霊みたいね」

「亡霊……まさしくそうですね」

「私が必ず見つけてやるわ。過去に未来をつぶされるわけにはいかないのだから」

 より良き未来を見据えるリズベットの意志は固かった。

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