第17話 聖女フローディア

「とりあえずタチバナリツカさんがこの世界にやってきた経緯なんですが、召喚ってのは嘘で、気づいたらこの世界に迷い込んでいたっていうのが真相のようです。それでフローディア国の前身となる者達に保護されたとか」

「フフ、最初からこれって。聖女の召喚は意図されたものではなかったのね」

 真っ先に伝説と違う事が書かれていて、リズベットは思わず笑ってしまった。

「後になってより映えるように脚色されるのはよくある話ですから。どっかの初代王は竜を倒したーとか、神の血をひいているとか、海が割れたーとか」

「それはいくらなんでも話盛りすぎな気がするけど、言わんとしている事は分かるわ」

 国を治めるのに重要なのは王の正当性である。何を持って王とするかというのは実に難しい話で、神話や伝説に紐づけるのは定石だ。

「リツカさんがこの世界にやってきた頃は、国と呼べるだけのまとまりはなく、一方でグレイシア国はこの時代でも存在していたとか。当時のフローディア国になる前の彼ら、んー、国名がないと呼びにくいですね。以後、彼らの事をリーダー格だったらしいジェラルドさんの名で呼びますね」

「了解したわ」

「当時にジェラルドさん達は貧しくて力も弱く、グレイシア国から搾取される関係にあったようですね。そのような中であっても彼らは、リツカさんに対しては献身的に世話をされていたとか。フローディアの名はその時にもらったようですね」

「タチバナリツカのままじゃダメだったのかしら?」

「咄嗟に記憶喪失を装ったみたいです」

「それはどうして?」

「この世界があまりにも元とは違っていたので、パニックに陥っていたそうです」

「急に違う世界なんてなったらそうもなるか」

「後にこそジェラルドさんが良い人だと分かりましたが、最初リツカさんにとっては得体のしれない異国の人だったわけで……私、転生人で良かったです」

 チェルシーは心の底からそう思った。チェルシーは自分を守ってくれる両親がいたし、その体も元の物とは違う。そんなチェルシーは色々悩んだわけで、タチバナリツカのように己の身一つでいきなり異世界に放り出されなんてしたら、たまったもんじゃない。

「聖女がジェラルドと出会えたのは幸運だったのね。そして彼女は彼らの善意に応えるため、知恵を授けた。そういう流れかしら?」

「そのようです。タチバナリツカさんは植物学、作物栽培学で博士号を持つガチの人だったらしくて」

「ハクシゴウ? ガチ?」

 聞き慣れない言葉にリズベットは首をかしげる。

「ああ、すみません。博士号ってのは熱心な専門家に与えられる位と思っていただければ。ガチってのは本気って意味です。この場合真剣に学んでいた人みたいな感じですね」

「なるほど。作物の育成の第一人者みたいな感じだったのね」

「そう思ってもらっても構わないです。それほどの知識があるからこそ、異国の地で作物が育つ土を作り上げる事が出来たんですね。こうして十分な食料を得る術を覚えたジェラルドさん達は徐々にまとまり、国っぽい形が生まれてきた」

「でもそうなると……」

 リズベットの懸念にチェルシーは頷いた。

「グレイシア国が黙っていませんよね。案の定戦いになったそうです。でも結果はジェラルドさん達の勝利。圧勝に近かったと書かれています」

「それは一体なぜ? グレイシア人の力は私達よりはるかに優れているし、いくら食糧事情が安定したからと言って、簡単に勝てるとは思えないわ」

「それがそうでもないんですよ。いくら強かろうが満足な食事がないとその力は半減します。それに戦いは攻める方が難しいんです。防衛する方と違って、戦うために必要なものを全て持ち込まなければならないのですから」

「単純に労力が倍になるのね」

「毎日満腹になるまで食べて100%の力を出せるジェラルドさん達と、最初こそ万全でも安定した食料供給のないグレイシア人では、長引けば長引くほど力が出せなくなっていき、じり貧になっていったのでしょう。私とリツカさんの元の国のことわざにこんなのがあります。腹が減っては戦が出来ぬ」

「グレイシア国は狩りや釣りによって食料を確保していたはず。しかし戦争中にそれらをやる余裕はなかったって事ね」

「塩で保存食にする方法もあるのですが、この時代ではまだやっていなかったようですね。とまあこのような経緯でジェラルドさん達は、攻めてきたグレイシア達を追い払い、その勢いのまま正式に国を建国した。これが後のフローディア国になります。勝利に沸いたジェラルドさん達でしたが、一方でリツカさんはショックを受けたようです」

「それはひょっとして……」

 リズベットはチェルシーの言った事を思い返す。異世界人は自分の持ってきた知恵が、世界の秩序を乱す事をひどく嫌うと。リズベットの問いに対し、チェルシーは頷いて見せた。

「リツカさんは皆が満足に食べ物を食べられる事のみを望んでいました。だからそれがグレイシア国の妬みを生み、ましてや戦争にまで発展するとは思っていなかったんです。さらに言えば十分な食料は勝因にもなりました。そして戦争の跡地で死体を見た時、フローディア様は自分のしてしまった事を正しく知ったのです。その日からリツカさんは心の底から笑えなくなってしまった」

「本当に純粋な人だったのね」

「リツカさんは身一つでこの世界に放り出された自分を助けてくれたジェラルドさんには感謝してましたし、彼らが戦争で人を殺したからって嫌う事もありませんでした。そもそも攻めてきたのはグレイシア国からですし。全ては必然でした。ただリツカさんはもっとうまくやれなかったのかと、知識のある自分にはもっと出来た事があったはずだと、己を責め続けていたようです。ここら辺は読んでいて私も辛いですね」

「優しすぎるわ。でも理解はした。チェルシーが恐れていたのはまさにこれね」

 タチバナリツカは意図せず大きなうねりを作ってしまった。勝者と敗者を明確にし、その後の未来にまで影響する大きなうねりを。これを人一人で背負うには重すぎるのかもしれない。

「ええ、きっとジェラルドさん達はリツカさん、フローディアさんは決して悪くないと励ましたのでしょう。悪いのは戦った自分達だって。でもフローディアさんの心には届きません。だってジェラルドさんとフローディアさんは違う。タチバナリツカさんを真の意味で救えるのは……」

「同じ知恵を持つ者、異世界人でしかない」

 タチバナリツカが考えている事は偽善ではあるのだろう。誰かを幸せにするという事は誰かを不幸にする事と同義である。でもリズベットはそれを愚かと切り捨てる事は出来なかった。

 時に人は、特に統治者なる者は冷酷にならなければならないとは言うが、結局これも生きるためにはしょうがないと諦めているだけなのだ。

 どれ程辛くとも、理想を捨てなかった彼女は尊い、リズベットはそう思った。

「聖女フローディアは本当の聖女だったって事か」

「これを読んでいて謙虚で思慮深いのが分かります。我が国が最終的にフローディア国と言う名になったというのはそういう事なんでしょう」

「心の底から好かれていたのでしょうね。だからこそ傷ついた聖女の心を救えなかったのは辛かったでしょうけど」

 そこにあるのは美談でもない、ただただ悲しい話であった。

「リズベット様、私分かった事があります」

「何かしら?」

「聖女の真実をぼかして伝えたのは、ジェラルドさん達だったと。普通であればフローディアさんの残した功績は正しく世に伝えられるべきです。でもそうしなかったのは後の世で聖女に憎しみの矛先を向けさせないため。聖女が食糧問題を解決したと知れば、きっと彼女はグレイシア国から恨まれているはず。ジェラルドさんはただ聖女は素晴らしい人だと伝えたかった」

「畑の作り方が引き継がれなかったのもそこに理由がありそうね」

「劇的に変わりすぎてしまったのでしょう。戦争の結果をひっくり返す程のものです。リツカさんが恐れるのは当たり前の事ですが、ジェラルトさんもその危険性を感じ取っていたのかもしれません。過程がなく完成品だけというのは歪な事ですから。既に出来た畑はともかくとして、新たに作ろうとはしなかったんでしょうね」

「しかし政治には力が必須。苦しくなれば縋りたくなる時はあるわ。だからこその」

「聖女を祭る教会ってわけですね」

「聖女の力を政治から分離した。つまり今まではただのフローディアで、この時に初めて聖女フローディアとなったのね」

 リズベットとチェルシーは大きくため息をついた。

「聖女も凄いのだけれど、他もとんでもないわね。手に届く場所に力があるのに、その歪さを冷静に判断でき、後の治世も考えてやるべき事やっていたなんて。揃いも揃って化け物揃いじゃない」

「一つの国を建国するというのはそういう事なんだと思いますよ」

 リズベットは今のフローディア国が安定しているとは思っていないが、それでも過去に比べたらその違いは歴然である。安定には程遠く、とにかく貧しい。それでも人々は命の輝きを放っている。何かの始まりというものはここまで熱量があるものなのか。

 そしてその熱が今のフローディア国に繋がっている。リズベットは心が引き締まる思いであった。そして先人達のたゆまぬ努力に敬意を表した。

「感謝しなきゃね。今ここにフローディア国がある奇跡を」

「ええ、私もそう思います」

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