第7話 宿屋で一日休めば復活するはまやかしである

 ユーフィリアが目覚めた時、周囲はてんやわんやであった。半泣きのルークやシャルロッテがおり、その後ろにはこれまた瞳に涙をためたアシュリー、しまいにはレナードの姿さえあった。

「「お母さま(おかあたま)!!」」

「ユーフィリア様!」

「一体何なんですか? レナード、あなたまで来ているなんて……公務の方はどうしたんです?」

「ユーフィリア、落ち着いて聞いてほしい」

 レナードはユーフィリアの質問には答えずに話を進めた。無視された事にユーフィリアは眉をひそめたが、レナードの真剣な表情に何も言えなかった。

「ユーフィリア、君は丸二日眠っていたんだ」

「え?」

 ユーフィリアは言葉がなかった。彼女自身うたた寝しただけのつもりであった。しかし慌てて周囲を見ると、今の場所は確かに仕事場ではなく寝室だ。子供たちもいるのもその証拠となっている。窓からさす光は強く、日中である事が察せられた。ユーフィリアが寝る直前はすでに日もとっぷり暮れていたし、東側に位置する窓から光が差し込むのはありえない。

 少なくとも半日経ってしまったのは明確で、これなら二日というのも嘘じゃなさそうだとユーフィリアは理解し、意識を失った事を受け入れざるを得なかった。

「すまない。ユーフィリアが激務なのは知っていたが、君があまりにも仕事ができるから、私は甘えてしまっていた」

「いえ、私の方こそ申し訳ありません。アシュリーに休むよう度々言われていたのですが、後回しにできないと躍起になってしまって」

 ここ最近ユーフィリア自身、オーバーワークなのは自覚していた。だけどである。

「お母さま、大丈夫なの? どこか痛くない?」

「おかあたま! だっこ! だっこして!!」

 一心不乱に慕ってくるルークとシャルロッテを見てしまうと、やはりもっとと思ってしまうのだ。この子たちにより良い国を残したいと。ユーフィリアは愛おしい二人を安心させるよう抱きしめる。

「ごめんなさい。あなた達にも心配かけちゃったわね。ほら、アシュリーもおいで」

「いえ、私は従女ですから」

「いいから」

「……分かりました」

 ひとまずは大事に至らなかった事にレナードは安堵のため息をついた。しかし安心ばかりしていられない。ユーフィリアの問題を解決する方法を考えなければならないのだから。

 彼女の現在の主な仕事は三つある。王妃として貴族女性をまとめ上げる仕事と、ハイブルグ情報機関の長としての仕事、そして二人の子供達の成長を見守る親としての仕事だ。

 ユーフィリアが仕事している最中は、アシュリーがルークとシャルロッテの面倒を見ているが、仕事が終わった後、ユーフィリアは必ず子供たちと触れ合う時間を作っていた。

 二人がもう少し大きくなり、自立してくれれば変わってくるだろうが、今は愛情が欲しい時期である。出来るだけ会う時間を増やそうとするのは至極正しい。国を守っていて後の王になる子供の教育に失敗しましたは本末転倒だ。

 レナードが思うに、一番良いのはハイブルグ情報機関の長を信頼する者に譲り、王妃としての仕事に専念する事だ。しかしハイブルグ情報機関はフローディア国において、もはや必須となってしまっている。下手に弄ってレベルを低下させたくはない。

 過去の偽聖女事件の事では、獣人の国が暗躍していた可能性があるという。そしてさらにそれを利用し、ユーフィリアを害そうとしていた者たちがいるというのだから、手を抜くなんて事は出来るわけがなかった。ユーフィリアを守るためにはユーフィリアの情報能力こそが大事だとレナードは理解していた。

 獣人の国の正式名称はグレイシア国、今でこそ争っていないが両国の関係は良いとは言いがたかった。それは過去に争っていた事に起因する。フローディア国の者達がグレイシア国と呼ばないのは、古き過去に侵略された事を未だに覚えており、グレイシアの者達を野蛮人と見なしているからであった。

 フローディア国は聖女に祝福された国とされている。聖女の話が真実か今となっては不明であるが、気候に恵まれているのは確かな話で、穀物がよく育つ。枯れた地に住む者にとっては、喉から手が出るほど欲しい国である。

 だが一方でフローディア国には海がない。つまり塩が取れない。そして獣人の国には海がある。故にフローディア国が塩を得るには隣国である獣人の国より買うほかない。一方で獣人の国は塩と海産物が取れるが、土地が貧弱のため穀物が育ちにくい。故に穀物で足りない分はフローディア国から買う事になる。

 フローディア国と獣人の国の関係は、そのようなパワーバランスで成り立っており、これこそが相手国を信頼していないのに、国交を断絶できない理由であった。

 信用できない国同士故、何時供給を止められるか分からない。命にもかかわるその不安は非常に大きい。このような状況故、どちらの国もあわよくば独占したいと思うのは当然の事であり、フローディア国と獣人の国ではお互い隙を窺っている。

 だがレナードの感覚は少し違っていた。お互い嫌い合っているのは、単に過去の記憶を引きずっているだけなのだ。戦争を知っている時代の人達はもう生きてはいないし、昔がそうだったから今もそうするべき、というだけに過ぎない。だからこそレナードは両国の間で民間の往来も許しているし、少しでも国民感情を替割ってくれる事を願って。フローディア国だけでなく、グレイシア国でも禁止されていないとなれば、相手国にも思うところがあるとレナードは考えている。

「モノさえ潤沢にあれば争う必要なんてなくなるんだがなぁ」

 フローディアで育つ穀物量は決して少なくないが、他国への輸出分の事まで考えると心もとないというのが本音である。気候は良いと言えどその年その年の収穫高は違うし、冷夏にでもなったら少なくない被害を被る。そうした場合、フローディア国としては自国民を優先せざるを得なくなり、他国へ供給が足りなくなってしまう。さらにいえば希少価値も上がってしまうため、価格にも反映されてしまう。それを不満に思うのは当然の事で、報復として塩の価格が高くなる。その積み重ねが今の現状だ。

 幸いと言っていいかは微妙なところだが、獣人の国の土地が貧しいからこそ、フローディアの穀物に需要があるわけで、海があり安定して塩が取れる国と対等でいられる。これで獣人の国で穀物が安定して取れていたら、一方的に高値で塩を吹っ掛けられていたであろう。

 グレイシア国との関係だけでこの有様だ。ぎりぎりの緊張感のなか、的確な指示を下せるほどの胆力を持つ者はなかなかいない。

 本当であればレナードがユーフィリアの仕事を手伝えればいいのだが、王としてやるべき仕事とは全体を見る事だ。一か所に集中して他を疎かにするわけには行かない。仮にレナードが手伝ったとしても、王は言ってしまえば広くて浅い存在だ。すべてのプロフェッショナルになるのが理想的ではあるが、一つの道を究めるのにも一生ものであるのに、全てを極めるなんて事は夢物語でしかない。そもそも全能であるのなら国なんて煩わしいものはいらないのだ。

 ユーフィリアはまた激務にさらされるであろう。彼女がやらなければ国が危うくなるやもしれない。レナードは知っている。非の打ち所がない者であっても、些細な一つの情報を見逃した程度の事で、全てを失う事があるのだと。国だって見ようによっては一つの生き物だ。同じ事が十分起こりうる。

 そう、レナードとユーフィリアはリズベットに起こった事が、国に起きるのを恐れている。たまたまだと、間が悪かっただけだと言い切るのは難しくて。もしもリズベットのシュタイン家の没落がなければ、もっと気軽に構えていられたのだろうか?

 レナードとユーフィリアは知ってしまったが故に危機感を持てているわけだが、それ故に些細な事は見逃すという選択肢を失ってしまった。妥協は決してできない。何をするべきか分かっているのに何もできない、そんなもどかしさがあった。

「ユーフィリア、今後は休みを増やした方がいい。完全な休日は無理かもしれないが……そう、半休など検討するべきだろう」

「ええ、レナード。倒れてしまっては元の子もありませんからね。難しいかもしれませんが、何とか休む時間が取れるよう調整します」

 内心では無理であると悟りつつも、レナードとユーフィリアは子供達とアシュリーを安心させるため、休みを増やす旨の話をする。疑う事を知らない子供達は純粋に喜んだが、ユーフィリアの仕事を良く知るアシュリーは不満そうであった。

 だがアシュリーにも解決策が思いつかないからには文句も言えなかった。せめて治療の力に疲労回復の効果があればよかったが、そんなに都合の良い事はなかった。アシュリー自身、偽聖女でしかなかった事が悔しいと思ったのは一度だけではない。

「君には苦労を掛けてばかりだな」

「覚悟した上ですよ。惚れた弱みですかね」

 ユーフィリアの言葉にレナードは驚いた表情を浮かべる。その頬は僅かに赤く染まっていた。珍しいものを見たユーフィリアは心底おかしそうに笑った。

「レナード、確かに私達は国の為に結婚したのは事実です。ですが愛のない結婚だったとは思っておりませんよ? 燃えるような恋ではなかったかもしれません。でもお互い尊重し合えていたではありませんか。熱は時が経てば冷めますが、積み重ねて来たものは一生残るものです。あなたはどうです?」

「それは、その……」

「私の事はお嫌いですか?」

「そんなわけない! 君みたいな素晴らしい人と結婚できたのは、私にとってこれ以上ない幸運だったし、私はユーフィリアを愛している!」

 誤解されていてはたまらないとレナードは強い口調になった。普段見ない慌てているレナードにアシュリーは目を丸くし、二人の子供達もきょとんとしていた。我に返ったレナードはそこからは一転して、どこか申し訳なさそうな、控えめな声になる。

「私は恐ろしかった。国を背負うという事が。その重みを妻となった者にも強いるのかと考えると、選ぶ方が申し訳ないと思ったくらいだ。女性たちは自分たちが王妃になる夢を見てやってくる。甘いラブストーリー大いに結構。だが現実はその逆、王妃とは女性にとって一番過酷な場所だ。でも悩む私の前に君とリズベットが現れた」

「そこは普通リズベットを外すところではないですか?」

「外したら外したで君は怒るだろう?」

「ふふ、よくお分かりで」

「君たちに私は救われたよ。本気で国を考えてくれる女性がいる。私と同じ目線で立ってくれる女性がいる。まるで奇跡とすら思った」

「奇跡とはまた大げさですね」

 このまま惚気が続くのかと思われた時、ふとルークが声を上げた。

「お母さま、リズベットって誰?」

「ルークおぼっちゃま! それは……」

 ユーフィリアからリズベットの事情を聞かされていたアシュリーは、慌ててルークを止めようとしたが、ユーフィリアはそれを制した。

「大丈夫よアシュリー。私達からリズベットの話を振ってしまったのだし、リズベットがどんな人間だったか話すのは問題ないわ。ルークだって仲間外れは嫌だもんね?」

「うん! 僕聞きたい!」

「わたちもきく! わたちも!」

 シャルロッテは幼い故、あまり意味は分かっていないのだろう。でも兄が大好きな妹の事である。必死に同じ事を真似ている。ユーフィリアは愛らしい子供達の頭を撫で、何から話そうかを考える。やはり真っ先に語るべきは人となりだろうか。子供達に何が凄いかを具体的に語っても分からないだろう。だったらまずユーフィリアがどう感じたのか、それこそが重要である。

「リズベットはね。そう、カッコいい女性なの! それこそ英雄みたいに」

「ええ!? なんでなんで。リズベットって女の人なんでしょ?」

「あらぁルーク、女性がカッコいいのは駄目なのかしら?」

「え、それは……その……どうなんだろう?」

 困ってしまうルークにレナードは笑う。

「思い込みはいけないぞルーク。何せユーフィリアだって、仕事している姿は凄くカッコいいんだ。私が惚れ惚れするくらいなのだから。カッコいいは何も男性のものだけじゃない」

「わぁー、そうなんだぁ。僕お母さまが仕事しているの見てみたい!」

 目をキラキラさせるルークを見ていると、ユーフィリアはついからかいたくなってしまう。夫にカッコいいと言われて恥ずかしかったとも言う。

「じゃあリズベットの話は良いのかしら?」

「そっちも聞きたい!」

「どっちもなんてルークは欲張りさんねぇ」

 そこに確かな愛があった。得られないと思っていた暖かな家庭、レナードは密かに目を覆うと決意を新たにする。この幸せを何が何でも守って見せると。そのためにも我がフローディア国に恒久の安息を。



 そうして気合入れて頑張りすぎた結果、ユーフィリアとレナードは二人仲良くぶっ倒れたわけであるが。

 そもそも気合でどうこうできる話じゃないのだ。元からレナードも目一杯公務に励んでいたし、レナードもレナードでぎりぎりであったのだ。ユーフィリアの方が先に限界来ただけの話で、遅かれ早かれこうなっていた。

 ユーフィリアに至っては言わずもがなである。例え二日間寝たとしても、まだまだ疲労と言う借金は山積みだ。そんな彼女は一週間もしないうちに、アシュリーからまたドクターストップを言い渡された。

 二人とも妥協できない性格である上に、リズベットの件でそれに拍車をかけてしまった。そんな徹底された完璧主義が長く続くわけがない。

 レナードやユーフィリアの部下達は優秀であるが、二人の代わりができる者はいない。それができる者はもはやただ一人、運命に翻弄され、表舞台から姿を消さなければならなかった女性。傑物と言われた三人のうちの最後の一人、


 リズベットである。


「国のトップ二人して倒れるなんて、全く世話が焼けるわね。でもちょうどいい。やっとこれで二人に恩が返せるわ」



 情熱の薔薇の君が――   帰ってくる。


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