第22話 ペンダントの秘密④

「このペンダント、ですか?」


 そう言いながら、ハンナは急に緊張した面持ちになる。

 やはりこのペンダントには何かがあるのだ。


「はい。これって……どこで売ってたものなんでしょうか」

「え?」

「実は……これも同じようなものを見たことがあって。当時流行っていたアクセサリーだったんでしょうか」

「いや……」


 ハンナは頼んでいたお酒をぐびぐびとあおった。

 なんのお酒かはわからないが、炭酸で割ってある。それを結構な量飲む。


「それは……私が特注で作ってもらったものです」

「えっ」

「私の両親は二人とも宝石商なんですが……その伝手のジュエリーショップで作ってもらったものなんです。たしかに、デザインはどこにでもあるようなシンプルなものです。でも石が特徴的なんですよ。ですから、この世に二つとないペンダントなんです」

「……」


 そんな。じゃあ、わたしが夏先輩からもらったペンダントは……。


「同じようなものを見たことがある、とおっしゃってましたけど、具体的にいつどこでご覧になったんですか?」

「それは……」

「実は、このペンダントは蛍が亡くなったときに紛失してしまっているんです。形見となるはずだったのに。いつのまにか無くなってしまった。だから、今も探しているんです。教えてください。いつ、どこで見たんですか」


 わたしは困ってしまった。

 だって。だとしたら夏先輩は、蛍さんのペンダントをわたしにくれたということになる。どうしてそんなことをしたのか。それにもし、ハンナの言うことが確かなら、わたしのあのペンダントは蛍さんの関係者に返さないといけなくなる。それは絶対に嫌だった。


「先輩が亡くなった頃……です。似たようなペンダントを遺書とともにプレゼントされました。薄緑色の宝石のついたペンダントです。でも、先輩が……夏先輩がそんな、他人の持ち物をわたしに贈るわけがないんです。だからきっと、たまたま似たアクセサリーの――」

「それは、見ればわかります。だから念のため見せていただけませんか」

「今は、持ってません。家にあります」

「身に着けてらっしゃる、のでは」

「いいえ」


 わたしは否定した。

 だって、見せて、もし同じだったら、形見のペンダントが失われてしまう。


「本当です。ほらこのとおり……」


 わたしはブラウスのボタンを一つ外して、首元を少しだけ見せた。あらかじめペンダントはハンナに会う前に外しておいたのだ。


「そうですか。では次に会うときに見せてもらえませんか。万が一ということもありますし」

「もし、わたしの所持するペンダントが、その蛍さんのペンダントだった場合……お返ししないといけないんでしょうか」

「……。少なくとも当時、盗難届は出されていますから。返すとしたら蛍のご両親に、でしょうね」

「そうですか」


 わたしはうつむいた。

 複雑だった。夏先輩が他人の持ち物をわたしにくれたかもしれないことも、それが本当なら持ち主の遺族に返却しないといけないことも。

 ハンナが想い人に贈ったプレゼント――。

 本当なら、それも嫌だった。

 このペリドットのペンダントは「夏先輩の形見」だ。そうじゃなくなるなんて、受け入れたくなかった。


「あなたの、亡くなられた先輩ですが……あなたにとっては大切な方だったのでしょう。ですから、そのペンダントを無理に見せてとは言いません。でも、私にとっても、蛍へ贈った大事な品物だったんです。それだけは知っておいてほしいです」

「……はい」

「と、いうか――」

「はい?」

「あなたも女性が好きな人だったんですね」

「は?」


 急に満面の笑みになって、ハンナがわたしの顔をのぞき込んでくる。

 そうだった。つい成り行き上話してしまったが、意図せずわたしはカミングアウトしてしまっていた。


「そういうのに偏見はない、とか前に言ってましたけど……そういうご自分もだったんじゃないですか。水臭いなあ」

「別に、まだ男性を好きになったことがないだけです。女性なら誰でもいい、ってわけでもないですし。わたしが好きになったのは……夏先輩だけ、でした」

「ふうん。じゃあ、私を好きになってもらえる可能性もあるんですね」

「えっ」

「私を好きになってもらえる可能性はあるんですか? モエさん」


 わたしは言葉に詰まった。

 ない。ないです。

 そう答えればそれで終わりだったのに、断言できなかった。


「ハンナさんは、どうなんです?」

「どうとは?」

「蛍さんを今でも愛しているんじゃないんですか。新しい人を好きになるなんて、できるんですか」

「……」


 ハンナはまたジョッキグラスをかたむけた。


「そう、ですね。今でも蛍のことは愛しています。でも……恋が二度とできないわけじゃない。私は、生きてますから」


 生きて。

 それは変化をするということだろうか。


「ずっと亡くなった蛍のことだけを想ってきました。でも、蛍のことを考えるとき、愛しい気持ちよりもだんだん悲しい気持ちの方が強くなってきてしまって。それは蛍に対して逆に失礼なんじゃないかと、思うようになりました。だって蛍とは楽しい記憶しかなかったんです。それを、自ら汚している気がして……」

「そう、ですね。わたしも……夏先輩のことを考えるとき、悲しい気持ちの方が増えている気がします。それは、たしかに故人に失礼かも」

「思い出には限りがある。それがとても辛いですね」


 亡くなった人との思い出には限りがある。そしてその記憶も、時間とともにどんどん薄れていく。それは仕方のないことだったけれど、生きているわたしたちの罪深さでもあった。

 亡くなった人はずっと色あせないのに、わたしたちは変わっていってしまう。嫌でも。


「罪悪感はあります。でも、私はあなたに会えてよかったです」

「どういう意味ですか?」

「自分でもよくわからないんですが……モエさんといるとこう、新しい自分になっていくような。そんな感覚があります。その新しい世界が、怖いです。でもそれがなんなのか確かめたい……そんな気持ちでいます」

「それは、わたしのことが好きなわけじゃ……。自分でも誤解しているだけなんじゃないですか?」

「そうかもしれません。だからこれが本当になのか確かめたいです」

「……」


 わたしは頼んでいたオレンジジュースを一口飲んだ。

 胃のあたりがムカムカする。


「失礼ですよ……。一目惚れとか言って、それも勘違いだったんじゃないですか。今の自分を変えたくて、わたしをその実験台にしようとしてるだけなんじゃないですか? 何度も言いますが、それってわたしである必要あるんですか?」

「わかりません。でもじゃあ、モエさんはどうなんです? さっきはぐらかされましたけど、私のことを好きになる可能性はあるんですか? 私……私でなくとも、あなただって新しい人を好きになることができるんですか?」


 じっと、その若草色の瞳に見つめられる。

 わたしはそのまっすぐな視線を受け止めきれなかった。目をそらすと、窓ガラスにわたしとハンナの姿が写っている。

 いや、窓ガラスの向こうにいるのは、それぞれ夏先輩と蛍さんだ。


 わたしたちを忘れて、先に行くの?

 新しい思い出を別の人と積み上げていくの?


 錯覚、あるいは幻影のその人たちに、そう問われているような気がした。わたしは彼女たちとも向き合わなければならない。


「わたしで、いいのかわからない。あなたでいいのか、わからない。こんな出会い、ただの偶然です。それに特別なことを見出したくない……」

「それ、そっくりそのまま、って気持ちの裏返しじゃないですか?」

「えっ……」


 わたしとハンナのあいだの境界線は、ちょうどスマホが置かれているあたりだった。その境界線を越えて、ハンナの手が、テーブルの下のわたしの手に伸びる。ハンナの手は、乾いていて冷たかった。


「私だから、あなただったから、いいと思えた。この出会いはただの偶然じゃなかった。運命だった。……そんなわけないのに。それを信じたくなってしまった。こんなことで好きになりたくなんかないのに。だから、違うって思いたい……」

「ハンナさん」

「少なくとも私は、そういうっていう気持ちの裏返しでいるようです。だから、常に混乱しています。あなたを……好きになりたくない」

「そうですね。わたしもです。好きになりたくない……」


 言葉とは裏腹に、ハンナはわたしを熱く見つめていた。

 わたしもきっとそうだっただろう。


 

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