第20話 ペンダントの秘密➁

 仕事が終わった。

 葉子さんに挨拶して、先にあがる。時刻は十八時十五分。営業時間が十一時~十八時なので、閉店後にレジの締め作業などをしているとそんな時間になってしまうのだ。

 葉子さんはまだ店内に残っている。

 わたしは外に出て、店から少し離れた場所に移動した。


「よし……」


 本当はしたくないけど仕方がない。

 わたしは以前もらった名刺を、財布の奥から取り出した。

 すぐに捨てなくてよかった。捨てても良かったんだけど、なぜかできなかったのだ。そのおかげで、こうして今、あの「ハンナ」に連絡をとることができる。


 電話かメッセージアプリか迷ったけど、メッセージアプリの方を選んだ。

 連絡先を登録してメッセージを打ち込む。


 ――喫茶「オリーブ」であなたから名刺をもらった者です

 ——モエと言います

 ――お話があるんですが、オリーブ以外の場所で会えますか

 ――連絡お待ちしています


 嫌だ。これじゃまるでこの人からのアプローチに応じたみたいになってる。

 でも、しょうがない。

 このペンダントの秘密を聞き出すためだ。

 駅までの道をゆっくり歩いていると、しばらくして返事がきた。


 ――連絡いただけて嬉しいです

 ――モエさんというんですね

 ——わかりました、では二十分後くらいにK駅の東口に来ていただけますか

 ——そこでそのあとのことを決めましょう


 ああ、まるでデートだ。

 こんなことしたくないのに。わたしは街歩きして時間をつぶしながら目的地に向かった。二十分後、東口で待っていると、あの女性がやってきた。


「あ、モエさんっ……! ですよね。お待たせ、しましたっ……はあ、はあ……」


 息を切らすほど急いで走ってきたらしい。長いチェーンのピアスが耳に揺れていた。風に乗って、あのなんとも言えない香水のいい香りが漂ってくる。

 わたしは動揺しないようにするので精いっぱいだった。


「そんなに、急がなくてもいいですよ。わたしから連絡を差し上げたんですし、普通に待ってますから」

「いやいや、せっかく会ってもらえることになったのに、お待たせしてたら申し訳ないです。ええと、これからどうしましょうか。お話、があるならどこかで夕飯でも食べながら……の方がいいですかね」

「わたしはそこの公園ででもいいと思ってたんですけど、夜は冷えますし、ハンナ……さんがお腹空いてらっしゃるならそれでもいいです」


 女性は、「ハンナ」と自分の名前が呼ばれた瞬間にうっすらと目を見開いた。

 名刺までもらっているのだから、わたしが知ってるのは当然だろうに。なにをいまさら、と不思議に思う。


「いや……ちゃんと名前を呼んでいただけたのが嬉しくて」


 そう言って、少し寂しそうに笑う。

 なんだろう。なにも悪いことをしていないのに。妙な罪悪感を覚える。


「別に……あなた、とかずっとそれで呼ぶのは失礼だなって思っただけです」

「そんなのいいのに。逆に私がモエさんって呼ぶの、ちょっと馴れ馴れしくなかったですか? といっても、それ以外の呼び方を知らないんですけど」

「大丈夫です。それでお願いします」


 フルネームを教える気はなかった。だって、何度も会う気はなかったから。今日だけでペンダントの秘密をきちんと解き明かすつもりでいたから。


「じゃあ、モエさん。私のとっておきの場所があるのでそこへ行きましょう。今度こそおごりますよ。この間のおつりはいただいてますから」

「いいです。おつり返してください。おごられる理由がありません」

「もう、頑固だなあ……」


 ハンナからおつりの六百三十円を無理やり返してもらうと、わたしたちはロータリーを横断し、公園の外周を歩き出した。


「公園の北の方に病院や市役所がありますよね。あのあたりに素敵なレストランがあるんです。前から行ってみたくて。付き合ってくれませんか?」

「はあ……もうなんでもいいです」


 そのあたりは何度も行ったことがある。

 夏先輩が入院していたときに通ったところだったから。素敵なレストランがどんなお店かはわからない。でも、なんとなく足が重かった。東口に来ること自体がそもそも悲しい記憶と結びつきすぎている。


「え? 本当ですか?」

「は?」

「今、付き合ってくれませんか? って言ったんですけど……」


 見るとニヤニヤと笑っている。

 

「冗談言ってないで早く案内してください」

「はいはい。ふふ……すいません、つい……」


 同じ言葉だから、ついでに言ってみたのだとハンナは言った。そんな、夏先輩以外の誰かと付き合うなんて。そういう発想自体がわたしの頭から抜けていた。だから、そんな軽口を叩かれてもすぐには反応できなかった。


 この人は本当にわたしを狙っているのだろうか?

 恋愛対象として?


 わからない。もしそうだとしても、わたしはそれに応じることができなかった。あくまでもペンダントのことを聞き出したいだけ。それが解決したら、もう会うつもりはないのだから。


「あ、ここですここ」


 ようやく到着したようだ。見上げると、HOTELの文字。


「ちょ……」

「ここの展望レストランがいいらしいんですよ。行きましょう」


 すたすたと女性は中に入っていく。

 びっくりした。てっきりそういうつもりで、騙して連れてきたものかと。


「どうしました?」

「えっ」

「まさか、ここの部屋を予約してるとでも――」

「違っ……!」

「その気になったならこれから予約してもいいですけど?」

「ふざけないでください。早く、行きますよ」

「ふふ……はい」


 わたしたちは天井の案内板に従って、エレベーターのあるところまで行った。

 扉が開き、中に入ると、目の前に展望レストランのポスターが飾られている。ハンナは十階のボタンを押した。ご丁寧にそこにも「展望レストラン」と文字が書かれている。


「見晴らしがいいらしいんですよね」

「……そうですか」


 ハンナはくるりと振り返り、わたしを至近距離で見下ろしてきた。

 エレベーター内にはわたしたち以外誰もいない。


「お話がある、ってどんなお話なんでしょう。気になるなあ」

「着いたら、お話します」

「ふうん?」


 ハンナはわたしの髪に触れた。

 そしてじっと見つめてくる。

 わたしの髪はくせ毛で、なにもしてないのにゆるくパーマがかかったみたいになっている。それを指で軽くからめとられる。


 嘘みたいに心臓が早くなった。

 それを気づかれたくなくて、じっと見つめ返した。


 若草色の瞳。それが少し揺れていた。

 白い肌がうっすら赤くなって――。


 到着した音が鳴って、扉が開いた。ハンナはわざとらしく咳ばらいをして、エレベーターから出ていく。なんだったんだろう? 

 わたしも、自分の身に起きたことがよくわからなかった。

 ふわふわした足取りで、目の前のレストランに向かう。

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