第3話 「Mバーガー」で見たこと

 喫茶オリーブに行きたいのに、なんとなく足が向かなくなってしまった。

 全部あの女性のせいだ。


 あれから三日間、わたしは全く別の店で昼食をとっている。


「なんであの人のせいで、わたしがオリーブに行けなくならなきゃならないわけ?」


 ムカムカが治まらなくて、普段は頼まないダブルバーガーを注文してしまった。

 今日は商店街の中の「Mバーガー」に来ている。

 ここはここの美味しさがあるし、夏先輩と食べに来たこともあるから、思い入れがないわけじゃないんだけど……なんか違う。

 ああ、止めよう。四の五の言ってないでちゃんと食べないと。また葉子さんに気を使わせてしまう。


 大きめのハンバーガーを頬張る。ガツンとくるジューシーな肉汁。最近食べてなかったから新鮮な美味しさがある。

 ポテトもいただく。

 期間限定のフレーバーがついたポテトは、その時期だけ夏先輩とふたりで分け合ったっけ。

 などと思い出に浸っていると、ふいにあるものが目に飛び込んできた。

 二階席の窓際に座っていたのだけど、店の前の道を、なんとあの女性が歩いていたのだ。


「やばっ」


 思わず顔を隠した。

 死角になっているから、むこうが見上げない限りこっちが見つかることはないだろうけど。


「って、なんであの人から隠れてるの、わたし……」


 もう一度そっと窓の下を見てみる。

 女性は立ち止まることなく、駅と反対の方向に歩いていった。ほっと胸をなでおろす。


「あの人、英会話教室で働いてるって言ってたよね。たしか名前は……ノア、だっけ」


 なんとなくスマホで検索してみる。

 するとK駅の東口に、店舗のひとつがあることがわかった。


「東口に職場があるのに、なんでこっちに来たんだろう?」


 ノアという英会話教室のサイトには、各講師陣のプロフィールも載っていた。「ハンナ」というあの女性の顔写真も掲載されている。


「ほんとに働いてたんだ。食事処を開拓している、とか言ってたっけ……」


 東口には、大きな公園はあるが飲食店はあまりなかった。

 だからこの西口の方まで店を探しに来たのだろう。

 あの人が、わたしの職場の近くをうろうろしている。なんだか落ち着かなくなってきた。


 落ち着かない?

 なんでだろう。


 またナンパされたくない、から?

 会いたくない、から。


 それはそうなんだけれど。

 わたしは残りのコーラを飲み干すと、トレーを返しに席を立った。


 さて。

 お店に戻る前に、ちょっと雑貨屋さんとか見ていこうかな……。


 なんて思っていたけど、すぐに今日は無理そうだと悟った。だってもし、あの人と出くわしてしまったら? 面倒くさすぎる……。

 どうにか見つからないように帰れないものか。思案していると、例の女性が戻ってきた。

 わたしは慌てて近くのゲームセンターに駆け込む。


 女性は、わたしがさきほどまで利用していたMバーガーの前まで来ると、立ち止まってなにやら考え込みはじめた。

 戻ってきたということは、商店街の端から端まで見てきたんだろう。

 でも、この辺もそこまでおしゃれな飲食店はない。チェーン店はたくさんあるけれど。だから悩んでるんだろうなと思った。


 わかるよ。

 喫茶「オリーブ」に比べたら、チェーン店はどこも見劣りしてしまうよね。


 くやしいけれど、あの女性の考えてることが手に取るようにわかってしまった。

 ああ、本当、早くオリーブに行きたい。


「えっ、ちょっと待って。あの人がここにいるってことは……今日はあの人、オリーブに行かなかったってこと?」


 そのことに気づいてしまって、愕然とした。

 なんてもったいないことをしたんだろう!

 あの女性が毎日来るかもわからないのに、わたしったら無駄に警戒して。明日は絶対にオリーブに行くと心に決めた。


 出ていきたいのに、あの女性がなかなかMバーガーに入らないので百葉書店に戻れずにいる。このままだと昼休憩の時間が終わってしまう。


「あー、もう! そんなに悩む必要ある? もう、そこで……Mバーガーでいいじゃん!」


 イライラのあまり毒づいていると、あのハンナとかいう女性に二人組の男性が近づいてきた。なにやら笑い声が聞こえてくるが、女性は男性たちの方を見向きもしていない。


「まさかナンパ……?」


 まあ、逆もあるか。

 本当に、モデルか芸能人みたいなオーラがあるもんね、あの人。細身の高身長で、ブロンドの髪で、ファッションもどことなく洗練されてるし。道行く人が思わず振り返るような、整った顔立ちだし。


 って、わたし何を分析してるんだろう。

 あの人のことなんて、どうでもいいから!


 なのに……なんだか目が離せない。

 目が……。


 って、あれ? なんだかあの人困ってる?

 どうしよう。助けに行った方がいいのかな。


「あー。ちょっと! そこの――」


 たえきれず声をかけようとしたそのとき、近くを通りかかった別の男性が間に入って二人組を注意しはじめた。

 二人組はばつが悪くなったのか、女性のもとから去っていく。

 残ったサラリーマン風の男性は、名刺か何かを女性に渡したようだった。でも女性は名刺を即座に返して首を振る。そして、手を振ってMバーガーの中に入っていってしまった。


「は? うそ……。もしかして、いま仲裁に入ったあの男性も?」


 助けたついでに、ナンパをしていたようだ。


「うわー。怖い!」


 夏先輩。わたし今までああいう目に遭ったことも見たこともなかったです。でも、今日初めてその現場を目撃してしまいました。

 美人ってのはいろいろ大変なんですね。

 夏先輩もそうだったんでしょうか。


 Mバーガーに入ったっきり、あのハンナとかいう女性が出てこなくなったので、わたしはそっと百葉書店に戻った。


 そういえばあの女性みたいに、夏先輩もきりりとした美人さんだった。

 高校ではどちらかというと女子からの人気の方があった。

 もしかしたら男子からの評価も高かったのかもしれない。でも、わたしは知らなかった。わたしが知ってるのは、わたしと一緒にいたときの夏先輩だけだったから。


 商店街の近くには桜の木はなかったけれど、きっともう公園の桜は散りはじめているのだろうな、と思った。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る