●44 あれこれの顛末 4





「え……?」


 顔を近付け、イゾリテの瞳に視線を射込む。強い眼差しを送って、強制的に意識をこちらへ向けさせる作戦だ。


 噛んで含めるように、俺は告げる。


「いいか、【それ】は考えなくてもいいことだ。いや、考えたらダメなことだ。気になる記憶があるかもしれないが、大丈夫だ。問題ない」


「……問題ない、ですか?」


 多少なりとも俺の勢いに気圧けおされつつも、イゾリテが静かに問い返す。


 俺は力強く頷いた。


「ああ。【俺が全部まるごと完全に解決した】。だから気にするな」


「…………」


 しばし、信じがたいものでも見るかのように俺の顔を凝視していたイゾリテだったが――


「――かしこまりました」


 やがて、会釈するように目を伏せた。もうこれ以上は何も言いません、と言外に告げるかのごとく。


 あまりのあっさりさに、俺は肩透かしを食らった気分になる。


「お、おう……?」


 いや、確かに説得していたのは俺の方だったが、こんなにもすんなりと話が通ると、それはそれで微妙に気持ち悪い。


 そんな俺の気持ちを察したのか、イゾリテが瞼を開いて改めて俺を見つめてくる。


「アルサル様がそこまでおっしゃられるのです。考えるなと言うのであれば、考えません。イゾリテはアルサル様を信じております。あなた様が『全部まるごと完全に解決した』と仰るのであれば、その通りなのだと納得するのみです。例え、事情が一切わからなくとも」


「そ、そうか……」


 全幅の信頼――と呼ぶにはあまりにも純粋で、一途で、鮮烈すぎるものを浴びせられ、俺はやはり内心で甘引きしてしまう。


 わかってはいたが、相変わらず凄まじい。こうも混じり気のない好意を真正面からぶつけられてしまうと、汚い大人になったと自覚している己としては、微妙に心苦しいというか、得も言えぬ居心地の悪さが去来してしまうのだ。


「あー……そういえばイゾリテ、お前ペンダントつけてるだろ? それ、ちょっと出せ」


「ペンダント、ですか? いえ、私は――」


「いいから、ちょっと胸元を探ってみろ。【今なら認識できるはずだ】」


 渋るイゾリテに、俺は強引にうながす。自覚がないのも無理はない。聖術士ボルガンことヘパイストスに精神操作を受け、自爆用ペンダントを肌身離さず持ち歩いていることを認識できないようにされていたのだから。


 怪訝に首を傾げながらもイゾリテは俺の言う通り、てのひらで胸元をしばし撫で、


「……これは?」


 はっ、と異物感に気付き、何度かそこを軽く叩いた。すぐさま、さっ、と背中を向けたかと思うと、服のボタンを外し、内側へと手を差し入れる。


「……どうして……?」


 無意識の独り言だろう。俺と対話する時とは少々異なるトーンの声音。知らないうちに身につけていた、見覚えのないペンダントへの疑問の声。すかさず身を翻し、


「――アルサル様、これは一体な」


 んですか、と問われるよりも速く。


「ぶっっっっ!?」


 胸元を盛大に開いたままイゾリテが振り返ったものだから、俺は慌てて顔を逸らして目線をあらぬ方角へ飛ばした。


「ま、待て待て、隠せ隠せっ」


 強めの小声――というのは矛盾しているようだが、そのあたりは察してくれ――で言うと、イゾリテも動揺している自分に気付いたのだろう。


「も、申し訳ありません……っ……!」


 珍しく少し乱れた口調――こういうところは少しガルウィンと似ている――で謝罪して、小さな衣擦れの音を立てつつ素早く胸元を直した。


 音響だけでイゾリテが服装を正したのを確認すると、


「あー……それ、こっちにくれるか?」


 俺は視線を戻しつつ、イゾリテに片手を差し出した。


「はい。アルサル様、これは一体何なのでしょうか? 私にはまるで覚えがなく……」


 素直に手渡してくれながら、イゾリテは改めて疑問を口にした。


 俺は再び真っ直ぐ目を合わせ、告げる。


「【これ】も、気にしなくていいやつだ。既に解決済み、ってやつだな。安心しろ。回収するのは念のためだ」


 とうにこのペンダントの機能は失われている。そうするよう、俺が聖神らに命令しておいた。だから別にイゾリテが持ち続けていても問題はない。ないのだが――


 ぶっちゃけよう。


 俺が嫌なのだ。


 仮にも一度イゾリテの命を奪った代物が、今なおその手元に残り続けることが。


「…………」


 しかしながら、流石に説明不足が過ぎたらしく、イゾリテが不満そうに押し黙った。いや、表情はいつも通りで変化はほとんどない。だが、雰囲気でわかる。怒気も苛立ちさえも感じないが、それでもイゾリテが不服に思っていることが。


 とはいえ、どう説明したものか。難しいにも程がある。


 例えば――色々あってお前が死んでしまったのでちょっくら聖神の本体がいる高次元まで殴り込みに行ってロールバックという時空の巻き戻しみたいな事象を引き起こさせた結果こうしてお前が蘇ったわけだが――みたいな話でもしろと?


 いや無理だろ。完全に無理。絶対に嘘だと思われる。エムリスやシュラト、ニニーヴに話すならともかく。


 そもそも、イゾリテには俺達の正体すら話していない。もちろんイゾリテとて、俺達がもはやただならぬ超常存在であることは察していよう。だがまさか、聖神によって別の世界から複製された模造品だとは思うまい。


 とはいえ、だ。そこまで説明すると、もしかしなくともイゾリテが俺達に抱いている憧憬しょうけいが台無しになってしまわないだろうか。というか、そこまで話すならこの世界が聖神によって創造された箱庭であることにも言及しなければならない。


 こんな残酷かつ、荒唐無稽な話をしてよいものか――と、そんな風に高速思考で悩んでいた刹那。


「――別にいいんじゃあないかい、アルサル? イゾリテ君に説明してあげても」


 あらぬ方角からエムリスの声が飛んできて、俺はそちらへと振り返った。


 わざとだろうか。わざわざ逆光を背にする位置、しかも俺の頭より高い座標まで浮上して、エムリスがこちらを見下している。定番の大判の本に腰かけて。


 余計な茶々を入れられた、と感じた俺は溜息をこらえつつ、


「……適当なことを言うなよ。そんな軽々しい問題じゃねぇだろ」


 軽率に過ぎる発言をたしなめたところ、ニヤリ、と笑ったエムリスは高見から偉そうに嘯く。


「おや、心外だね? ボクは適当になんて喋っていないさ。なにせ目下の懸念だった〝怠惰〟と〝残虐〟は、今や君の中だ。思考もすっかりクリアになって、いやらしい考えも浮かばなくなった。そうとも。今のボクは、十年前アルサルから『委員長っぽい』と言われた頃のボクに回帰しているのさ」


 いやどこがだ。〝怠惰〟がいなくなって思考が明晰になっているのは間違いないだろうが、少なくとも〝残虐〟の影響は色濃く残っているように見えるぞ。


「嘘つけ。十年前のお前なら、もっと可愛かったぞ」


 脳裏に浮かぶのは、まさしく学級委員長然とした十年前のエムリスの姿。今とは打って変わって、真面目一辺倒の堅物だったものだ。あの頃の面影は、見た目以外にはほとんど残っていないと言っても過言ではない。


 俺の嫌味に、さらに調子に乗った放言が飛び出すかと思って内心身構えたのだが、


「…………」


 意外なことに、エムリスは不満そうに眉をひそめて沈黙した。怒りを視線で伝えるかのごとく、じっと俺を睨んでくる。




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