災嫁の竜姫

にゅーとろん

竜殺しの英雄、その日常

 リンド=ジークヴァルト。

 誉れ高き竜殺しの一族ジークヴァルトの歴代最強にして最後の生き残り。


 大陸の片田舎に存在する、荒涼とした地肌に巨岩が突き出ている岩山。かの英雄はそこに竜退治へとやってきていた。彼が率いているのは忠実な僕である女が一人と、近隣で募った民兵や冒険者たち。

 兵卒たちは道中の雑魚魔物の掃討では大いに活躍した。だが今は、英雄たちと竜の対峙を遠巻きに取り囲み、物陰から見守るだけにとどまっている。

 とはいえ竜を前に怖じ気づいた者はごく少数に過ぎないが、これも英雄の厳命ゆえだ。


「もう一度言うぞ、ここからお前たちは生き残ることを最優先しろ! 今回得た知識をいつかの竜退治に活かすことが一番の貢献であり誉れと思え!」


 眼前の竜から視線を逸らさず、英雄は朗々とよく通る声で念を押す。周囲に無駄な動きの気配は無く、幸いにも今回の部隊には大英雄を差し置いて功を挙げようなどという愚者はいないようだ。


「魔法障壁は?」

 英雄は、傍らの女に声をかける。

「はい。すでに展開済みです。流れ弾やブレスの余波が彼らに及ぶことはないかと」

「よくやった、ふち

 淵、と呼ばれたその女――流れるような長く艶やかなその黒髪の美女は、長旅で擦り切れたローブを纏ってなお、戦場に不釣り合いな貴婦人としての華があった。

 だがその容貌とは裏腹に、この戦場にありながら全く物怖じしない冷徹な参謀の風格で英雄の傍らに立っている。


「さて、どうしましょうか。向こうは怖じ気づいているようですが」

「なに、じきに焦れて向こうから仕掛けてくる。その時にぶっ放すぞ」

「了解」


 英雄の予想通り、さほど時が経たぬうちに竜は吼えながら突進してきていた。


 この通り、今回の討伐対象である竜は戦闘に策を弄するほどの知能も無い若い個体である。それでも身の丈は近隣の村々で見るような民家をゆうに超えていたし、ブレスも魔法も一通り行使できる程度には育っている以上、十分すぎるほど脅威ではある。――リンドと、その相棒以外にとっては。


 駆けてくる竜の口元に魔力が収束し、熱を帯びていくのがリンドにも見て取れた。

(至近距離からブレスを吐いて回避できないダメージを与えてやろうというわけか。少しは考えがあるようだな。……まあ、猿知恵なんだが)

 そのブレスが放たれるより早く、英雄のほうが駆けだしていた。

 その動きを予測していなかったようで、竜は一瞬怯む様子を見せた。それは致命的な隙であった。次の瞬間には竜殺しの英雄は竜の喉元へと潜り込み、大剣で竜の上下の顎を易々と貫きその口を縫い止めてしまった。

 それにより竜の口内で魔力は暴発。その衝撃は口から放たれることなく竜の身体の内へと走っていったらしく内部の爆発でその巨躯が一瞬膨張したように見えた。

 それが収まったのを見届け、竜殺しの英雄は剣を引き抜き飛び退く。

 直後、竜は地を震わせる勢いで倒れ、やがてピクリとも動かなくなった。


 それを見た周囲からわっと歓声が上がる。が


「お静かに」

 決して大きくはない、それなのに威圧感の乗った淵の一声に、水を打ったように静まり返る。


「こっからが一番重要な仕事だ。ちょっとグロいかもしれんがよく見ておくんだぞ」


 リンドはすでに動かなくなった竜の喉元、逆鱗と呼ばれる鱗を剥ぎ取ると、その柔らかい肉へ大剣を突き刺し、腹へ向かって肉を割いていった。そしてその剣が胸部あたりまで到達すると、ごろり、と中から大きなモノがまろび出た。

 遠目に眺める兵士たちには、それが一糸まとわぬ人の姿に見えた。


「犠牲者の死体、ですか……?」

 兵士の一人が遠巻きにおそるおそる訊ねると、英雄は首を横に振った。


「いや、違う。ほら、頭部に角があるだろう? こいつが竜の『擬体』だ。肉体が死んで、竜の魂が仮のカタチを成したもの。人の姿に似ることが多いのは、竜の犠牲者と誤認させたり敵の同情を誘うためとも言われているな」

 英雄は引きずり出した擬体を片手で高く掲げた。確かにそれは子供くらいの大きさでヒトに似た四肢があるように見えたが、よく見れば頭部には角を思わせる突起があり、顔や指先といった細部が十分に形成されておらず、人形のような不気味な物体であった。


「竜を殺しても擬体を放置しておく、ってのが一番危険だ。どこかに逃げおおせて再び本体を再構築したり、ヒトの姿のまま人間社会に紛れて害を成すこともある」


 英雄の言葉に周囲の兵たちがざわめく。兵たちもうっすらと伝え聞いていた竜の生態ではあるが、いざ擬体を目にするとその特異な生態はおぞましい現実としての実感を伴ってくる。


「ま、擬体の状態だと竜本来の時に比べればあまりにも無力だ。死んだ直後ならこうして擬体の形状が不完全で意識が形成されてないことも多い。だから」


 リンドは擬体を無造作に地面に頬ると、その喉に剣を突き刺していた。


「竜の時と魂の本質は変わらない。半端な情けをかければ害悪になることもある。その面倒をみきれないのなら擬体は容赦なく殺せ」


 竜殺しの大英雄が、淡々と講釈しながらヒトの似姿にトドメを刺すその異様な光景に、兵たちはただ沈黙していた。

 その中で淵だけが、恍惚の笑みで英雄の姿を見守っていた。


+++


 竜退治を果たしたその日の夜。麓の村落では竜殺しの英雄と、その供をした勇敢な戦士たちを讃えた宴が開かれた。竜の骸はというとあらかた解体・分配され、今回の討伐参加者と村落の懐を大いに潤すことになるだろう。


 しかし大英雄はというと、その竜の解体を見届けた後、事前に取り決めた金銭を受け取ってさっさと村を離れていた。英雄稼業はやることが多い。毎度のように長々と歓待を受けていては時間が足りなくなる。

 そんなわけで英雄殿が得たモノは、事前の規定通りの報酬である貨幣の袋と、討伐した竜のもう一つの死体――擬体だった。

 こればかりは竜の死体以上に存在が厄介、それに見た目にも気味が悪いということで処分を任された。村の面々はたいへん申し訳なさそうではあったが、実のところ、英雄にとってはこちらのほうが都合がいい。


「さて、そろそろいい頃合いかな」

 そうこうしているうちに、リンドと淵は村の明かりも見えないような森の奥深くまできていた。ついでに念のため人払いの魔法を展開しているため、万が一にも村から英雄様の熱心なファンが付いてきていたとしても、今頃は方向感覚を狂わされ村の方へと戻っていることだろう。


 リンドは立ち止まり、擬体をくるんでいた布をほどき、中身を無造作に地面に転がした。ヒトの成り損ないといった形状のそれは殺した時のままの歪な姿のままでただ冷たく横たわっていた。


「可哀想に。お前ほど美人には化けれなかったらしい」

「それはもう、蓄えた力が違いますので」

 リンドの軽口に、淵がくすくすと笑う。


「それでもさらに欲しいってんだろう? 欲深い女だ」

「『竜』とはそういうもの、というのが世間一般のイメージでは」

「違うのか?」

「さて。他の個体がどうなのかまでは知りませんので」


 などと言葉を交わしていくうちに淵の姿が夜の闇に溶けていく。彼女のいた場所に淀んだ黒影はやがて急激に膨張し――そこに現れたのは竜の巨躯であった。

 月光に照らされ額に輝く黒々とした一角は大部分が折れていてなお勇壮さを誇示しており、艶やかで長大なその巨躯は夜の色よりなお黒く、妖美にして爛々と輝く紫水晶の双眸は、夜空に座す凶星のようであった。


「ほら、よっ」

 リンドは若い竜の遺した擬体むくろを宙に放り投げた。その偽りの肉塊を、漆黒の竜は一口で飲み込む。


「本当はそいつを料理でもしてやれたらいいんだろうが」

「人の姿をした肉を料理する姿なんて、英雄のイメージが棄損されますよ」

「いいだろ別に。どの道お前の食事の用意なんざ、他の誰にも見せられないんだし」

 歓談を交わしているうちに自然とすり寄ってきた黒竜の顔を、英雄は優しく撫でる。

「むしろ飼殺すべき竜をこんなに甘やかしていいんですか、竜殺し殿?」

「当然。お前が早く元通りになってくれなきゃ、俺は罪悪感と退屈で死んじまうかもしれない」

 などと竜に答える男の語気に後ろ暗い含みは無く、ただただ愛しい相手への気安さと慈しみがあった。


「本当に元通りになったら、いずれ殺し合いになるかもしれないのに」

「それでもいいさ。きっと楽しくなる」

「まったく、本当に不謹慎で不真面目な竜殺し様」

「安心しろ、殺す時は真面目にやるさ」


 ――などという具合に。宵闇の中、二人の物騒な睦言はしばらく続いた。

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