第5話『その少女の名は天野真白』

世界はめぐる。


人は生まれ、育ち、新しい命を育んで、やがて死んでゆく。


ましろは新しい命が裕子に宿ったという話を聞き、では自分は何だろうかという当たり前の問いにぶつかった。


今まで特に気にしていなかったが、自分はどうやって生まれたのだろうか。


何処からやってきて、何処へ行くのか。


そんな人生の命題の様な。子供が夕日を見ながら思い至ってしまう原初の悩みの様な。


どこにでもありふれていて、どこにも答えは転がっていない問いを自分に問いかけていた。


しかし、問いかけても答えは出なかったので、ましろが思う、一番頭がいい人に聞いてみる事にした。


「教えてください! 先生!」


「はい。分かりました。と言いたいところですが、難しい話ですね」


「先生でも難しいんだ」


「そうですね。私もまだその答えは出ていませんから」


「そうなんだ。先生でも答えが出てないなら、ましろじゃもっと駄目だよね」


「そうとも限りませんよ?」


「そうなの?」


「はい」


ましろは誠に今自分が悩んでいる問題について回答を求めたが、ましろが欲しい答えは得られずガッカリした。


しかし答えは出ずとも、答えに繋がる様な言葉は、誠の口からましろに伝えられようとしているのだった。


「例えば、ましろさんは夢がありますよね?」


「うん! みんなを幸せにしたい!」


「であれば、それを成すことがましろさんの行くべき未来です。そして私と話した今が過去になる」


「うん? どういうこと?」


「ましろさんが悩んでいる何処からきて、何処へ行くのか。どうやって生まれたのか。という問いに対する答えの一つですよ。確かにましろさんは私と出会う以前の記憶が無いのかもしれない。ですが、ましろさんは私たちと出会い、言葉を交わし、願いを持った。その願いの生まれた日がましろさんの生まれた日なんです。それが何処から来たのか。という問いに対する答えですね。そして、何処へ行くのか。それはこの願いを目標にして飛んで行く、ましろさんの未来に答えがあります」


「うーん。なんか難しい、けど、少し分かった! 何となくだけど!」


「それは良かった」


「うん。じゃあ、ましろは先生や裕子さんに出会ったから生まれたんだ。って事は二人の子供ってこと?」


「そう考えていただいても構いませんよ。私たちにとっては、ましろさんは既に可愛い子どもですから」


「そう、なんだ! そっか! お父さん。お母さんかぁ。うん。良いな。良い」


「そう思っていただけると嬉しいです。是非裕子さんにもお母さんと呼んできてもらえれば、きっと喜ぶと思いますよ」


「そうなの!? じゃあ行ってくる!」


「いってらっしゃい」


ましろが元気よく部屋を出ていくのを見送って、誠は視線を机の上に移した。


そこには中村さんが調べてくれたいくつかの情報が載せられた紙が置かれており、その内容を見て、誠は目を細める。


喜ぶような話ではない。


楽しむような事でもない。


これが真実かも分からない。


だが、それでも、その情報はあまりにもましろに近すぎた。


『ましろが横倉村に現れた数日前、隣県の神無町にて一人の少女が病気で亡くなっている』


『その少女の名は天野真白。彼女は両親に捨てられ、兄と共に二人暮らしで生きていた』


『しかし重い病気を患っており、若くしてその命を落としている』


病気で亡くなったという天野真白という少女と、過去を何も覚えていない天使を自称する少女ましろ。


「これは偶然でしょうか」


誠は言葉を呟きながら、どこか現実と認めたくないという様に、窓の向こうに広がる夜の世界。そして星空を見た。


例えば、ましろがその天野真白が亡くなる事で生まれた存在だったとして、その存在はいつまでこの地上に留まっていられるのだろうか。


その存在が消えないという保証はどこにあるのだろうか。


誠は自身の中に生まれてしまった、答えを出したくない問いから目を逸らすように瞳を閉じた。


そして深く息を吐きながら、書類を机の引き出しにしまう。


誠にはこの書類を他の誰かに見せるつもりはない。


この情報を調べた中村も、誠以外には話すつもりがないと言っていた。


二人が誰にも話さなければ、この話は誰にも伝わる事は無い。


しかし伝わらないからといって、事実が無くなる訳では無いのだ。何かが起こらないという保証はない。


それでも誠は何かが起こるまで、何も語らず、ただ父の様にましろに接しようと考えるのだった。




身重の体で無理はさせられないと、まるで深窓の令嬢の様に部屋に閉じ込められていた裕子は、ふとしたタイミングに爆発した。


動きたいと。


このままではキノコが生えてきてしまうと。


その怒りはもっともだ。と裕子の言う事は何もかも全肯定する男、野中誠は頷いた。


そしてまるで大統領の外出の様に厳戒態勢の中、裕子の散歩は執り行われた。


何かあった時、すぐサポート出来るようにと誠はすぐ横を歩いているし、反対側にはましろが心配そうに裕子を見ている。


そしてどこからか噂を聞きつけてきたのか、暇なのか、何人かのオジサンオバサン達がそれぞれ出来る事をしようと走り回っていた。


まるで国家の存亡をかけた一大プロジェクトである。


行われる事業は裕子氏による家の周りを散歩する事だ。


過保護にもほどがあると、裕子は溜息を吐いたが、これも愛されての事だ。


特に文句は言わず、ただ彼らの思うままに従って、散歩を行った。


一歩一歩踏み出すたびに、緊張が走るやや落ち着かない散歩であったが、昔から心配性な周りに囲まれていたせいか、裕子はすぐに慣れ、この異常事態を正常だと思い込み、散歩を続けるのだった。


しかし、それでも、あまりにも心が落ち着かない散歩は、精神にあまりよろしくない為、裕子は本日解散の際に、二度と結集しない様にと集まった民衆に言い放つのであった。


民は王の圧政に声を上げたが、王は最後まで民の悲痛な声に耳を貸す事は無く、ただ淡々と、自宅に帰れと言い放つのだった。


この事件は後世に語り継がれるだろうと、民衆が悔し気に言うが、王は良いからさっさと帰れとしか言わなかったのである。


自由は死んだ。


しかし、この事件を重く見た横倉村一番の権力者である大岡は、当初民の味方となるかと思われたが、王のいう事こそが正しいと権力に恭順する意思を見せ、民衆の意見を切り捨てた。


しかも「アホやってないでさっさと帰りな。妊婦に心労掛けんじゃないよ」という言葉があまりにも正しくその通りであった為、集まったアホ共は大人しく解散せざるを得ない状況に追い込まれたのである。


所詮自由など権力者の手の中でしか味わうことが出来ないのだと、民衆たちは涙したが、それで諦める様な民衆ではない。


元々暇で暇でしょうがない連中なのだ。


コソコソと隠れながら、世界の王たる野中裕子の歩行を何でもない風を装いながら観察する方針に切り替えた様であった。


その程度の愚行は偉大なる王によって即座に看破されたが、親切で行っている訳だしと、どこか嬉しい気持ちを感じながらも王は民衆の愚かな行いを見逃すという決断をされるのであった。


偉大なる王に乾杯。




ちなみに、懲りもせず二度目以降も野中家の周りに集まり、用事がありますよという風な顔でうろついていた者たちについては、後日大岡氏によって呼び出しを受け、暇なら手伝いなと、学校の雑用をやらされることとなった。


無論この行いによって誠の負担が減り、結果として裕子が助かるのだから良い事しか無いのだが、彼ら彼女らにしてみれば、手伝いをする事も重要だが、ましろという天使を含めた野中家の観察をするのが重要なのである。


決して雑用がしたかった訳では無いのだ。


しかし、それはそれとして誠の負担が減るなら頑張るか。と集まった者たちはせっせと働いていた。


その隙に、野中家へ向かい、縁側でしれっと野中家の人々と談笑していた大岡氏の存在にも気づかずに。

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