16時、サシャ・ルメルシエ:後編

「それにしてもさ、俺も今のルヒトの頃って結構焦った時期だったなあ」

リンスを先輩先輩と言って子犬のように慕う後輩ルヒトは、カナメの友人でもある。

「サシャはもう対外関係主席顧問の補佐官って決まってて、やばいな俺どうしようかなあって」

「王都で仕事して暮らそう」そう思っていたリンスは、「できれば城務めして稼げたらいいなあ」とも思っていたが、「さてどうしようか」と言うところで躓いた。

彼もルヒトと同じく、領地貴族である。

「いや、私はそんなことを考えたこともなかった。リンスはリンス自身が思う以上に頭もよく周りを見る方だからな。卒業後は城で顔を合わすだろうなと思っていた」

「え?ほんと?サシャの評価が高くて俺今、なんだか感動してるんだけど……」

「私がを友人だと、家族に紹介するような人間に見えるか?」

書類から顔を上げ、真面目な顔のサシャに言われたリンスは柄にもなく照れた。

その通りだとリンスも思う。

彼は見ていて気持ちがいいくらいに、時にゾッとするほどに、簡単にというものでさえ物のように取捨選択をする。

「今だから言うが、リンスのところに『中級文官資格試験』の推薦がきたのは、父が宰相閣下に勧めたからだ」

「えッ!?」

『文官資格』というのは城やどこかの領地、どこかの貴族の家で文官として仕事をするにあたって「この人はこの程度できますよ」と国のお墨付きがあると知らしめる、今でいう国家資格のようなものだ。

資格はいくつかの段階があり、初級以上は爵位のある家に生まれた、つまり平民ではないものが受けられるもので、平民は無印の『文官試験』からになり、そこから推薦状を書いてもらい初級、中級、上級と受けることが可能になる。

リンスのように『中級』からの試験を受けるには、ある程度の爵位を持つ貴族家の当主が後継人のような形で宰相に対し推薦をすることがだ。

つまり、リンスが試験に落ちると

(え……ギャロワ侯爵が見る目がないと後ろ指さされる、的な……)

ということになるのである。


みるみるうちに顔色が変わる友人を見て

「知らないようだとは思っていたが……本当に知らなかったんだな」

「え?誰も教えてくれなかったじゃん!俺、こっそり親父が推薦したのかと思ったんだよ。でも親父推薦なんてしないよなあとか、領地貴族だから推薦がどうのとか言わなそうだしなあ、とか、とにかくだから確かめもできないし。うそ……で?」

だ」

「うわああああ、合格してよかった!!!!ああ、神様!」

ガタンと椅子を倒す勢いで立ち上がり天に向けて感謝するリンスに、それを見て呆れた様子のサシャ。

この図はよく見られるので、音が遮断されているこの状態で見ても誰も不審には思わなかっただろう。

「私は受かると確信していたからな、不安はなかったぞ」

「そりゃ……サシャさんは絶対受かるでしょうよ」

「いや、リンスは確実に受かると信じていた、という話だ」

リンスのことで自分のことではないのだが、と言った様子で不思議そうにリンスを見るサシャは

「私の父は、リンスが思っている以上にではない。そして、もしかしたら私よりもリンスの能力を信じていたかも知れない人なんだ」

リンスは力が抜けたのか椅子の背にもたれるようにずるずると座った。

「本当だ。嘘ではない」

こんな嘘をつく人間ではないと思いつつ、リンスはどこかで信じられない。

サシャは「本当なんだが」ともう一度言った。


どうにもルメルシエ夫妻──サシャとカナメの両親だ──は家族以外に対するサシャの言動に不安を覚えていたらしい。

一人で抱え込まないだろうか、とか。カナメ以外はどうでもいいと思ってを考えて生きていかないか、とか。

サシャが両親がそのような心配をしているようだと気がついた時は流石に「いや、それはない」と思ったけれど、家族以外へ向ける自分の態度を見ればそうなるのだろうかと、両親がそう思う気持ちが分からないでもないと納得もしてしまった。

だからといって心配するようなことはないのだが、幼い時から自分のしか見ない大人や子供を見ているとどうにもこう、なってしまったのだ。

「利用したいのはサシャ様の脳みそですからね」なんて笑顔で言ってのけたリンスは、そんな大人や子供よりもずっとずっと信用ができた。

そうして気がつけば両親に友人だと紹介し、カナメに友人だと言い、ここまで付き合いが続いている。

リンス本人の学という能力だけではなく彼自身も知らない魅力を、ルメルシエ夫妻は十分に理解し見つけていたのだ。

だからこそ、彼を推薦したのだろう。こっそりと。

こっそりとしたのは、リンスがこのように飛び上がって萎縮すると見抜いてだろう、きっと。


ちなみに、サシャは「もしかしたら気がついているけれど、こっちのことを考えて知らないふりをしている可能性も?」と思っていたところがある。


「じゃあ、俺は幸運だったんだな。文官になろうという漠然としたものはあったけれど、こうなっている将来は想像なんてしていなかったから」

「私はなんだかんだと、リンスはこうしていると思ったけどな」

実際、リンスのいいところはこの省では有利だろう。

国外とのことでピリピリすることも多い。何せ相手は他国。国内の部署であってもピリピリはしただろうが、相手が国となると自分たちの失態が国の未来を左右しかねない。

そうしたここにおいて、人と人の緩衝材になるようなリンスはとてもするのだ。

「リンスの可愛いがっている後輩も、こうした場で活躍するんだろうなと思う」

「そう?でもルヒトは他国相手とか考えると『ひえええ』って萎縮すると思うんだよね」

「私だって萎縮することはあるぞ」

「嘘つけ」

「失礼な」

ジッとラベンダー色の目で見られたリンスは、降参の意を表すように両手を小さく上げた。

「でも、サシャがそう思うのなら、勧めてみようかな。文官試験受けて、城勤務の試験も受けてみなよって」

「学生のうちに受けられる。早く教えてやるといい。それに城に務めなくとも、文官試験に合格したという事実は強みになる」

「貴族のおぼっちゃまは初級から受けられるしね。でもなあ……俺はサシャさまの頭脳に助けられたけど、ルヒトには誰かいるだろうか」

真面目に悩み始めたリンスに

「カナメに頼めばいい。は友人思いだ。周りを巻き込んでも彼の助けになろうとするのでは?」

「巻き込んだ結果、マチアス殿下とかがくっついてきそうで、勉強に身が入らないそうですけどね」

「ちょうどいい。今のうちから王族というものに慣れれば、ここに配属されるようなことになっても萎縮しなくて済む」

「いや、そういう問題ではないと思うし、王族相手に慣れる慣れないとかわけ分からないこと言うのは、サシャくらいだと思うよ」

でもルヒトに音信おくってやろう。そう呟いてまた資料に目を落とすリンス。

相変わらずの面倒見にサシャの顔が緩む。

だからサシャはリンスを憎めないし、カナメに頼めばいいのではないかなんて、助けてしまう。


こうした相手に出会えたのは、学園という小さな世界で生活をしたからだと、今もサシャは思う。

本当は危険だからなんていう理由はかけらもなく、カナメに寮生活を勧めたかった。


自分の人生が変わるかもしれない出会いがあるから、寮生活をした方がいい。と。


それでも、理由はどうであれ寮生活後、友人だとルヒトとジェルバを連れてきた時は、嬉しかったものだ。

多少はブラコン──無自覚だが──の血が騒いだが、学園生活で新しい世界を見つけたカナメをサシャは誇らしく思った。

半分、成長していく姿にもの寂しさも感じてしまい、父シルヴェストルに愚痴を言ってしまったサシャのその思いは「娘を見守る父親の心境なのではないか」というのが話を聞いた宰相閣下の意見である。

聞けば寮生活をしてからの方がカナメの雰囲気が柔らかいのだと、遊びに来た二人はデボラに伝えていたそうだ。


──────そうか、心を許せそうな友人がいるのか。


公の場で孤独になりかねない将来を持つカナメに、一人でもそういう相手がいることも望んでいるサシャは、やはり寂しい気持ちもあるが安堵した。

サシャが見る限り、もっと言えばシルヴェストルが見る限り、あの二人は

絶対に裏切らないと信じられる友人がいることは、生涯の支えになる。

(まあ、私にとってそれがリンスなのだが)

友人がいない時「とってもいいひとたちなんだよ。でもまだ、俺が幽霊が怖いとかは言えないけど」と笑ったカナメに、やっぱり、とても、すごくすごく寂しく思うけれど。

(母上は嬉しそうだったから、まあ……飲み込んだのだが……)

デボラは本当に嬉しそうで、またいらっしゃいねと何度も言って見送っていた。

その時二人の顔がどこか赤かったのは、思いだすだけで今でも笑いそうになる。

(なにせ、社交界の白薔薇様だからな。母上の心からの笑顔の破壊力というものは、私にはよく解らないが、があるらしい)

そう、社交界の白薔薇様デボラのお世辞抜きの笑顔は、我が子と同じ歳の彼らの顔ですら真っ赤にする破壊力を備えているのだ。

さすが白薔薇様。


考えながら思い出しながらもしっかり仕事を終わらせたサシャは、いまだに唸る友人の前から数枚の書類を抜き出し自分の前に持ってくる。

「今度、また家に来るといい。カナメも帰ってくるだろうし、久しぶりに会いたいと言っていた」

「俺も会いたい。っていうかさ『カナメも帰ってくるだろうし』なんて言うけどさ、カナメは週末必ず帰ってきているんでしょ?」

「それは当然だろう?約束したからな。週末は必ず家に帰ってくるように、と。が私との約束を破るはずがないだろう」

「大人気なく、そうやって上手いことやって婚約者との週末デートを潰しにかかったんですね」

「ん?」

「なんでもないです。すげえ兄弟愛素敵って思っただけですとも」

綺麗な笑顔で「ん?」と言われればリンスは黙るだけ。

そんなリンスの顔をじっと見つめたサシャはまた書類へ視線を戻す。


「学園時代に戻りたいと思うことはないが、万が一もう一度やり直しても、私はリンスに脳みそを利用していいというだろうな」

「なんだそれ」

「いや。週末は確実に休みにすべく明日も頑張るか」

「今度遊びに行くときは、カナメにお土産買っていってあげよ。何がいいと思う?あ、サシャが譲ってくれるものでいい」

「ふっははは。じゃあ、そうだな。なんかどうだろう」

「飴かあ。それはいいかもね」

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