15時、ルヒト・ヘルストレーム:後編
特進科教室内は静まりかえっている。
マチアスやフォヌア、彼を含めた領地を持つ貴族の嫡男はみな三年時は領地政務科に言ってしまう。彼らもこことは違う静けさの中授業をしているだろう。
ルヒトは領地貴族の出ではあるが、領地政務科ではなく特進科で卒業する。
ここは良くも悪くも三年間、ほとんど顔が変わらなかった。
マチアスやフォヌアのように「三年時は領地政務科にいくんだろうな」と思うような学園生以外で転科するものは少ないからだ。
それでも今年は意外な面々が転科をした。
(カナメとジェルバがいなくなったのは、寂しいなあ)
突如精霊魔法科へ行ったカナメと、未練が残るのは嫌だと錬金科へ移動したジェルバ。
この二人とルヒト。三人は側から見ても仲のいい間柄だった。
ぽつんと残った気がして、ルヒトは少し寂しい。
時々選択制授業の時に会えるとホッとするほどだ。
(慣れるのかなあ……まあ、夕飯の時とか、他にも話せる機会はあるけど……寂しい気持ちになるよねえ)
ルヒトはペンをくるくる回す。
マチアスの手捌きが見事で真似ていたらいつの間にか上達した。カナメには「器用だね」と言われ、ジェルバには「案外と器用なんだな。ちょっと実験手伝う気はあるか?」と言われた。
実験はなんとなく嫌な予感がして丁重に断ったが、あの頃を思い出すと寂しさが増してしまう。
(うう、俺ってこんな性格だったのかな?)
なんとなく窓の外を見ると、外での授業らしく低木が美しく配置されている校舎外を歩くカナメが見えた。
何かいいことでもあるのか、それとも授業が楽しいのか、何であれカナメが今、楽しいのであろうことを二階の窓から見るルヒトは見て取れている。
彼の髪の毛がふわふわと、あの長い白銀の髪が腰のあたりでふわふわとしているからだ。
──────あれは精霊が遊んでいる。きっとカナメの機嫌がいいのだろう。
そうルヒトに教えてくれたのは、意外にもマチアスだ。
風もないのに揺れる髪を不思議そうに長いこと凝視しているから、と言われた時はルヒトは隠れたくなるほど恥ずかしかったが、あの時はマチアスにも「ルヒトはカナメの友人」だと認められたようで嬉しかった。彼は今もその思いを大切にしまっている。
(そっか……学園卒業したらジェルバはともかく、カナメにカナメなんて言えないし、顔を合わす機会もなくなるだろうし……寂しくなるよね。そりゃそうだよね)
教師の声も聞きながら、けれど視線はどうしても窓の外に行ってしまう。
この学園は学舎──別名学舎本棟──が左右対称のコの字型で三階建、他にも敷地内に幾つかの塔と男女に分かれた寮が作られている。
コの字型の中央に学舎の中庭──三面の内側にある──があり、エントランスはコの字でいうと右の縦線部分の中央に。
ルヒトが今いる場所はコの字で言うならば二本ある横線の上にあたる部分二階、カナメは学園生のいう“北の裏庭”という場所にいた。
従者と共でいい授業なのだろう。少し後ろにはアーネも控えている。
学園に入学し半年ほどたったころだったろうか。
ルヒトはリンスに「ルヒトと同じ歳の友人がいて……いや、友人の弟がルヒトと同じ歳なんだ。今度そこの家に呼ばれているんだが、一緒に行ってみるか?」なんて軽く言われ、ルヒトもルヒトで何も考えず、──いや、一応リンスの友人ならばいい人に違いないとは考えたようだ──了承。
その友人からも許可を得たからと改めて約束し、リンスと共に向かった場所が『ギャロワ侯爵家』。
出迎えたのは社交界の白薔薇。親戚の子供のように歓迎されるリンスと、現実逃避をしたいルヒト。
カナメはリンスが連れてきた後輩に驚き、サシャは本当に後輩がいるのかと驚く。
なんとも言えないこの日のエントランスだった。
ともかくこうしてルヒトはラグ事件から時を経てまたしても、ギャロワ侯爵家に関わったのである。
借りてきた猫のようになっていたが、リンスという“緩衝材”のおかげか帰る頃には随分とカナメと仲良くなった。
リンスはサシャに「あの二人は絶対に仲良くなれると、俺は確信しているんだよね」と言った通り、この日を境に挨拶以上の会話をするようになったカナメとルヒト。
そこにいつの間にかジェルバが加わり、気がつけば三人は自他共に認める友人になっていた。
そうして時間を過ごしているとカナメが実は「俺」であることや、もう少し言葉遣いが砕けていることも、そして案外表情も豊かなこともルヒトは知った。
他でもそうすればいいのに、と思ったルヒトにジェルバが「殿下の側近って囁かれてるんだぜ?取り繕わなきゃいけない時もあるんだよ」なんて公爵家次男らしいこと言われて「有力貴族は大変だなあ」とぼんやり思ったりする機会もあった。
──────この先も付き合いが続いたら、いや、続いて欲しい。その時はカナメが大口開けて笑う顔とか見れるのかなあ。
さすがにそこまではしないのかな、と思ったルヒトの疑問に「カナメは大口開けて笑うし怒りもする」とリンスとサシャ──サシャはどちらの前にも「可愛く」と力強く加えているが──から聞いたから余計に見たいなとも思う。
けれども学園を卒業してしまえば、王子殿下の婚約者とこんな距離感で話す機会なんてきっとない。
ルヒトが寂しいと思うには十分である。
こんなにも一緒にいて楽しいと思える友人ができるなんて、領地を出てきた時に想像なんてつかなかったから。
じっと見ているとカナメが顔を上げた。
面白いことに目が合う。
カナメは一瞬驚いて、両手をそれぞれこめかみのあたりに持っていくと人差し指を天に向けて柔らかく拳を作り、その人差し指を小さく上下させた。
(悪魔のツノ?悪魔の真似?カナメ、何してるの!?それ、人に見られてないよね?)
口がパクパク動いているが、読唇術なんて知らないルヒトにそれを読むことはできない。
けれども何を伝えようとしているかは読めた。
真面目に受けないと、怒られるよ。
クールビューティーなんてどこにあるのか判断できない。そんないたずらっ子のような仕草に、ルヒトはやっぱり寂しいなと思いながら頷いて顔を教師に向けた。
ルヒトがよそ見をしていたなんて全く気にしていない、教師の顔に。
ペンを回しながらやはりルヒトは思う。
とっても寂しい、と。
でも寂しいと思う時、ふと思い出すこともある。
ジェルバの言葉と、マチアスとカナメのあの奇跡のような婚約式だ。
──────俺、よく知らないけどさ、カナメってかなり頑張ったんだと思うんだよな。今もそうだと思うんだよねえ。だって、この国の頭硬いクソじじ……んん、クズじじ……いやいや、年上は恨む…じゃねえ、敬わないといけないんだ、クソ。そう、あれ、おっさんたち、絶対に「王子殿下には側妃を娶っていただきお子を成して云々」とか言うだろうしさ。だからなんつーの、俺も俺ができる範囲でカナメを助けてあげれたらなあって思うわけ。
そんなこと、ルヒトは考えてもいなかった。
──────婚約式見たろ?あんな顔するんだなあって思ったよ。いや、王子殿下の方も。でもさ、まわりはもっと驚いてて、それに今度は驚いた!そうか、ああ、俺たちってあのクールビューティーなカナメの本当の顔、実はたくさん見ていんじゃね?って気がついたわけ。ってことは、俺たちの前ではなんていうか、クールビューティーな王子殿下の婚約者っていう肩書を少しはずせているかもしれないわけ。卒業したらきっともっとでかい肩書き背負うんだろうなと思うと、卒業後も、クールビューティーがおもっそうな肩書き外した姿で友人としていられるように、俺もまあカナメに会えるような立場になれるように頑張ってみようかなと思ってるんだよねえ。
卒業後寂しいと言っているルヒトには、またしても考えていなかった言葉だった。
(そうだよね……俺、寂しい寂しい二度と会えないみたいに考えてたけど、領地貴族の伯爵家次男坊じゃ何も助けにならないなあとか、色々思っていたけど、そうだよね)
そして新しく小さく決意をした。
(王都で仕事ができるようにもっと勉強頑張ってみようかな。俺じゃ王子妃殿下になるカナメの役に立てるようなお仕事にはつけないだろうけれど、何か彼が成そうとすることの役に立てるような仕事につけたらいいな。遠くからになっても応援しよう。寂しいけれど、でも会えた時に友人だと胸を張っていられるように)
それほど彼はカナメとの友情が大切になったのだ。“少しだけ”怖がりに見える時もある、そんな彼との友情が、ルヒトにはかけがえのないものなのだ。
──────そんな彼に教えてあげたい。
そう、未来のルヒトは思っているだろう。
真面目に勉強に取り組み続けた結果、卒業後、君が先輩だと慕うリンスが働く対外関係省で共に働くことになるのだと。
カナメとマチアスと学友であったというだけの理由で、彼らのもとに何かと書類を運ぶ役目を担うことを。
寂しいなんて思う暇もなく、サシャの
ひいひい言いながらも笑顔が絶えない日々を送れることを。
そう、君は寂しがらなくても大丈夫だということを。
「でも、時々ジェルバに寂しいなあって言ってみよう。それにリンスさんにも言ってみよう。うん。でも俺、こんなに寂しがりやだったっけ?おかしいなあ……俺、しっかりものの末っ子なんだけどなあ」
未来のルヒトが、寂しいなと悩む今のルヒトに教えてあげたいと思うような、楽しい未来があるのだと。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます