運命なんて要らない
あこ
本編
第1話
「婚約、破棄?」
手紙を認めていた手を止め凄い顔をし振り向いたのは、この国で第二王子と言われているアーロンだ。
アーロンが振り向いた先では、二つ上の王太子である兄のキースがソファに深く座り、紅茶を飲んで頷いていた。
「なぜ?なんでまた今?兄さん、どうして婚約破棄なんて」
驚きで目を大きくして聞くアーロンにキースはフンと鼻で笑って
「俺は昔からあんな女は好きじゃなかったんだ」
「好きじゃなかったって……」
「いちいち口うるさく注意するしか能がない女のどこを好きになれるんだ。あんな女と一生共にするなど、死ぬ方がマシだ」
「死ぬ方がって、僕たち王族だよ?政略結婚は致し方ないでしょう?兄さんとアンジェリカ嬢の事はこの国の事考えれば」
「俺があんな女の家がなくても問題ないと示せばいいだけだろう」
「いや、だから」
書くのを完全にやめ、アーロンはキースの向かいに座る。
キースは正面に座った弟に顔を顰めて言った。
「俺の婚約者はアレだし、お前の婚約者はアレだし、互いに災難だな」
アーロンは少しムッとして言う。
「僕は婚約者がノアで良かったと思ってるよ。彼は僕の理想だ」
聞いたキースはフンと鼻を鳴らし「どうだか痩せ我慢を」と言って
「俺は好きではない、むしろ憎々しい相手を妃などにする気はない。俺には妃にしたい、いや、あの女よりもそれに相応しい相手を見つけている。だから、婚約破棄だ」
と続けると立ち上がり、「俺が終わったら王太子の俺が、お前のあの男の婚約者を“適当”に処理して、女の婚約者を選ばせてやる」とアーロンを見下ろし言うと入ってきた時と同様に偉そうに出ていった。
扉が閉まり、部屋の中にいた従者が心配そうにアーロンを見ると、アーロンは膝の上で握りしめていた手をそっと開く。
手のひらには爪の跡がくっきりと深く残っており、もう少し握っていれば血が出ていただろう。
従者のアーロンを気遣う声が部屋に静かに広がる。
「アーロン殿下……」
「大丈夫。兄さんはああいう人だ」
深く息を吐き、アーロンが髪を乱すように頭を掻く。
「アーロン殿下とノア様はよくお似合いでらっしゃいます。それに王子妃としてあれほどの方はおりません」
アーロンの従者トマスはアーロンよりも二つ年上で、二人はアーロンが三歳の頃からの付き合い。トマスは、アーロンにとって頼れる相談相手でもあった。
自分にも他人にも厳しいトマスは、幼い頃から武術に学術を熱心に学び影に日向にアーロンを支えている。
トマスはそれを当たり前のようにこなしているが、それはアーロンを非常に大切に思い忠誠を誓うからだ。自分のようにアーロンのために努力をし続けるノアの事も、トマスは大切に思っていた。
「本当だよ。僕には勿体無い婚約者だよ」
「王妃様もノア様をとても可愛がってらっしゃいます」
「母様は努力に努力を重ねて貪欲に知識を得ようとするノアを見て、絶対に俺の婚約者にって、ノアを砂糖漬けにするほど溺愛してる公爵夫妻を口説き落としたからね」
「王宮では“それ”を、激闘の七日間と呼んでおりますからねえ」
思い出したのかトマスは若干遠い目をする。
トマスはその“激闘の七日間”を全て目撃したわけではないけれど、王宮ではあまりに有名で、あの頃ここを出入りしていた人間ならば誰もが知っている事だ。
婚約者にと言う王妃と断るノアの両親という構図からいつの間にか、幼い頃は超がいくつあっても足りないほどほどのお転婆娘だった王妃と、その王妃に振り回されつつやんちゃをしていた
王宮で有名な激闘の七日間。しかし国王がホッとしたのは“激闘”と言う意味を殆どの人間が“激論”だと思ってくれている事だろう。事実を知る人間は片手で数えられるほど。
この激闘の七日間の真実は、激論なんかではない。文字通り、王妃とランベールが“激闘”をしたのだ。
女性騎士に憧れ精霊術と魔術を学び騎士となる訓練をしていた王妃と、その王妃に振り回され続け幼少から付き合わざるを得なかったランベールは、確かに“激闘”をしたのである。
国王はその様子を不敬だなんだと言う事は出来なかったし、止める事すら出来なかった。
彼に出来たのは加護をくれた精霊に頼み、“昔のように”被害が出ないように結界を張ってもらう事だけである。
昔からこの二人は始まってしまうと終われないのだ。
こと、今回の件は溺愛しているノアの将来がかかっているから、二人とも引かない。
七日で終わって、その上“激闘の真実”を知られなくて良かった。国王は今もそう思っていた。
トマスの父親は国王の側近であるから、この全てを見ている。そして──国王からすると──運の悪い事に偶然にも四日目の激闘をトマスは父親の傍で見る事になったのだ。
あれを思い出すとトマスは遠い目をしてしまう。
“あのランベール・ヴィヨン”と“社交界の華の王妃”があんな激闘をするなんて、と。
幼いトマスの心に染みついて消えない激闘を繰り広げた後、ランベールとしては渋々認めた婚約だったが当のアーロンとノアはゆっくりと愛を育んだ。
最初はお互い“いつか家族になる人”としての情は育んでいこうと思っていたのに、いつのまにか二人は恋をした。そしてアーロンが子供ながらに告白をしたところから、その子供時分のアーロン曰く“婚約しつつ恋人としてお付き合い”が始まる。
大人たちは可愛い恋人同士を、初々しくしょっちゅう照れる恋人同士を、それはそれは微笑ましく見守っていた。
アーロンがノアを溺愛しているのも、大人たちが微笑み見守る理由の一つかもしれない。子供ながらに目一杯の愛を伝える姿は可愛らしかったのだ。
アーロンがノアを大切に大切にし始めたのには、理由がある。
この世界には同性同士で婚姻可能な国がいくつかあり、特にこの国では同性間で子供を作る事も可能で、それを奇異の目で見られない国でもあった。
しかし異性同士とは違い、同姓同士での“母”となるにはいくつもの条件が必要で、また元々妊娠出産する体で生まれていない男が伴侶の子を産むのはとても大変な事が“一般常識”だ。
異性の夫婦間で女性が妊娠出産をするのも大変であるのに、男でそれをする側は条件を満たしていても健康体でなければ──────健康であっても、と言う医師もいるがともかく命の危険さえあると言われている。
──────そんなにも大変なことを、ぼくはノアにさせるんだ。
アーロンは早くにその事を知り、ノアをとにかく大切にした。気持ちは素直に伝えるようになった。
どれだけ自分がノアを思っているか、どう考えているのか、余す事なくノアに伝えたい。その気持ちでノアとの時間を過ごした。
好きな子を危険に晒すかもしれないと言う不安が、愛を伝えると言う形に変わっていった。
自分はノアに子を産んでもらわなければならない。ノアとの子が欲しいけど、ノアが危険になるならいらない。でも、産んでもらわないといけない。
アーロンはノアにそんな事をさせたくないと婚約を白紙にしてもらおうともしたが、それをするにはノアを好きになりすぎた。
──────ノア、ごめんね。
唐突に告げられたノアは笑った。
──────アーロンさまが好きだから、いいよ。
キラキラと笑うノアを見て、幼いアーロンは決めたのだ。
大好きなノアをずっと守ってずっとずっと愛していくんだ!と。
だからこそ、年々仲が悪くなる──────とはいえ、殆どキースが一方的に婚約者アンジェリカを避け忌み嫌うのを見て「なぜだ?」と言う思いが強くなった。
アンジェリカは王太子妃として将来の王妃としての勉強に励みながらも、現王妃やノアと共に孤児院やスラムに関する改革などにも精を出し、そして僅かながらずつであるが成果を上げてきている。
優しい微笑みと、毅然とした態度。将来の王妃はアンジェリカに相応しいと言われているのに。
「婚約破棄なんてしたら、アンジェリカ姉様は……」
思わず呟いたアーロンに控えていたトマスは言う。
「決してアーロン殿下にお伝えするな、と王妃殿下からは言われておりましたが、キース殿下の行動は筒抜けでございまして。そもそも、あれほど溝が開いてしまったお二人が万が一という事を考えて、王妃様の独断で……ノア様の習われているすべての事は、王太子妃教育であり、王妃教育でございます」
「まさか……──────いや、だから、ノアは何年か前に『突然難しくなってきた気がするんだけど』なんて言っていたのか」
呆然と声に出したアーロンにトマスは
「王妃殿下は『万が一があっても、問題はひとつもない』とそう言っておりました」
「しかし、兄さんが全て悪いとはいえアンジェリカ姉様に何とお詫びしたら良いか」
幼い頃から婚約者であるキースとアンジェリカ、そしてアーロンとノアは所謂幼馴染のような関係でもある。
兄がいるが弟や妹がいない環境であったアンジェリカはアーロンとノアを実の弟のように可愛がっており、顔を合わせてから数度目で「わたくしの事は、アンジーお姉さまって呼んで?」と二人に伝えているため、それからずっとアーロンもノアも、アンジェリカを姉様と呼び慕っていた。
特にノアは、自分にはない強さと確固たる己そして信念を持つアンジェリカを実の姉のように慕い、なにかとアンジーお姉様とついて回っていたほどだ。
「ノアがきいたら悲しむだろうな」
「そうでございましょうね。ノア様はアンジェリカ様が義姉になる事を待ち望んでいらっしゃいましたし、アンジェリカ様もノア様を大層可愛がっておいででした。あのお二人は実の姉弟のようでございましたから」
トマスは思わず窓を見る。
アーロン部屋の窓から外を見ると、ノアとアンジェリカが二人きりのお茶会を開いていたガゼボの屋根がわずかに見えた。
二人は良くそこで二人きりのお茶会を開いて、何やら話しては侍女や侍従まで笑わせて、なにかと理由をつけてはプレゼントを交換しあっていた。
二人は知らない事だけれども、この王宮であの光景を知る人間は皆、それを見るのが好きだったのだ。
手を取り合って助け合う王太子妃と王子妃が作る、優しい空間。
「あの光景が二度と見れないかと思うと、私も辛く思います」
トマスの言葉は、意味よりももっと重く床に落ちていった。
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