4-3

意識を取り戻したとき、周りには誰もいなかった。


あれだけの熱風の中、なぜ擦り傷程度で済んだのかはわからないけれど、ひとまずシルフィたちを捜そう。


途中、石化している飛竜に驚いて腰が砕けそうになりながら、飛竜に見つからないようできるだけ見晴らしの良くない場所を探し彷徨い歩く。


どこまでも続く緑色に感動を覚えたのは最初だけで、高速道路のように同じ景色が延々と続き先の見えない状況に足が重くなる。


手掛かりの『て』の字もない。


眠気のピークを超え、空腹のピークを超え、飲まず食わずのまま何日が経っただろう。


ハイになることもないままひたすら歩き続ける。


まるで喪家そうかいぬ


同じ道をループしているのではないかと思うくらい心が折れそうになったとき、


「おい」と声がした。


振り向くとそこにはペテロがいた。


どうしてここにいるのか訊くと、シルフィが力を使ってペテロに助けを求めていたという。


その神妙な雰囲気に嫌な予感がしてやってきてのだ。


シルフィは無事だろうか?


キュクノスの群れも無事だろうか?


身体がバキバキだったのでペテロに乗せてくれとお願いしたが無視された。


僕はこの世界の動物たちにとことん好かれない。


後をついていきながら歩き続ける。


小さな山と山の狭間にある洞窟にシルフィとキュクノスの群れ、そして、ぴくりともしないプロクレイアが横たわっていた。


彼女の胴体も白い羽もすべて黒く焼け焦げていた。


こちらに気づいたクリュティエが静かに口を開く。


「妹な、死ぬとき笑ってた」


妹の死をとむらうクリュティエはすごく小さく見え、何と声をかけれぼ良いかわからなかった。


僕が目を瞑った後、キュクノスの群れは飛竜たちを撒こうと速度を上げた。


飛竜は身体が大きいが故に全力を出したときのキュクノスほどスピードが速くないことを知っていたので勝算がかると踏んでいた。


しかし、真正面に回り込んだレブレが口から熱風のブレスを吹いて島に落とされた。


シルフィは瞬時にガルーダを召喚しようとしたがクリュティエに強く止められた。


これ以上召喚の力を使えば彼女の命が危ないことを知っていたのだろう。


すでに彼女の血管は出会ったときよりも紫色が濃くなっていた。


レブレのブレスは他の飛竜よりも強力で、まともにくらったらただでは済まないことを知っていたプロクレイアが身を呈して守ってくれたおかげで僕は軽傷で済んだが、代わりに彼女は……


幸い、この場所は飛竜の大きさでは入れないため誰も食べられてはいなかったが、お腹を空かせている彼らに見つかるのは時間の問題。


陽が落ちるのを待ち、数体のキュクノスが安全を確かめた後、彼女の墓を作った。


手を合わせようとしたとき、あることに気づく。


シルフィの姿がない。


クリュティエやペテロに訊いてもわからないという。


洞窟から少し離れた山のふもとにある小さな岩にちょこんと座る一人の天使。


そっと近づき声をかけようとすると、


「私のせい」


遠くを見つめながら儚げに言う彼女からはいつもの元気な姿はどこにもなかった。


「私がわがまま言ったばっかりに。空を飛びたいなんて願うからプロクレイアは……。いつもこう。私が空を飛びたいと願うと誰かが傷つく。やっぱり私は災いを齎す悪魔なんだ」


「きみは天使だ。悪魔なんかじゃない」


彼女はせきを切ったように強い言葉で吐き出した。


「じゃあなんで私だけ空を飛べないの?なんで私だけこんな力があるの?王族の血なんてなければもっと静かに平穏に暮らせたのにどうして」


行き場のないいきどおりを小さなこぶしの中に押し込みながら双眸に浮かぶ泪に心がざわつく。


「シルフィはシルフィだ。優しくて強くてかっこいい僕の天使だ」


「私はわがままで弱くて醜い天魔の子」


「なら僕はずるくて卑怯な悪魔の子だ」


「これ以上誰かがいなくなるのは嫌なの」


「僕がいる」


「私のそばにいたらたくさん傷つけちゃう」


仮にそうだったとしても僕の気持ちが揺らぐことはない。


「きみのそばにいたいんだ」


「いつか嫌になっちゃうよ?」


先のことなんて誰にもわからない。


だからこそ相手を信じることが必要で、そばにいることが重要なんだ。


「僕にはきみしかいないから」


彼女のそばにいたいという気持ちは出会ってからずっと変わっていない。


こんなにも夙夜夢寐しゅくやむびになったのははじめてだ。


誰よりも彼女の笑顔を見たい。


誰よりも彼女の理解者でいたい。


彼女が空を飛ぶ姿を見たい。


「信じてもいいの?」


「いい。と思う」


「もう、こういうときはハッキリと言ってよ」


「ごめん」


腕の中から伝わる彼女の香りと温もりが、全身の細胞すべてを包み込む。


しばらくこうしていたかったが、現実は甘くなかった。


強い風が背中を打ちつけ、背後から禍々しい気配を感じた。


振り向いた先にいたのは黒い胴体に大きな四枚の羽。


左右非対称の色をした瞳。


「レブレ⁉︎」


「ここにいたか。我々の餌はどこだ?」


少し歩いたところに彼らはいるが、居場所を伝えるわけがない。


かと言ってここで糊塗ことできるほど器用な性格はしていない。


だからどうしても守る必要がある。


「ここにはいない」


絞り出した結果、そう答えるしかなかった。


「それならお前たちを喰らう。人肉なら多少の腹の足しにはなるだろう」


オッドアイの鋭い眼光と黒い身体を揺らしながらゆっくりと近づいてくる。


飛竜からすれば僕ら人間は蟻のように小さく簡単に踏み潰せる存在。


オードブルにもならないスイーツ感覚で食べられてしまうだろう。


すぐにでも逃げ出したくなるくらい震えているが、いまは守らなきゃいけない人たちがいる。


いつも誰かに守られてきた。


ずっと甘え、逃げてきた。


ここで彼女を守らなければ男としての何か大切なものを失ってしまう。そんな気がした。


「ここは僕に任せて」


「でも……」


島一つを破壊するような飛竜族のリーダーに不登校高校生が立ち向かうなど無謀でしかない。


心配そうに見つめる彼女だったが、これ以上力を使わせるわけにはいかなかった。


赤紫に染まる血管を見て強く思う。


これ以上無理をさせればきっと彼女の体内から血がなくなってしまう。


そうなれば彼女は……。


たまから何としても守らないと。


彼女が物陰に隠れたのを確認し、ロベールの形見の剣とイェグディエルの盾を取り出す。


直後、レブレがくるりと反転し長く太い尻尾でスイングすると僕は軽々と吹き飛ばされた。


その衝撃で岩山にぶつかり全身に激しい痛みが走る。


物陰から顔を覗かせていたシルフィに気づいたレブレがそちらの方に向かってゆっくりと近づいていく。


彼女は手を翳して何かを詠唱しようとしていた。


「ダメだ‼︎」


痛む身体を起こしながら力を使わせないよう制止する。


「でも、カナタくんが」


「僕は大丈夫だから下がってて」


さっきの衝撃で頭を打ち意識が朦朧としているが、彼女を守ることに集中した。


「シルフィには指一本触れさせない」


ターゲットを僕に変えたレブレ。


「人間にしてはしぶといな」


「しぶとさだけが取り柄なんでね」


次の攻撃に備え盾を構えながら腰を落として距離を縮める。


レブレがその大きな口を開いた。


噛み殺される?


それともブレスを吐いて焼き殺される?


一か八かの賭けに出た。


彼の口から燃え盛る炎が放たれ、辺りの木々を次々と燃やしていく。


イェグディエルの盾で身も守りながらさらに距離を縮めると、勢いよくジャンプしてレブレの喉元に剣を突き刺した。


ブレスを吹いている間は身動きができないことは想像できていた。


悶えたような声と同時にブレスは止んだが、怒髪天どはつてんいたレブレが四本の足をばたつかせながら暴れ回った。


激しい地鳴りで立っているのがやっとの状態でシルフィのもとまで駆け寄ろうとしたそのとき、バットという名の尻尾をスイングし、野球ボールのように遠くに吹き飛ばされた。


その衝撃で持っていた盾も飛ばされ、そのまま地面に打ちつけられた。


「カナタくん‼︎」


不安に満ちた声が聴こえてくるも身体が言うことを聞かない。


激しい痛みで起き上がることもできず、全く力が入らない。


満身創痍まんしんそういとはこのことを言うのだろうか?


このまま飛竜の餌になるなんて嫌だ。


シルフィを守るって決めたんだ。


そのためにロベールにお願いして厳しい特訓を受けた。


いつもいつも大事なところで足を引っ張る自分が情けなくなる。


こんな状況なのに空の青さに見入ってしまう。


ちゃんと学校行っておけばよかったな。


何かに打ち込めるものがあれば違ったのかもな。


過去という取り返せないものに思いを寄せながら、自分がいままでの人生で何も成し遂げていなかったことを後悔する。


「……ナタ……くん」


いよいよやばい。


吹き飛ばされた衝撃で空耳が聴こえてきた。


どのくらい飛ばされたのかはわからないけれど、シルフィが近くにいるわけがない。


僕のところに来る前にきっとレブレに捕まっているだろうから。


「カナタくん、大丈夫?」


亡霊が見えた。


本物そっくりの亡霊が。


目を擦り何度見返すも、声も顔も本物と瓜二つ。


ドッペルゲンガーがこんな近くにいたなんて。


「ねぇ、カナタくん。本当に大丈夫?」


美しいミントグリーンの髪が僕の鼻腔をくすぐり、むず痒くてくしゃみをした。


心配そうに覗き込んでいた彼女がくすっと笑うと僕もそれにつられて笑った。


「本物?」


「もう、何言ってるの?」


天使の微笑みに身体の痛みは一気に飛んでいった。


「具合はどう?」


「きみの笑顔を見てたら治ったみたい」


なにそれと言いながら破顔する彼女を見て力がみなぎってくる。


シルフィが無事で良かった。


それにしてもこの思い込みの激しさはそう簡単には治らなそうだ。


大きな口を開けながら四枚の羽を広げ突進してくるレブレ。


このままいけば鷹に捕えられる兎のように飛竜たちの餌となってしまう。


でもまだ死ぬわけにはいかない。


丸腰のまま彼女の前に立ち、レブレに立ち向かう。


絶対にシルフィを守る。


そう心に誓った僕は、忍ばせていた吹き矢、手裏剣、撒菱すべてを投入し動きを止めようとする。


しかし、どれも咄嗟に出したため的が外れて当たらなかった。


スピードを落とすことなく急降下してくるレブレ。


距離が一気に縮まり目の前まで迫ってきたとき、クナイを取り出し投げた。


口の中に刺さると、レブレは大きな声で鳴いたが、突進してきた勢いそのままに僕は前足で両腕を掴まれ宙に浮いた。


「カナタくん‼︎」


話すこともできないくらい血まみれになっているレブレだが、子供たちが飢え死にしないよう僕という餌を手放さないよう必死だ。


そのうち僕は飛竜の餌となり生涯を終えるだろう。


最期まで格好悪かったけれど、彼女とキュクノスたちを守ることはできた。


さようなら清阪 奏達、十七歳。


シルフィ、迷惑ばかりかけてごめん。

そして、ありがとう。


宙に浮きながらレミニセンスしていると、ふと最後に食べたいものが頭に浮かんだ。


母親の作る味噌汁。


白味噌ベースで塩分少なめのすっきりとした優しい味。


もっとジャンキーなものを食べたくなるかと思ったけれど、やっぱり最後に欲するのは母の味だった。


刹那な命を噛み締めていると、地上から聞き慣れた声がしてきた。


「クリシュナ神よ、私に力をお貸しください」


嘘だろ?


「シルフィ、ダメだ!それ以上力を使っちゃ」


僕の声が届くよりも前に手のひらから眩い閃光が周囲に放たれると、全長十メートルのレブレよりも大きい真っ赤な鳥が目の前に現れた。


「フェニックス、カナタくんを守って。お願い」


彼女の声に呼応するように全身に炎を纏ったフェニックスがキィーと鳴くと、地球が太陽に呑まれるかのように辺り一体が真っ赤な光に包まれた。


あまりの眩しさにそのまま目を瞑ってしまった。


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