1-3

外が騒がしい。


恫喝どうかつや怒号ではなく、立てこもった犯人と対峙たいじする警察官たちのような静かな緊迫感。


起きていたシルフィが神妙しんみょうな面持ちで外を見ていた。


「おはよう。どうしたの?」


行けばわかるわという彼女の言葉に合わせ、声のする方へと向かう。


昨日のふわふわレース姿とは打って変わり、なぜか帽子を目深に被り羽を隠すようにコートを羽織っていた。


まるで何かから隠れるように。


そこにはたくさんのウィグロ人たちが王宮に向かってデモを起こしていて、少し離れたこちらにまで人でごった返している。


かき分けながら王宮の近くに着くと、中央にある大きな噴水を囲むようにしてウィグロ人たちが広場全体を陣取っていた。


王宮へとつながる正面階段には鎧を着たウィブラン人たちが剣と盾を持って仁王立ちしている。


長いこと迫害を受けてきたウィグロ人たちによるデモ。


「明日ね、お母様の生誕祭なの」


「お母様ってこの国の王女のこと?」


「そう、イーリス・フォン・レーゲンスはこの国の女王で私のお母様」


この日は女王の生誕祭前日。


夜には前夜祭が行われる予定でそれを阻止しようとしているようだ。


その前夜祭は王宮内で行われ、ウィブラン人しか参加することができない。


普段は限られたものしか王宮に入ることは許されないが、生誕祭の前夜は一般人も入ることができる特別な日。


しかし、それはウィブラン人の話。


黒い羽を持つウィグロ人は絶対に入ることができず、それはシルフィも例外ではない。


王族の娘でありながら一度も生誕祭に参加したことはないのだ。


なぜ実の子を王宮に入れないのかは本人にもわからないらしいが、その複雑な心境は毎年この時期になるとやってくるそうだ。


生誕祭の費用はウィグロ人たちが汗水垂らして働いたお金から抽出ちゅうしゅつされているとの噂。


そのことを恨んでか、彼らは毎年のようにデモを起こしているそうだ。


デモのリーダーらしき人が王宮に向かって何かをうったえている。


「暴力反対!」


(暴力反対!)


「ウィグロ人にも人権を!」


(ウィグロ人にも人権を!)


熱を帯びた様子はなく淡々と抗議している。


王宮を守っていた兵士たちがウィグロ人を一人ずつ押さえ込み、そのままどこかに連れていった。


「毎年お母様の生誕祭にデモを起こしてはウィグロ人が連れていかれる。同じ人間なのにどうして争うんだろう」


「お母さんには言わないの?」


「そんな簡単な話じゃないから……」


イーリスもリリィも対岸の火事とでも思っているのだろうか。


自国のことなのに何も感じていないのだろうか?


いつの時代にも力なきものや下の階層な人たちだけが巻き込まれる。


この国の歴史はわからないが、もしかしたらホロコーストが起きていた可能性だって捨てきれない。


同じ人間なのによく知ろうともしないで勝手に差別して。


このデモの中に羽を持たない地上人と王族の娘でありながら黒い羽を持つ彼女がいると目立つので、広場から少し離れた場所で見ていた。


シルフィ曰く、代々レーゲンス家は美しいミントグリーンの髪と瞳で生まれてくる。


通常なら誰もが羨むその美しさだが、シルフィにとっては逆にそれが苦となっている。


王族の娘なのに羨望せんぼう情景しょうけいの念はなく、むしろ軽蔑けいべつ眼差まなざしを浴びている。


国をべるために生まれてきた崇高すうこうな一族の娘が、黒い羽で空を飛べない片翼なのだから。


彼女は城から出るとき真夏でも帽子を目深に被り、上着を着て背中を隠す。


それでも特徴的なミントグリーンの髪を隠すことはできず、すぐにバレてしまう。


デモを避けるように僕たちは広場を離れ、家に戻るとロベールが朝食を作ってくれていた。


「おはようございます。朝食をご用意しました。


かごいっぱいに入っていたのはできたてのBLTサンド。


「これ、ロベールさんが?」


「えぇ、料理は少しばかり得意でして」


絶妙な焼き加減と香ばしい香りが鼻腔を刺激する。


そういえばここに来てからまともに食事をとっていなかった気がする。


紅茶をれ優雅な朝食をいただく。


「ロベールのご飯は美味しいんだよ。たまに焼き菓子も作ってくれるんだから」


嬉しそうに話す彼女の表情からロベールの料理は本当に美味しいことが伝わってきた。


「お嬢様もお料理をなさってみては?」


「昨日作ったもんね?」


当然美味しかったよね?と同意を求めるように自信満々に僕に向かって笑顔を見せる彼女に何て返せば良いかわからなかった。


頼むから味の感想だけは訊かないでとロベールに目で訴える。それを察したのか、さすがでございますと一言返してやり過ごしてくれた。


シルフィがトイレに行っている間にロベールに問いかけた。


「どうしてこの世界では羽の色で差別するんですか?」


湯気の立った紅茶をゆっくりと飲んだ後、


「一冊の絵本による影響です」


「絵本?」


「ヘメリアには白い羽を持つ『ウィブラン人』と黒い羽を持つ『ウィグロ人』の二つの人種が存在します。昔は羽の色など関係なくみな平等で平和に過ごしていましたが、約三百年前に広まった絵本の内容があまりに過激で、それにより多くのものが影響を受けました。人々はわざわいをもたらした天魔と悪魔、それに仕える黒い鳥を恐れ、それが派生していき、ウィブラン人によってウィグロ人が迫害されるようになりました。最近では現実に起こったことと勘違いしているものすらいます」


「シルフィはその生まれ変わりだと?」


「片翼の子が生まれてくることはごくまれで、その黒い羽と王族の娘という立場もあってそう云われてしまっているのです」


人はかつて見たものやイメージしたものと似ているものを見ると自然と照らし合わせてしまう生き物。


その共通点が多ければ多いほどその生まれ変わりとして認識されていく。


真相はともかく、人の噂というものは飛躍ひやく誇張こちょうされ、屈折くっせつしていくもの。最初の事象からそのまま真っ直ぐレールの上を走ることはまずない。


時の流れとともにいつしか顕在けんざい意識から潜在せんざい意識へと変わっていったということか。


ー突如激しい音がした。


まさか、前夜祭を前にデモが激化したとか?


駆け足で音のする方へと向かうと、デモを起こしてはずのウィグロ人たちが意識を失っていた。


王宮の入り口を守るようにシェラプト兵団たちが武器を持って何かと対峙している。


その中の一人の青年が鋭利な槍を持って指揮している。


「レネ」


シルフィの言葉を振り向いた金髪の兵士。


キリッとした目に整った顔は同性の僕も羨むほどのイケメン。王子様のようなで立ちだが少しだけ冷たい印象を受けた。


「シルフィ、それにロベールさんも」


「レネ、一体どうなってるの?」


「ソルニアのやつらがいきなり襲ってきやがった」


「ソルニアが?」


驚く様子のロベールに、


「はい。いきなり上空から無数の槍を落としてきたんです」


「なぜです?」


「わかりませんが、とりあえずここは僕たちに任せてください。やつらの狙いはシルフィの可能性もあります。ロベールさんはシルフィを安全な場所へ」


どの国もそうだが、王族の首を取ることはその国を獲ることを意味する。

兵団のトップである姉のリリィの首を取ることくらいシルフィの首の価値は高い。


さらに天魔の子と噂される存在がいなくなることは、この世界そのものの安全性や安心感を与える契機ともいえる。


広場を占拠するほどの数のソルニアの兵士たちがタイミングを計るかのように睨み合いが続いている。


さっきまでデモを起こしていたウィグロ人たちの多くは逃げ遅れ、黒焦げになって横たわっている。


「あの人たちを助けないと」


「何人いると思ってる?気持ちはわかるがこの状況で全員助けるのは無理だ」


レネの言う通りだ。


上空にはソルニアの兵士たちが大量にいる。


冷たく聞こえるが、この状況で戦火に飛び込むのは無謀以外のなにものでもない。


「一人でも多くの人を助けないと」


「自分も死にたいのか?」


食い気味に口調を荒げながら言うレネの目は真剣だった。


最優先事項を自分にしていないことをうれいての発言だろう。


「でも……」


彼女を心配するレネの気持ちも、目の前の人を助けたいというシルフィの気持ちも理解できる分、目元に泪を浮かべる彼女の姿に居た堪れなくなった。


「いいから逃げろ」


「レネ、わたくしがお嬢様を連れていくのでここは頼みます」


「任せてください」


ロベールがシルフィを連れて裏道に身を潜める。


二人について行こうとしたとき、


「おい、地上人。これを持て」


そう言って片手で放り投げたのは小さな鉄製の盾だった。


えっ?


「お前も戦え」


えっ⁉︎


戦うって僕が?


格闘技はもちろん喧嘩すらしたことないのに?


それにこんな小さな盾でこの数の敵を防げるとは思えませんが。


せめて武器をくれ。


そしたら頭数に入るくらいにはなるだろう。


これでもオープンワールドのRPGはやりこんでいる。


学校にもいかず毎日十時間以上やっていたこともある。


スマホを触る時間よりもコントローラーを触る時間のほうが長かった。


「とりあえずそれを持って王宮の入り口を守ればいい」


とりあえずって、この格好でか?


学蘭にローファーなんですが。


せめて鎧か動きやすい服を貸していただきたい。


レネの前に立つ盾兵たちに目がいった。


大人一人を護るには充分な大きさの盾を構えて敵の攻撃にそなえている。


「あの大盾はないのか?」


「お前にあれは扱えない」


「どうして?」


「お前の細さじゃ無理だ。それに素人だろ」


素人を戦争に巻き込んだのはどこのどいつだ。


しかし、レネの言葉を否定できなかったのは事実。


筋トレなんてしたことないし、外で遊ぶこともほとんどない。


友達もいないから一人で桃鉄とか人生ゲームとかUNOをしていた。


たまに外に出ても一人で忍者ごっこをしていた。


振り返れば振り返るほど自分のプライベートが恥ずかしくなっていった。


「攻撃はしなくていい。とにかく盾を構えて防御に徹しろ。絶対に王宮に入れるなよ」


レネは表情ひとつ変えずに言い放ったが、命懸けの無理難題を要求するとはなんてやつだ。


何よりめちゃくちゃ偉そう。


やっぱりイケメンは苦手だ。


そのルックスだけで僕らが味わっていない甘い蜜を無条件に味わえるんだから。


ひがみとねたみを込めた拳でその偉そうな態度を是正ぜせいしてやりたいと心の中で思う。


「来るぞ」


レネの言葉の後、上空にいたソルニア兵が次々と広場に降り立った。


兵を引き連れる二人の男は明らかに存在感が違う。


頭のキレそうな金髪ロングのすらっとした男は重そうな剣を持ち、その横にいるモヒカンの大男は巨大な斧を肩に乗せている。


「フィルマン兄弟⁉︎」


レネの前にいた盾兵の一人が目を大きく見開きながらそう言った。


「ソルニア兵の隊長と副隊長自ら?」


「いまスティネイザーと戦争中のはずなのになぜここに隊長クラスが?」


横にいた二人の兵士も驚きを隠せないでいる。


「彼らは?」


僕の問いに、


「やつらは数万人を率いるソルニア兵の隊長と副隊長。長い髪の方が隊長のエデン・フィルマン。その横にいる大男が弟で副隊長のアクセル・フィルマン。とくに弟は危険だ。力こそがすべてだと思っていて、反抗するものは味方でも容赦ようしゃなく殺す猟奇的りょうきてきなやつだ。兄はまだしも弟に大義名分たいぎめいぶんは存在しない」


倒れているウィグロ人を蹴り飛ばしたアクセルを見た兄のエデンが冷静に注意すると、アクセルがごめんよと謝る。


見た目は弟の方が強そうだが、兄の方が立場が上だということが伺える。


そんな兄エデンの眉間みけんには大きな罰点ばってんの切り傷がある。


ゆっくりと王宮に向かって歩いてくるフィルマン兄弟。


「リリィ・フォン・レーゲンスはどこじゃんね?」


どうやらエデンの狙いはリリィのようだ。


待ち構えていたかのように王宮の扉がゆっくりと開く。


ミントグリーンの長い髪を後ろで結び、なんとも形容しがたいオーラにすぐにリリィだとわかったのですぐさま柱に隠れた。


背中からゆっくりと二本の剣を抜いてエデンの前に立つ。


「久しぶりだな、エデン」


「貴様につけられたこの傷、忘れたくても忘れられんでな」


眉間の傷を指でなぞりながらリリィをめつける。


「その傷があった方が良い男だぞ」


小馬鹿にした言い方でエデンを挑発するリリィは勇ましくも威圧感があった。


「貴様のせいで俺の美しい顔が台無しになったでな」


「ナルシストは嫌われるぞ」


「この傷の恨みを晴らすまでは死ねないじゃんね」


「しつこい男はもっと嫌われるぞ」


洟でフンっと笑った後にさらに挑発するリリィ。


「その首をハロルド様に捧げ、この国をもらってやんよ」


「貴様では私には勝てない」


「双剣のリリィをればこの国は終わりじゃんね」


二人は同時に上空に飛び立ち、目にも止まらぬスピードで剣を交えた。


柱から身を乗り出した僕に、


「地上人、何してる?持ち場につけ」


持ち場も何も兵士になった覚えはない。


そもそもいま命懸けのボランティアをしているんですが。


リリィに見つからないよう半身になってレネに問う。


「あの二人、何か因縁いんねんでもあんのか?」


「数年前、フィルマン兄弟がこの地に偵察にやってきたとき、エデンがリリィ様に一目惚れしてな。事ある毎にこの地にやってきて強引な迫ろうとしたが、あまりにしつこいからひたいをエックス状に斬りつけたんだ」


恋心からくる恨みなのか、下心からくる腹いせなのか。


たしかにリリィは美人だけれど、あれだけ気が強いと威圧感しかないと思うのは僕だけだろうか。


青空の中、流れ星のように二つの光が上空を行き来している。


「すげー!」


あまりの速さに僕は戦場にいることを忘れていた。


「おい、余所見よそみしている余裕なんてないぞ。早く戻ってこい」


前に立っていたレネが横目で注意する。


「来るぞ!」


弟のアクセルがほの巨漢からは想像できないくらいのスピードで突進してくる。


王宮の入り口を護る盾兵たちの前で立ち止まると、大きな斧を横に一振りし、その風圧で薙ぎ倒す。


軽く振っただけに見えたが、簡単に吹き飛ばされていく兵士たち。


なんて力だ。


こんなのまともにやりあったら即死する。


気づけば王宮の前には僕とレネだけしか残っていなかった。


アクセルはレネを見て、


「お前、副団長のレネだな」


「よくご存知で」


「最年少で副団長になったってソルニアでも噂になっている。どれだけ強いか楽しみじゃんね」


生憎あいにく、僕はその辺のやつらよりは強い。でも、あんたみたいな脳筋と戦っても楽しくない。どうせやるならもっと賢いやつとやりたいよ」


「人を見た目で判断するなよ。ソルニアの兵士は頭脳もないと出世できんでな」


「どうでもいいさ。それより、どうして王宮を狙う?」


「さぁね、俺たちにもわからんよ」


「理由もわからず襲ってくるなんてやっぱりソルニアの連中は野蛮やばんだな」


野蛮という言葉にアクセルは明らかに表情が強張った。


「崇高なソルニア人に向かって無礼じゃんね。次言ったら容赦せんでな」


怒気どきはらんだ言葉に大きな斧を振りかさず姿勢のまま猪のように突進してくるアクセルに対し、レネは腰を落として連続して槍を突き刺す。


その動きの速さに目が追いつかなかった。


首元を狙って槍を突き刺すが、アクセルのしていた左手のガーダーで防ぐと、斧で槍を吹き飛ばした。


槍を失ったレネがボクシングの構えからアクセルの周りを機敏に動き、左足目掛けて連打する。


「そんなへなちょこパンチ効かんでな」


それでもレネはパンチを止めない。


「ちょこまかとやかましい」


イラッとした表情の後、ようやくレネを捕まえると、


「お前、思っていたより弱いでな」


少し物足りなそうな顔をしながらレネを片手で放り投げた。


王宮の前には僕しかいない。


リリィとエデンはまだ空中戦を繰り広げている。


ちょくちょくエデンが地面に叩きつけられているが、都度起き上がりまた上空で斬り合う。


アクセルは僕を見つけると、ニタッと不適な笑みを浮かべて斧を肩に乗せながらゆっくりとこちらに向かってきた。


あきらかにナメられている。


足の震えが止まらない。


抑えようにもまったく収まらない。


はじめて練習試合に出たときよりも震えている。


きっとこのまま殺されるのではないかという恐怖感も相まっているかもしれない。


立っているのがやっとの状態だ。


学蘭に小さな盾という不相応ふそうおうな格好のまま大男を待ち構える。


もちろん勝算なんてない。


僕の顔をじーっと見て、「お前、ディアボロスの子か?」


一瞬驚いた表情を浮かべたアクセル。


「だったら何だよ」と答えると、フンっと洟で笑った後、「思ったより小さいでな」


少しは形勢逆転の機会があるかと期待したがまったく怯んでいなかった。


盾をアクセルに向けるが斧を振りかざすアクセルはさらに大きく見え戦慄した。


ダメだ、殺される。


アクセルはもてあそぶように目の前で風を起こし吹き飛ばす。


ひと振りしただけなのに身体が宙に浮き、近くの壁に打ちつけられた。


その衝撃に身体が硬直した。


アクセルが徐々に近づきながら再び斧を振りかざすと一瞬だけ体勢を崩した。


さきほどレネによって連打されていた左足のほうだ。


斧で斬るときに踏み込む足を計算して左足を重点的に殴っていたのか?


空を飛ぶにしても両足で踏み込む力がないと上手く飛べない。


そこも計算していたのだとしたらレネの状況判断はすごい。


負けた気がするから本人には絶対に言わないけれど。


再び僕の前で斧を振りかざすと、


「アクセル」


上空からエデンの野太い声がした。


さっきまで空中戦をしていたエデンがアクセルと合流する。


髪は乱れ、鎧にはたくさんの切り傷があった。


「一度王都に戻るぞ」


「この地上人をったら終わるじゃんね」


「明後日、グリューンの首を取る」


「明後日ならいまのうちに……」


「ハロルド様の命令だ。スティネイザーを確実に堕とすためにはいまのうちから準備が必要だとよ」


少し不服そうな顔をしたアクセルは、僕は見下しながら、


「ディアボロスの子よ、命拾いしたでな」


上空で戦っていたエデンもリリィに向かって、


「リリィ、次は必ず仕留めるでな」


そう言ってソルニアの兵士たちは一斉に去っていった。


独特な口癖の兄弟がいなくなり、その安堵感から思わず腰が抜けた。


どうして急に引いていったのかはわからないが、命拾いしたのは事実。


あのまままともにやりあっていたら出来レースにも程がある。


しばらくしてレネが戻ってきた。


あれだけやりあっていたのに傷ひとつなくピンピンしている。


合流したレネが怪訝けげんな表情を浮かべているが、おそらく僕と同じことを考えているのだろう。


ソルニア兵はシェラプト兵団よりもはるかに数が多い。


いまはスティネイザーの首都を狙って戦争中のため、間に挟まれているこの国は間接的に被害をこうむっている。


しかし、さすがのソルニアも同時に二つの国を攻めるような器用なことはしない。


そのはずなのになぜか攻めてきた。


しかもどこか手加減をしているように思えてならなかった。


フィルマン兄弟以外は王宮を攻めようとはせずに誰かの指示を待っている状態に見えた。


陽動作戦か何かだろうか?


さきほどまでエデンと対峙していたリリィが上空から合流してくるのが見えたので、急いで柱に身を隠す。


昨日脱獄したばかりだし、バレたら何をされるかわからない。


柱からレネとリリィの会話に耳を傾ける。


「リリィ様、ご無事で」


「当たり前だ。あんなやつにやられる私ではない」


大きな白い羽を畳み、二本の剣を背中に仕舞い腕を組む。


見たところかすり傷ひとつない。


「しかし、やつらはなぜここに現れたのでしょうか?」


「母上の生誕祭にグリューンが来るとの噂でも耳にしたんだろうよ。ついでに私の首も獲ろうという魂胆こんたんだろうが甘く見られたものだ」


グリューン・ヒルデブラント。


隣国スティネイザー王国の一人娘でありながら兵を率いているリリィの良きライバル。


衰弱状態の父(国王)に代わり、指揮をとっている。


「本当にいらっしゃったのですか?」


「どこぞのものがソルニアの戦力を落とそうとデマでも流したのだろう。それに、本当に来るなら私から迎えに行くさ」


「お二方は本当に仲が良いですね」


「腐れ縁みたいなものだ。昔から剣を振るってきた相手だからな。彼女に負けたくないだけだ」


「リリィ様と比べることすら烏滸おこがましいくらいですが、グリューン様も相当お美しいですから」


「グリューンは国の繁栄と父親の病を治すこと以外興味のない女だ。思わせぶりにも見える態度に他意はない分、多くの異性から好意を持たれているのも事実だ。お前もせいぜい気をつけろよ」


「小生はブレませんので」


「そんなにシルフィが良いか?」


「えっ?」


まるで見透かされているようなリリィの発言に驚く様子を隠せないでいるレネに僕も思わず声が出そうになった。


このイケメンもシルフィが好きなのか?もしそれが本当なら強敵だ。


顔もスタイルも何ひとつ敵わない。


でも、簡単に彼女を渡すつもりはない。


不登校高校生だって一国の姫の心を掴めることを証明してみせる。


柱に身を隠しながら心の炎をメラメラと燃やす。


「まぁ良い。貴様が誰に想いを寄せようと任務を遂行してもらえればそれで良い。生誕祭が終わるまでは母上の護衛につかなければならん。王宮に怪しいものは決して入れるなよ」


「はっ」


敬礼をしたレネに背を向け、リリィは王宮内に戻っていった。


リリィが去ったのを確認した後、柱から顔を出して問いかける。


「シルフィのこと好きなのか?」


唐突な質問に驚くレネ。


「お前、聞いてたのか?」


「シルフィと付き合ってるのか?」


顔を紅潮こうちょうさせながら数回瞬きをして、


「そ、そんなわけないだろう。ただの幼馴染だ」


強くてイケメンで幼馴染なんてステータスが違いすぎる。


「お前こそシルフィが好きなのか?そもそもどうして地上人がここにいる?お前は一体何者だ?」


ここは取調室か。一気に質問しすぎだろ。


立て続けに質問してくるレネに苦言をていした。


「お前じゃない。清阪 奏達だ」


自己紹介しなかった僕も悪いが、連続で「お前、お前」と言われて腹が立ったので喧嘩腰で名乗る。


「カナタはシルフィと仲良いのか?」


仲が良いというにはまだ早いと思うし正直わからない。


友達や親友と一緒で明確な指標などないし、感覚値の問題だから。


そもそも出会ってまだ二日しか経っていないし。


「気になるのか?」


「当たり前だ。シルフィは僕の大切な幼馴染だからな」


幼馴染という言葉はずるい。


いきなりシード権を得ている感覚。


おそらくレネもシルフィに恋心を抱いている。でも、こいつにだけは負けたくない。


いまは一つも敵うことはないけれど、必ず超えてやると決意する。


シルフィとロベールが合流してきた。


「二人とも大丈夫?」


心配そうなシルフィに、


「余裕だ」


低い声でそう言うレネが格好つけているように思えてならなくて、変な対抗心に火がついた。


「ぼ、僕も大丈夫だ。傷ひとつない」


負けじと低い声でそう言ったものの、先の戦いで身体がバキバキだった。


だいぶライムラグがあったが足腰が言うことを聞かずその場に倒れ込んだ。


「ちょっとカナタくん、大丈夫?」


目の前に駆け寄り、不安そうにじーっと見つめる彼女の瞳はあまりに可愛く目を合わすことができなかった。


「だ、大丈夫だから安心して。ちょっとくじいただけだから」


「よかった」


胸をで下ろしたシルフィとは逆に、レネは僕のことを少し小馬鹿にする。


「ディアボロスにそっくりなくせに軟弱だな」


「ちょっとレネ、そんな言い方しないでよ。必死に戦ってくれたんでしょ」


シルフィに怒られ不貞腐ふてくされているレネはどこか子供っぽく思えて少し優越感だった。


「それより、倒れている人を助けないと」


幸い僕は軽めの傷で済んだが、盾兵たちもデモに参加していたウィグロ人や傍観者ぼうかんしゃのウィブラン人たちもぐったりとして起き上がってくる様子はない。


身体を起こして広場に向かおうとすると、


「救護班がやってくれている」


レネの言葉通り王宮から救護班が次々と現れた。

しかし、倒れている数と比例していない。

ウィブラン人のみ助けに向かっているように見えた。

おそらくウィブラン人を優先的に助けに言っているのだろう。


「あのさ、目の前に傷ついている人がいたら助けるべきなんじゃないかな?」


役割があるのはわかるけれど、目の前に傷ついている人がいるのに何もしないなんて違う。


何かのために戦っている人が傷ついているのに助けようとしないのは間違っている。


久しぶりに感情的になった自分がいた。


「カナタくんの言うとおりだよ。困ってる人がいたら助けるべき」


「さっきの攻撃で丸焦げだ。もう遅い」


ここからでもわかるくらい黒い羽は骨だけを残し、全身の皮膚は焼け焦げている。


ソルニア兵による空からの槍シャワーでみな意識不明だ。


「どうしてそんなことを言うの?まだ息をしている人だっているかとしれないじゃない。それに、いまなら全員助けられるかもしれないし」


シルフィの瞳からは少し光るものが見えた気がする。


「戦争に犠牲はつきものだ」


レネの言葉は冷たいというより割り切っているようにも思えた。


「それはウィグロ人だから?」


「そうじゃない」


「もしあれがウィブラン人で、レネの友達や家族がいても同じことが言えるの?」


「そうじゃない。兵士になった時点で常に死は覚悟してる。僕は王宮と国民を守る義務がある」


「そこにウィグロ人は含まれてないんだね」


「すべてを守ることは不可能だ」


「レネのそういうところ好きじゃない」


怒りと哀しみを込めた低い声で冷たく言い放つシルフィに萎縮いしゅくする。


レネを一瞥いちべつした後、痛む足腰を我慢しながらシルフィとロベールとともにウィグロ人を助けに行く。


必死の治療もむなしく、ウィグロ人で助かった人はいなかった。


悲しみに染まるシルフィは両手を合わせ死者の冥福を祈る。


その後助からなかったウィブラン人にも手を合わせた。


王宮に戻りながら、

「レネって本当は優しいんだけど、どこか割り切ってるとこがあるの。副団長になってからよりそれは強く出てきた」


管理職に就く父親が、仕事をうまくやるには割り切りが必要だって言っていたことを思い出した。

すべてのことに対して真剣に向き合い続けても心が擦り切れてしまい壊れてしまうと。


当時幼かった僕には全然理解できなかったし、この歳になってもあまりピンときていない。


「シルフィはレネと仲が良いんだね」


他意はない。駆け引きめいたことでもない。シンプルにそう思った。


「幼馴染みたいなものだよ」


レネ・レンストラ。


シェラプト兵団副団長で、シルフィのことを認める数少ない一人。


それは特別な感情があるからだと思うけれど彼女を譲る気はない。


彼がまだ兵士になる前のこと。


シェラプト上空で起きたソルニアとスティネイザーの戦いにレネと友達も巻き込まれた。


怪我を負って空が飛べなくなったレネを治療したのがシルフィ。


しかし、治療も虚しくレネの友達は亡くなった。


それ以降レネは自分と同じ思いをさせないために兵士になることを決意したそうだ。


「レネって年下なのに生意気でさ、ちょっとオラオラ系なの。たまに年上なんじゃないかってくらい男らしいときもあってさ」


まるで好きな人のことを話すようにどこか楽しげな彼女に胸が痛んだ。


「待って、レネっていま何歳?」


「十五歳だよ」


十五⁉︎


「シェラプトでは十二歳から兵士になれるの。地上は違うの?」


日本にはそもそもそんな制度がない。


お隣の韓国ですら十九歳からだから、この国がいかに早いかがわかる。何より、二つ下の子にあんな偉そうにされるなんて。なんと生意気な。そしてなんと大人っぽい。


数年後に髭を生やしてスーツを着たらきっと英国紳士に見えるだろう。


「わずか三年で副団長に大出世とかすごいよね」


王宮近くの瓦礫がれきを片付けているレネと合流する。


「レネ、お疲れ様」


「ん」


シルフィに対して『うん』というたった二文字を略すとはなんという雑な返事。


「もう、雑な返事は相手を傷つけるんだよ」


その通りだ。


幼馴染とはいえ相手は王族の娘。


そんな無礼な態度が許されるなんてどんな関係だ。


「へいへい」


「もう、また雑な返事した」


この二人のやりとりは親子のようでもあり長年付き合っているカップルのようにと思えて胸の奥がキリキリと痛んだ。


気の知れた関係性が羨ましいと思いつつも僕と彼女の距離が遠く感じた。


「カナタくん、聞いて。レネは可愛いんだよ。いまはこんなツンツンしてるけど、昔はよく私のところにいたずらしに来てはロベールに怒られてたんだから」


「お、おい。急に何を」


「カナタくんに聞かせてあげようと思って」


よしてくれ。


シルフィとレネが仲良いのはわかったから、これ以上僕が踏み込める領域を減らさないでくれ。


「可愛いって言われるの好きじゃない」


少しむすっとした顔のレネを見て、やはりレネのことが好きなのだと感じた。


知り合って間もない僕よりレネは数年前から彼女を知っている。


守るだけの力も、空から見る美しい景色も教えてあげることは難しい。


もしシルフィが年下好きならもっと不利になる。


僭越せんえつですが、この場に長いこと留まるのは危険かと」


ロベールの助言通り、これから前夜祭の準備のため多くのウィブラン人がここに集まる。

僕もシルフィもここにいるのはよろしくない。


レネと別れ、家へと戻ることにした。

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