第7話 商業都市アウセルポート

 ベギラス帝国領アウセルポートは、帝都の海の玄関口と呼ばれている。港では荷揚げされた物資を毎日のように帝都へ送り、逆に帝都から運び込まれた高価な装飾品や絵画などが商船に積まれる。


 整備されたレンガ道が港を囲うようにめぐっており、様々な店がその街道に面していた。

 貿易商の事務所や服飾店、食料品店、理髪店など、どれ一つとして寂れておらず、港全体が活気に満ちていた。


 波止場に船を係留する。

 船内の客間にもどると、スピカがロングスカートにレースをあわせた貴婦人の服に着替え終わっていた。髪留めを外して髪を下ろすと、たしかに貴族のように見える。


「それでは行ってきます」

「よろしく頼むわね」


 見送るマトビアの方は、スピカの服に変わっている。

 アウセルポートに着く前の長い議論を経て、まずスピカが情報収集を行うことになった。俺たちが港で指名手配になっているかどうかを、聞き込みに行ってもらうのだ。


 階段から顔を出したマトビアは、港町を見回して目を輝かせていた。

 

「こんなにたくさんの商船が、港を出入りしているなんて知りませんでした」


 今にも甲板に出てタラップを越えそうなほど興奮している。


「頼むから話した通りにして、余計な事はしないでくれよ」


 マトビアは目が覚めるような笑顔を向けて、うん、と力強く頷いた。


 絶対、俺の話を聞いてないな……。


 帝都から脱出してまだ一晩しか経っていないが、帝都の情報網を侮ってはいけない。

 特に貴族は日に三度も手紙をしたためる者もいるし、口づての噂の伝播も早いと聞く。どこでどのように情報が伝わっているか分からないのだ。


 しばらくして、スピカが帰ってきた。


「酒場、ギルド、警らの詰所、教会も見て回りましたが、どこにも名前はありませんでした」

「おかしいな……アウセルポートでは指名手配されていると思っていたが」

「それでは、約束通り、私もドレスを売りについていきます」


 むう……。

 誰が服を売りに行くのか、という議論はすでに決着がついてしまっている。

 揉めに揉めた結果なので致し方ない。


 俺の考えだと、スピカ一人で売りに行くのが順当だ。

 しかし異を唱えたのはマトビア。

 自分が最も服の価値が分かると言ってきた。無論反対したが、港町で指名手配されていなければ、という条件で押し切られてしまったのだ。

 マトビアが外に出るとなれば、護衛役に俺も行かざるを得なくなる。


 港の保安員に船の見張り代として、最後の金貨を払った。いよいよ追いつめられている。スピカと俺はなんとなく目が合って、互いの気持ちを察した。

 一方、使用人姿のマトビアはレンガ道に立ってクルクル回転している。


「ああ、なんて魅力的な町なんでしょう! 胸がドキドキします。心が踊るとはこういうことなのですね!」

 

 こっちは別の意味でドキドキしているが。


「マトビア、あまり目立つ振る舞いは控えた方がいい。スピカの侍女なのだから、顔を伏せて、一歩さがって付き従わないと」

「はっ! そうでしたわ。……さあ行きましょう、スピカ様」


***


 港の喧騒から離れた裏通り。

 オレンジの果樹園を背に建つ、美術商の店を訪ねた。以前から皇居での一部の装飾品を仕入れていたレキソンという美術商で、様々な美術品を扱っている。ただ、黒い噂もあり皇居との取引は減少していた。


 レキソンは成り上がりの商人で、正規の手続きをせずに即決で売り買いすることで知られている。それゆえに、安く買いたたかれたり、盗品や偽物をつかまされることもあった。

 しかし一刻も早く金貨を手にしたい俺たちにとって、都合がいい。


 侍女のマトビアがドアを開けるとドアベルが鳴ったが、誰も出てくる気配はない。中に入ってみれば奥までずらりと古今東西の美術品が並んで、博物館のようになっている。


「これは、実際に使われた物なのかしら。とても美しいですわね」


 ケースに入った剣は、刀身は見えないが鞘に緻密なドラゴンの彫刻が施されている。ナイフに花瓶、絵画にシャンデリア。ジャンルはまったく違うが、どれもデザインが優れているように思えた。


 やがて奥から茶色のスーツを着た小柄な中年の男が出て来た。


「会う約束をしていましたかな?」

「あら、すみません。ちょっと港に用事があったので、こちらに寄ってみましたの。レキソンさん」


 スピカは軽く笑顔を作ると、一歩前に出た。

 なかなかの貴族っぷりだ。まあ、姫の侍従となれば何百もの貴族を相手にしてきたのだから、振舞い方は完璧だろう。


 レキソンと呼ばれた男は、頭を傾げながらスピカに近づくと、手をとって挨拶をする。


「やあ、これは……お久しぶりで……」

「帝都での祝勝会以来かしら?」

「あ、ああ……! そうですな、たしかに!」


 レキソンはスピカの顔をじっとみて名前を記憶から絞り出そうと必死だ。

 見た目も仕草も、そして出席したパーティーのことも知っているのだから、貴族でないことを見破るのは難しいだろう。


「じつは、折り入って買い取っていただきたいものがあるの」


 スピカは振り返ると、マトビアが持つ鞄に視線を送った。

 しかしマトビアは周りの美術品を見ていて気づかなかったので、後ろから小突くと、慌てて鞄を机に置いた。


「レキソンさんの奥様は、皇女マトビア様の大ファンでしたわよね」

「あ……ハア、よくご存じで」

「ここだけの話なのですが、皇女マトビア様が実際に着用されたドレスが手に入りまして」

「えっ!」


 鞄を開けると、白地のドレスが収められている。マトビアが広げれば、胸から腰まで淡いピンクの緻密な刺繍がレキソンの視界を覆った。


「おお……!」


 ドレスの影でマトビアが侍女らしく呟く。


「デザインは大陸で三本の指に入るデザイナー、レナードが手掛けています」

「かの有名なレナード氏が!」

「刺繍に使われた糸は、サンクスリア修道院の大司教ミノド様の加護を受けた魔法衣に使われるものです」

「聖人ミノド様の加護とは!」

 

 驚嘆したレキソンはドレスが本物であることを信じてくれたようだ。すぐに黒鞄を別部屋から持ち出してテーブルについた。


「では、こちらの金貨でいかがでしょうか」


 テーブルの上には金貨の山が二つ並べられた。

 あまり金のことに詳しくないが、スピカの目がぐっと開く。たぶん高額なのだろう。


「ありがとうございます。それでは、いただき……」


 テーブルに手を伸ばしたスピカの肩を、マトビアが突然つかんだ。スピカは耳打ちされると、手を引っ込めて座り直す。


「レキソンさん、私はまだいくつかのドレスを所有しているの。これから先も良好な関係を築くためにも、もっと適正な価格に近付けていただかないと」

「いやはや、うちみたいな貧乏商人には手痛い出費ですな。しかし、このような素晴らしいドレスが手に入るのであれば、少々身を削るのもいたしかたない」


 レキソンはテーブルにもう一つの金貨の山を足してきた。

 それをみてようやく、二人の女性は笑顔になった。


***


 金貨を手にしたスピカの足取りは軽い。

 レキソンの店を出て、スキップしながらスピカが港に繋がる坂道を下っていると、マトビアの足が止まった。


「あの剣、どこかで見たことがあると思ったのですが、海賊のものではないでしょうか」

「ん? ここに来るときに遭った海賊か?」


 たしかに、あの海賊の首領が似たようなサーベルを腰にさしていたな。

 あのとき客室でてっきり怯えているものと思っていたのだが、首領の姿までしっかりと見ていたようだ。


「美術商に飾ってあった短剣とデザインは同じですわ」

「レキソンは色々と悪い噂があるからな。もしかすると、裏で海賊と繋がっているのかも……」

「お兄様、私、ドレスがそういう者たちの手に渡るなんて許せません」


 突然マトビアは女傑のように凛とした空気を醸し始める。


「おいおい。ここでの目的はドレスを売って金銭に換えることだろう」

「私、いいことを思いついたんです」


 にっこり笑うと、マトビアは先行くスピカを呼び止めた。


「スピカ、ここで宿をとりましょう!」

「……へっ? なんで……?」


 不穏な空気を感じ取ったスピカは急いで坂道を登ってきた。

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