□月星歴一五三六年ニ月⑮〈謝罪〉

「あのぉ、娘を助けていただき、ありがとうございます」

 控えめな声がかけられた。

 杖をついた男性が、先程の少女と連れだってこちらに近寄ってきていた。


「怪我はなかったかい?」

 アウルムはかがみ、まだ目を潤ませている少女に目線を合わせて問いかける。

「うん、お兄ちゃんありがとう!」


 いつのまにか増え、遠巻きで見ていた民衆、いや、群衆の中からパチパチと拍手が起こった。

「お兄さん、格好良かったよ」

「いい啖呵だった」

「すかっとしたぜ。ありがとよ」


 先程の会話、もとい怒鳴り合いから、アウルムが何者なのかは解っているはずだ。

 それなのに、ありがとうという声が届く。


 アウルムは哀しいと感じた。


 目の前で今、人が死んだ。それが憎い相手だったとしても、動揺しない民。

 それだけ、死が身近な期間が長すぎた。

 その現実が哀しい。


 出兵するたびに居なくなる身近な誰か。知り合いの誰か。誰かの誰か。

 余りに多すぎた死。

 慣れてしまった哀しみ。枯れてしまった涙。麻痺してしまった怒り。

 異常であることに気付けない異常。

 これが今の月星の現実。

 己を含めて、この国は可怪しい。


 タウロが背中を押した。

 アウルムは覚悟を決める。


 ずいっ、と一歩前にでて集まっている顔を見回した。

「先程の、愚かな王に代わってお詫び申し上げる」

 アウルムは頭を下げた。ぎょっとする気配が伝染した。


「二週間前、突然ライネス王が討たれてアセルスのーーアンブルの軍がなだれ込んできてこの有り様。何がなんだか判らないという者が多いと思う。先ずは何が起きていたのか話そうか」


 アウルムはそう切り出した。


「皆も、七十年以上前の王家の跡目争いに晒され続けて、正直知ったこっちゃないという気持ちだっただろう。私もそうだ。さっさと終われば良いと思っていた。だが、各当主は背負う者が多すぎて、簡単には引けなくなっていた。

ーーその点ライネス王は潔かった。ライネス王はこの馬鹿げた内戦の勝敗をつけるべく、己が身をかけてタビスたる我が弟との一騎打ちを申し出て、敗れた。

ーーそこで終わるはずだったのだ。ジェイド派の方々は王の決定に従うつもりだったのだから。

ーーところが、アンブルの王はジェイド派の方々が素直に従うとは思えなかったのだろう。追撃の命をだした。それがこの有り様の理由だ。さっき落馬した男ーーそれがアンブルの王アセルス・ディア・ボレアデス・アンブルだ。あの男が石を投げられるのは通理だ。恨まれて当然のことをした」


 ふと、先程の神官長の言葉が過ぎる。


ーー悪行は見られている。


「先程、そこの女の子が聞いたが、女神が望んだからライネス王は敗けたのでは無い。女神の望みはは戦いの終結だった」


「どうして、女神の意思が分る」 

 声が上がった。

「『終わらせたい』とタビスが言ったからだ」

 心の中でアトラスに謝り、アウルムは続ける。

 都合の良い時だけ女神を、タビスを使ってる自覚はアウルムにもある。

 タビスが女神を代弁するという形は月星の不文律。一番納得させやすい。

「女神の意思を無視した結果だ、アンブルの王の死は自業自得だった。

ーーだからこの現状納得しろとは言わない。必要の無い破壊だった。喪ったものは戻らない。私もまた、アンブルの者として謝罪する」


 アウルムはまだ名乗ってはいない。だが、何者かは察している。

 その彼が謝罪を口にした事実に、戸惑いの空気が流れた。


「ーーだが、壊れたものは直せる。建物を修復する職人と資材の手配をした。瓦礫の撤去は既に始めている。また、商人との交渉を頼んだ。時期に流通も戻るだろう。元は風光明媚な保養地だったと聞く。人が沢山訪れて、賑やかな街だったのだろう?再び人が呼べる街を取り戻そう。そして、慰霊碑を建てよう。亡くなった人の名を刻もう。歴代のジェイドの王を悼もう。

ーーそれが私に出来る精一杯だ」

 アウルムの声が震える。口に出してみると、出来ることのなんと少ないことか。


「あんたは、あの王さまとやらにくってかかってたってことは、今日初めてここに来たんだよな」

「そうだ」

「二週間前はどうしてたんだ」

「弟に付き添って、城に戻った」

「その、タビスだという弟?」

「そうだ。ライネス王はお強かった。どちらが勝ってもおかしくなかった。あの子は辛くも勝ちはしたが、疲労困憊でその後失神したから」

「あの子?」

「弟は、まだ十五歳なんだ」

「十五歳の子ども!?」

 どよめきが起きた。余計なことを言っただろうか。

「ーーそうか。弟想いの兄ちゃんなんだな」

「あんたは、ちゃんと人の心が解るんだね」

 別の声がした。

「アセルスって王がやったことは忘れねぇ。だが、あんたは俺らの為に本気で怒ってくれた。あれは嘘じゃ無えと思えた。だから、見ていてやる。この先あんたがなにをしてくれるのか」

 アンブルというひと括りで憎いと思う者は居るはずだ。

 止められなかった者の一人として、身内として、アウルムが礫を投げられても文句は言えない。

 だのに、怒りや哀しみを肚の中に溜めていても、話を聞いてくれていることが有難い。


「兄さんは、どんな国にしてくれるんだい?」

 責める言葉を呑み込んで、問いかけてくる声が得難い。

 妙な熱に浮かされて、アウルムに期待する空気が漂う。


「ジェイドもアンブルも分け隔てない、一つの月星にする。その上で、家族が笑って食卓を囲める国に。誰もが余暇を楽しめる余裕のある国に。感情を躊躇わずに表せる国に……」

 鼻の奥がつん、とした。

 タウロが背中を叩く。


「我、アウルム・ロア・ボレアデスの名に於いて約束しよう。あなた達が証人だ」


 そして、いつか正当な後継者に座を還すことを誓おうと、アウルムは心の中で付け加えた。


【六章登場人物紹介】

https://kakuyomu.jp/works/16818093076585311687/episodes/16818093077373506171

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