■月星歴一五四二年十月⑤〈急変〉

 事態が動いたのは、大祭を翌日に控えた昼下がりだった。

 アリアンナが従者を一人だけ連れてアキマンの屋敷を訪れた。

 王女が叔父であるカームや従兄弟のヴァルムを訪ねるのはよくあることだったし、先の竜護星の訪問は周知の事実だったから、滞在中の竜護星国王に挨拶に来たとしても不自然ではない。

 理由などいくらでもつくというのに、王女は人目を忍んで来た。


 王城の門が突如閉じられ、一の郭への出入りが制限された。

 城下へは祭の自粛が言い渡され、外郭は閉ざされた。首都へ入る街門は通行禁止となった。

 加えて、アトラスの身柄を拘束せよという命が王から下された。


 その報せを聞いても、意外ではなかった。ただ、来たなという感じだけだった。


 実際、アトラスは自身が引き金のなるのは判っていた。だからこそ、竜護星国主に送って貰うという大儀名文があるにもかかわらず、表から月星に入国しなかった。

 戻って来たらしいという噂が、人々の間に広まる様子を伺っていた。

 それによって生まれる波紋が、魔物を炙り出すのを期待していた。


「嘘よ。兄様がそんな命令をだすはずが無いわ。何かの間違いと思いたい」

 報せを持って来たアリアンナの方が取り乱していた。


「恐らく、アウルムの意思で出された命ではないだろうな」

 アトラスの言葉にレイナが鋭く反応する。

「言わされた……。アウルム様に魔物が憑いたとでもいうの?」

「可能性の一つだ」


 権力のある者に憑く傾向はわかっていた。その方が混乱を起こしやすいからだ。

 レオニスが付け入らせる隙となったのは『弱さ』だが、魔物が好むのはそれだけではない。

 負の感情――それは怒りでも愛憎や嫉妬でも、欲でもあり得る。

 権力者というものは、しばし強欲であることも多い。

 しかし、アウルムに限っては当てはまらない。疑問の残るところだ。


 自身の存在は、やはり兄の重荷になっているのだろうかと、アトラスは奥歯をかみしめる。

 存外人の心の闇を計るのは難しい。


「どうするつもりだい?」

 ヴァルムが難しい顔でアトラスを伺う。

 アトラスは頷いた。肚は決まっていた。

「もちろん、王城に向かう。アウルムに会う」

「でも、どうやって?私でさえ、顔を晒さずには上には行けないわ」

 それ程までに警備が厳しいとアリアンナは訴えるが、アトラスは問題にしていなかった。

 訝しむ面々をなだめて、城ではなく城下に歩き出す。


 レイナも当たり前のように同行する。人質にでも取られたら身動き出来ないでしょうと理由をつけてみるものの、置いていかれる気は初めから無い。


 因みに国から付いてきた女官達はヴァルムの計らいで本館に匿ってもらった。

 護衛には誰が来ても通すなとい言い含めた。

 当然、レイナも留まるよう彼らは言うが、聞かないのは想定済みだったようだ。ハイネの同行を理由に引き下がる。

 月星入りの面子に当初名前が上がったのは腕も立ち機転も効くライだったが、本人の強い要望でハイネに決まった。条件には、護衛も兼ねることも含まれていた。


  アトラスが向かったのは、門前広場に隣接する中央神殿だった。内郭への入口脇にあり、位置的には、王城のある丘の真下にあたる。


「この後に及んで神頼みでもするというの?」

「まずは大神官に会う」


 訳が分からないというアリアンナだったが、訝しながらも神殿の扉を叩く。

 出てきたのはまだ十歳前半の見習いの少年だった。


「大神官さまにお会いしたいの」

「申し訳ございませんが、大神官様はここにはいらっしゃいません」

「王女アリアンナが来たと伝えなさい」

「大神官様は一の郭にある王立セレス神殿です。こちらにはいらっしゃいません」


 少年の言っていることは間違っていない。

 どうみてもアリアンナが無理を言っている構図だ。

 アトラスはアリアンナの肩を叩き前に出る。


「少年、君の名は?」

「プロトと申します」

「では、プロト。王女の要望はの意思だ。君も女神に仕える者なら、の言葉は聞けるな?」

 そう言って、アトラスは自分の右腕を示した。

 その言葉と仕草の意味するところは一つ。

 少年は打って変わって素直に一行を招き入れた。


 フードを取ったアトラスをまじまじと見つめ、思い出したようにその足元にひざまづく。

「刻印を、お、おしるしを見せていただけますか?」

 アトラスは黙って袖を捲り上げ、右腕を差し出した。

「触れても?」

「どうぞ」

 少年は震える指先で痣をなぞり、恭しく手を取ると、そこに口づけをした。

 竜護星から来た二人は、その行為に驚きを隠せない。


「我々は、早急に大神官に会う必要がある」

「失礼いたしました。すぐにご案内いたします」


 少年は鍵の束と灯りを手に、一行を奥へと促した。

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