■月星歴一五四ニ年一月③〈巫覡〉
学者を連れてアトラスは、表通りから一本入った路地の食堂に入った。建物の二階より上は宿屋になっている。
夕食の準備中であり、カウンタ―の上に並べられた大皿には、二種類しか惣菜が出来上がっていない。
「早くてすまないね」
「あんたなら大歓迎さ」
恰幅の良い女性が快く応じる。
彼女もファタルで宿屋を経営する母の元に避難していたが、先日戻ってきた。
アトラスは慣れた態度で奥の席に着いた。
「『イトコ』さんは元気?」
含み笑いで声をかけながら、彼女は卓に
初めてこの国に足を踏み入れた時、ファタルの方の店でレイナを『イトコ』と言ったことへの揶揄である。
女の身で旅をすることは色々と煩わしさを伴った為、当時レイナは自ら少年のふりをしていたのだが、説明が面倒だったアトラスは『義弟』とか『イトコ』で済ませていた。
入る度に言われる儀式のようなものだ。アトラスとしては苦笑するしか無い。
一口、酒を含んだ後、改めて学者の青年に向き合った。
おどおどとした態度に加えて、痩せて曲がった背が貧相な印象を与える。しかし、やけに蒼い目が見過ごせない。
顔立ちや話し方では、どこの国の人間かは判別できなかった。
「あなたは、月星人ですよね」
月星の人間は俗に月星訛りという特徴のある話し方ですぐに判る。
初対面の相手には、まず聞かれる。これも通過儀礼の様なものだった。
「ああ。女神についてもよく調べていたな」
「月星の女神信仰も、一種独特ですから」
そのまま、また講義を始めてしまいそうな青年を制し、アトラスは単刀直入に切り出した。
「あんた、魔物にも詳しそうだな」
一瞬面食らった顔をした青年だが、神妙にうなずいた。
両極にいるものとして、神も魔物も切り離せないという。
青年は声を落として言った。
「この国の現王レイナの兄、レオニスも憑かれていましたね」
この事実は隠している。
だが、判るものには判るのだろう。
「魔物が人に憑くというのは、頻繁にあることなのか?」
「いいえ」
青年は断言する。
「相反するものです。通常は身体が受け入れません。一時的に憑かれても、魔物の方が長く滞在していられない。時が来れば離れていきます」
「だが、レオニスは五年も憑かれていた」
「彼は『アシェレスタ』でした。素養があった為でしょう」
「どういうことだ?」
首をかしげるアトラス。
竜護星王家の者であるレオニスがアシェレスタなのは当然である。
「アシェレスタは、王家の姓ではありますが、元々は『アシエラに続く者』という意味の言葉です。つまり。巫覡であったアシエラの血を持つ者」
巫覡とは聞き伝える者。
風の歌を感じ、山の声を聞き、大地の色を読み、変化の前兆を捉えて対応する者。
「竜護星風にいうと、万物は『言葉』を発しています。しかし、通常は次元の違う言葉なので何を言っているのか判らない。だが、受信者たる巫覡には聞こえる。波長を合わせて『言葉』を受け入れる体制が出来ているのです」
それが、明確に言葉なのかはわからないが、感覚的に理解できるのだろうと青年は言う。
思えばレイナは良く竜と話をしていた。
そんな莫迦なと笑うと、何となく解るのだと言っていた。
今考えれば、アシェレスタである片鱗だったということだ。
「しかし、なぜ、レオニスは五年も長い期間魔物を宿していたのでしょうね」
「それは、魔物に意思を奪われたからだろう?」
「いくら巫覡でも、異質なものを長く受け入れていれば、身が保たない。だからこそ、巫覡には自分の意思で切り離すことも可能です。一種の利害関係でもあったのでしょうか」
アトラスは返答を避けたが、一理あると思えた。
レオニスは進行性の病に侵された身体に絶望していた。
憑かれようが、どうでも良かったのかも知れない。
あるいは魔物と化しても生き延びて、妹に会いたかったのかも知れない。
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