タビスー女神の刻印を持つ者ー

オオオカ エピ

序章■月星歴一五三六年六月〈邂逅〉【タビスは人名ではない】

 白い砂が太陽に映え、美しくもどこか哀しい景色が広がっている。

 砂と礫ばかりの赤い大地の先に、この白い砂漠は横たわっていた。

 『神がおわす場所』『神が降り立つ場所』とされ、近付く者はまずいない。

 不用意に近付くと気が狂い、それは『神の祟り』とまことしやかに言われている。


 それを承知の上で、少年はこの場所を歩んでいた。

 砂を噛む足音以外聞こえない。

 足を進めるのに目的など無かった。


 神に会いたい訳ではない。

 助けを求めるわけでもない。

 そんな儚い希望など、とうに捨てている。

 仮に、神と呼ばれる存在に遇えたとしても、口に付くのは望みではなく恨み言の方だろう確信があった。


 行く手には、ただ風紋だけが、美しく砂を彩っていた。

 非現実の様な風景。

 かえって命の匂いが乏しい。


 砂漠に足を踏み入れた時には頭上にあった太陽はいつしか傾き、一日で一番気温が上がる頃合になっていた。

 横を歩いていた愛馬が、半ばにて突然足を止めた。

 行く手に奇妙なものが佇んでいる。


 男だ。


 年の頃は二十代半ばといったところか。袖の無い古風な衣に身を包んでいた。

 白い顔の上に、青銀の髪が風に揺れる。

 むき出しの二の腕も白いが、適度に引き締まった筋肉が伺える。

 脆弱な印象は無い。

 場所が場所だけに、『神秘的』という言葉があてはまってしまいそうだが、ここ月星で信じられているのは女神である。彼は違う。


「よく、ここまで来たね」

 自分もこの砂漠に居ることは棚にあげて、男は少年に言った。

「ここは人を拒む。入るのは容易ではない」

「神の祟り、というやつかい?」

 皮肉交じりに紡ぐ少年の声音は、年よりも大人びて響く。

「残念ながら、神を求めて来た訳じゃないからね」


 見渡して、少年はふと疑問を持つ。

 綺麗に刻まれた風紋の上には、少年と愛馬の足跡だけが残っていた。

 風が足跡を掻き消す程長く佇んでいたにしては、男は汗ひとつかいていない。

 見上げた視線の先で、上質な紫水晶アメシストの様な瞳の色だけが、やけに鮮やかに映えた。


「居るのは魔物だよ」

 男は真顔で突拍子のない単語を用いた。

「大抵の人間は、魔物の毒気にやられ、錯乱する。正気で居られなくなるといった方が解りやすいか」

 ちょっと笑って、少年を見つめた。

「君の馬は感じたのではないかな。動物は感受性が強いから」

 少年は居心地悪そうに目を伏せた。

 実際、この砂漠に入る迄は、嫌がる愛馬をなだめすかしながら足を進めてきた。

「暗に、鈍いと言われている気がする」

つよいと言っているのさ」

 言って、男は晴れ渡った空を仰いだ。

 少年の瞳と同じ色がどこまでも広がっている。


「昔、一人の男が魔物を廃する剣を携え、各地を廻った話は知っているかい?」

「ユリウスの話だろう」

 月星人なら誰でも子供の時分に一度は聞かされる教訓めいたお伽話である。

 ――『どんな時も心を強く持ちなさい。弱い心は魔物に魂を食べられてしまうから。例え魔物に魅入られても、良い行いをして改めれば、ユリウスが助けてくれます』――というものだ。

 魔物に魂を食べられた状態でどうやって改心するのかと、食ってかかった記憶が生々しい。


「昔、この場所にはその剣があったのだよ」

 伺うように、男は少年を見た。

「今は無い?」

「そう。だが、残滓は強く、今でも魔物を阻む。そして魔物は人が訪れるのを阻む」

「魔物を廃せる唯一の剣を、魔物が守っていたということか?」

「皮肉だが、そういうことになる」

 実態の無い魔物は剣に触れられない。

 剣は人に使われなければ魔物を斬れない。

 だから、魔物は剣が人の手に渡るのを拒む為に剣の周りを取り囲む。

 矛盾の様に聞こえるが、道理に適っている。


 そこまで考えて、少年は青灰色そらいろの瞳を細め、冷めた笑みを浮かべた。

 いつのまにか、男の話を肯定で考えている。


「だが、神の祟りといわれるよりは、信じられる話だ」

「おやおや。それがの言葉だとは、国民の皆様が泣くね」

 からかい半分の男の声音。途端、少年が殺気をあらわに男を睨めつける。

「お前は誰だ?」

「人に名を訊ねるときは、自分から名乗るものではなかったかな」

「お前は、俺が何者か知っていた。名乗る必要はない」

 剣でも抜きそうな剣幕の少年をよそに、男は悪びれずに話を戻す。

「……だが、真実は人が考えている様なものではない」

 君が一番解っているはずだと、男は少年を見つめた。


「タビスだからといって、女神が助けてくれる訳じゃない。女神の意思が伝わらないのに、女神の代弁者に成りえるわけが無い」

 少年の口から吐き出されたのは、誰にも理解されなかった苦悩。

「女神の声など聞こえない。気配なんか感じたこともない。巫覡のように気の流れを読めるわけでもないのに、この刻印があるだけで、俺はタビスと呼ばれる。特別な人間だとされる」


 進言は重みのあるものとして扱われる。

 タビスだから。

 女神の加護を受けし者の言葉だから。

 人はタビスという偶像のみを見る。 

 少年の意志は関係ない。


「ただ、痣があるというだけでっ!」

「女神は一切関与していないのに、ね……」

 まるで女神と知り合いでもあるかの様に男はつぶやいた。


「タビスとは何か、魔物とは何か、知りたくはないかい?」

「どういうことだ?」

 少年の問いには答えず、男は微笑んで一点を指差した。

「この先に道がある」

「俺に、ここには無い剣でも探せというのか?」

 まだ何も言っていないよと、男は笑う。

「判断するのは、君だよ」

 そして、付け加えた。

「私の名はユリウスだ」

「……っ!?」

 この期に及んでくだんの男の名を騙るとは趣味が悪い。


 呆れた少年は黙って歩き出す。

「また、逢おう」

 背中から声をかけられるが、少年は応えない。

 それでも、少年は男が示した方向を進んだ。

 理由は一つ。

 男は咎めなかった。

 他人が決めた『居るべき場所』に少年が居ないことも、明らかに旅装束でこんな場所を歩いていることを追求しなかった。

 それだけで充分。


 やがて、白い砂漠が終わりを告げる。

 男が示した『道』は、思いもかけない形をしていた。

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