第8話「まさか、街のすべての酒場を記憶してるのか?」

 レヴィンもあとをついていく。


 屋敷を歩く道中、階段のところ。壁に飾られた数々の写真が目に入る。

 劇場でピアノを奏でるローズの姿。あるいは穏やかに屋敷の庭で微笑むローズの姿。さらには女王リリヴェルとツーショットを飾るローズの姿まで。彼女の生き生きとした表情が収まっていた。


「女王とツーショットとは。ミス・ハントはかなりの有名人だったんだな」


 レヴィンが小さく言う。


「ローズは天才だった。ピアニストとして、圧倒的な才能があった。だからこそ、機械の台頭は、彼女の絶望になったんだろうね」

「悲しいことだな」

「私も趣味程度だけどヴァイオリンを嗜むから、気持ちはわかるよ。苦労して身に付けた技術を、機械にあっさり盗まれちゃうんだからね」

「……ヴァイオリンか。そういえば、言っていたな」

「うん。あなたの昔の恋人も、そうだったんでしょ?」

「えっ。なんでそれを……?」


 シンディにそのことを話した覚えはない。どうして知っているのだろうか。


「あんたの部屋に弦用の松脂があった。でも、あんたの指先は柔らかい。弦楽器を弾くなら硬くなる。つまり、松脂はあんたのものではない。ならば誰のものか。答えは決まってる」

「なるほどね……」


 相変わらずの観察眼である。細かいことばかり、よく目に付くものだ。

 彼女の目ざとさは、ローズの部屋についてからも変わらなかった。

 シンディはローズの部屋に入るや、散らかった様子や溜まった吸い殻などから、長らくメイドも出入りしていないことを言い当て、窓に溜まった埃から、しばらくそれが開けられていないことも暴き出した。

 彼女はまだまだ続けた。

 服やらなんやらで散らかった部屋の、そのベッドの上に――いわく、一番目線が高くなるため観察しやすいらしい――土足で立って、あれやこれやと話していた。


「ふむ……これは妙だね。一つは落ち着いた色合いのシックなドレス。もう一つは胸元が大胆に開いた派手な赤色のドレス。好みが急に変わったのかな?」


 彼女はさらに靴を拾い上げ。


「それにこの靴。可愛いリボン付きのローファーと、色っぽい高いハイヒール。とても極端な変化だ。これはつまり、彼女はある日を境に、こうした服装をこそ好まれる場所に出入りするようになったってことだろうね」

「……賭博場とか、地下闘技場とか、そういうところだな」


 職業柄、レヴィンはならず者たちのたまり場をよく知っている。彼が言ったような場所には、派手な服装の女たちがたくさんいる。もちろん、男たちも。


「さすが。よく知ってるね。でも、私はもっと深いところまでわかったよ。多分、貧民街の酒場だと思う。なんでかって? それはね……」


 聞いてもないのに語りだした。彼女は自分の推理を披露するのが好きらしい。


「この服の裾を見て。汚れてるでしょ。これは、残った匂いからしてザ・オリエンタル・バンブーティーだ。知ってるよね?」

「あぁ。東洋の国で飲まれる酒だろう。飲んだことはないが、絶品らしいな」

「そう。ここグラストルで、こういう異国のお酒を出す店は多くない。特に東洋のものとなると、かなり限られる。貧民街のそういう店を絞り込めば、彼女の足跡がつかめるかもね」

「待て待て待て。どうして貧民街とわかるんだ。酒場は街中どこでもあるだろ」

「この靴の裏を見て。黄土色の泥がついてる。こういう泥は貧民街の道でしか付着しない。あそこは道路整備が進んでないから、土がそのままになってる道がかなり多いんだ。だから、ミス・ハントは昨日、貧民街に行ったとわかる」

「昨日だと?」

「ちょっと、レヴィン。土が泥になるときって、どんなとき?」

「濡れたとき……あっ。そうか」

「そう。昨日はちょうど、土砂降りの雨が降ってた。加えて、この乾き具合からして、泥がついたのは昨日と推測できる」

「なるほど……いや、さすがの慧眼だな。なら、貧民街で怪しい店をあたってみるか」

「そうだね。もう既に、いくらか目星は付けてる。だいたい三店舗ぐらいに絞れたかな」

「なに? まさか、街のすべての酒場を記憶してるのか?」

「してるけど。あんたはしてないの?」


 返す言葉もなかった。

 彼女なら、あるいは記憶しているかもしれない。と、思わせられたことに、若干ながら遺憾を感じてしまったが、事実として、彼女にはそう思わせるだけの振る舞いがあった。

 レヴィンはシンディの酒場全記憶発言を信じて、そのうえで彼女に聞いた。


「……で、その三店舗ってのは?」

「ここで話してもしょうがない。現地へ向かいながら話そう。と、いうわけで、マリーさん。本日はありがとうございました。これにて失礼します」


 そう言い残して、シンディはベッドからぴょんと飛んで降りると、そのまま足早に玄関まで小走りで行ってしまった。


「あっ、この靴はもらっていくね!」


 去り際、そんな叫び声が聞こえたと思えば、数秒後には、扉の閉まるバタンという音が聞こえてきた。


「失礼。彼女は……人付き合いに独特のこだわりを持っているんです」





 最大限に柔らかくシンディを表現し、レヴィンもまた、軽い挨拶の後に屋敷をあとにした――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る