家出少女と殺人鬼 ~煙る世界で燻る、君の裸身に手を添えて~
憂鬱うれい
切り裂き魔
第1話「目覚めると、隣に全裸の女の子が眠っていた」
目覚めると、隣に全裸の女の子が眠っていた。
白い毛布で隠すべきところを最低限に隠して、つまりは、その控えめな胸のふくらみと、細い枝切れのような足の、その付け根のあたりを隠して、そうやって辛うじて健全さを保っている彼女の寝姿は、寝起きで呆けた頭にはとても刺激的で、ゆえに、彼は――レヴィン・リンフォード青年は、眉をひそめて、しばし、その信じがたい光景に圧倒されてしまっていた。
彼女は、未だ穏やかに眠りこける、その金色の髪の少女は、見た目から既に明らかであるほどに、あからさまに「やんごとなき身分」の少女だった。
艷やかで光沢を帯びた髪に、透き通って、陽の光を受けて眩しく輝く白肌。そして極めつけは、両耳からぶら下げた、美しい緑色の宝石のイヤリング……。美しさを保ち、さらにこんな華美なアクセサリーを身につけられるなんて、それこそ、金持ちのご令嬢以外にありえない。
だからこそ、レヴィンは、どうしたものかと心中で頭を抱えた。
こんな言い方はよくないが、相手が自分と同じ、なにごともない身分の女性だったならば、こんなことは忘れて明日からは他人でいよう、が通じる。
だが、相手がやんごとなき身分の、例えば、考えたくはないが、もし貴族やどこぞのお嬢様だったならば、話は違ってくる。
彼女がもしそうだった場合、うちの娘によくも手を出してくれたな、と、相手方の、おそらく数十人はいるであろう家族親戚一同が詰めかけてくるに違いない。そうなれば、俺の人生は終わりだ――。
「はぁ……」
レヴィンはため息をついた。
せめて昨日の晩のことを覚えていれば、なにか言い訳のひとつも考えついたというもの。
だが、残念ながら、彼の頭は、昨日のことをさっぱり覚えていなかった。見事なまでに、記憶がすっぽり抜け落ちていた。
「くそ。なにも思い出せない……なんでだ……っと、あぁ――」
ぼやいた直後、彼の視界に、記憶喪失の原因が入ってくる。
ベッドの脇に雑に転がされた、空っぽの酒瓶。間違いない。これである。昨日のレヴィンは酒を飲み、酔っぱらい、女の子を家にあげて、彼女が裸になるようなシチュエーションを演出し、そしてめでたく朝を迎えたのだ。
「なんてことだ……」
レヴィンが重々しい声を漏らす。
だが、ここでうなだれていてもしょうがない。ここは、とりあえず顔でも洗っておいて、しばし現実逃避としゃれこもう……。と、彼がベッドから出て、リビングへ歩いて行こうとした、そのとき。
「もうちょっとだけ、一緒に寝てたいな」
男の一人暮らしの部屋で聞こえるはずのない、細く、小さな高い声が聞こえた。
レヴィンは驚いて振り向いた。すると、そこには、片目をこすりながら、空いた方の目、大きな、緑色の瞳でこちらを見つめる、先の素っ裸の少女の姿があった。
彼女は胸元があらわになることも構わず、毛布から細身の上半身を出して、そして、ほんのり微笑みつつ、レヴィンに語りかけていた。
振り向いたレヴィンは、慌てて目をそらした。淑女のあられのない姿を見てしまうわけにはいかない――もう手遅れかもしれないが、とにかく、一応の礼儀として目を逸らした。
「……どうして、そっぽ向くの? ねえ。こっち見て」
だが少女は、妙に扇状的な声色でそう言って、指先をレヴィンの背中に這わせてきた。優しい手つきから、彼女のしなやかな指が想起され、迫りくる可愛らしい声が、耳たぶを熱くさせる。
「見知らぬ人。据え膳なんとやらとか、そんな言葉、ご存知ない?」
彼女はさらに、さらに、身体をくっつけてきた。
背中に、寝間着越しでもよくわかる。なにか、柔らかい感触が伝わった。
彼女は喋りながら、薄桃色の唇を耳元に近づけてきて、そこから吐き出る温かい息が耳全体にふわりと当たった。
「なんなんだ。君は。そんなことするような身分じゃあ、ないだろう。とりあえず離れてくれないか。落ち着かないんだ……」
レヴィンは、窓の外。街並みを、とにかく少女のいないほうを見ながら言った。
「落ち着かない? こんなことで? 昨日はあんなことまでしたのに?」
「あんなことって……? 悪いが、なにも覚えていないんだ」
「はっ。ああやって、熱い夜を過ごしたというのに。ひどい人だね……っ」
言い終わると同時に、少女はベッドから出てきて、レヴィンの前をぺたぺたと歩いて通り過ぎた。
急いで顔を背けたが、そうする一瞬の前、彼は、少女の完全なる、一糸まとわぬ姿を見てしまった。ほんの数秒のことだったが、それでも脳に焼き付いた。
よく引き締まった全体の体つきは、さながらそう設計された工芸品のようで、長く、すらりと伸びた両足は、思わず釘付けになってしまいそうだった。そして当然ながら、嫌でも目についた、彼女の背中、そこよりも下のところ、要するに尻は、彼が
今まで見た全てのポルノ写真をすら上回る、まさに絶景だった。
尻好きの官能小説家か、あるいは同類のポルノ画家が描いた渾身の尻のような、完璧な尻だった。
横から見たときに素晴らしいS字を描く、神の存在をこの上なく証明する美しい尻。それから目を離すのは惜しかったが、しかしレヴィンにも、王国紳士たるプライドがある。彼は苦渋の思いで、尻から目を離した。
「見てもいいのに。見せてるんだからさ」
少女が言う。
彼女は言いながら、てきとうに脱ぎ捨てられていた下着を履いていた。するすると、真っ白いパンツが上がっていき、やがて、その、美を定義する尻にぴったり張り付く。
「普通の女は、自分の裸を見せつけたりしないぞ。金にもならないのに」
「私が普通の女に見える?」
そう言って、少女は、次は上の下着を身に付けた。小ぶりな胸がすっぽりと収まる、可愛いレースの品である。
「いいや。とても見えないな」
「なぜ、そう思うの? さっきから、ずっと見てくれてないのに」
「見なくてもわかる。見ず知らずの男の家で裸になるなんて。君は、俺の名前すら知らないだろう」
「……どうして? 私は、あなたのこと色々知ってるよ」
少女はさらに服を拾い上げた。今度は薄く桃色がかったブラウスだった。さらりとした薄布で、羽織ってなお、うっすらと奥の白いブラジャーが透けて見えた。
「ほう。俺の何を知ってるっていうんだ?」
「……名前はレヴィン・リンフォード。職業は刑事。そうでしょ」
少し誇らしげな声色で言って、彼女はスカートを拾った。落ち着いた、赤みの混じったこげ茶色の、プリーツ付きのスカートだった。
「そんなことか。どうせ、昨日の俺が口を滑らせたんだろう」
「ふふ……。もっと言ってあげようか。あなたは酒好き。しかし、それは元来の嗜好ではない。つい、最近、なにか衝撃的な出来事があったせいで、そのトラウマを忘れるために酒に逃げてる。酒が好きというより、酒浸りだね」
彼女は首にネクタイを巻きながら続ける。
「どうしてそう思うかって? 初歩的なことだよ。あなたが飲む酒はどれも強いものだ。もし酒が好きなら、色々嗜む。でもあなたは違う。ただ酔うためだけに飲んでる。そういう人が飲む理由は、だいたいが現実逃避なの」
スカートと同じ柄のジャケットをふぁさっと羽織り、彼女はさらに続ける。
「どんな現実から逃避してるんだろうね。推理してみようか……この部屋だけで良さそうだね。ふーん……」
服を全て着て、か弱そうな、枝切れのような手足の全裸の少女から一転。
礼服をびしっと着こなした凛々しい佇まいの淑女に変わった少女は、その場に立ち、窓から差し込む光を背中に受けて、そして鋭い目つきで、レヴィンの部屋を見回した。
「……散らかった部屋。部屋に散らばるのは……服に、酒の瓶。それに缶詰。おやおや、空き缶とは妙だね。本棚の本は順番に並んでいて、部屋に観葉植物まで置くような人が、汚い空き缶ばかり積み上げるとは。そうとうキツイことがあったに違いない」
彼女は続ける。
「キツイこと、なんだろうね。ふむ……おや、この机に置かれている香水。これは女性向けのものだ。あなたが使う品とは思えない。それに、昨晩から気になっていたんだ。枕元に散らばった細い金色の髪の毛。どう見ても、レヴィン、あなたのものじゃない。あなたは茶髪だもの」
「……君のものじゃないのか。君は金髪だろう」
「いいや、違う。私のは褪せた金色。でもこの髪は明るい金色。別人のもの」
言うと、彼女は寝室の、ベッドの脇に置かれたサイドテーブルのところへ歩いていった。
その小さなテーブルの上には、不自然に伏せられた写真立てがあって――。
「もう言わなくていいね。香水に髪の毛。これだけで明らかだ。あなたが逃避したい現実、それは……」
少女は写真立てを手に取り、その、伏せられていた面――写真の中で笑う金髪の女性をレヴィンに突きつけ言った。
「手痛い失恋。正解かな?」
どうだ見たか。そう言いたげな表情で、少女はレヴィンの返事を待つ。
「惜しいな」
だがそんな彼女とは対照的に、レヴィンは暗めな声で言って、彼女から写真を取り上げた。
「どこが惜しいの? 遠距離恋愛に変わったとか?」
「違う――」
レヴィンは写真立てをまた伏せて置いた。見たくないものだったから。
彼は、少女の催促に応じて言った。正解は……。
「死別だ」
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