第23話 君

 毎年のように、虎臣は肇とともに夏を過ごした。空いた穴を埋めるかのように、いつも肇が側にいた。

 大学三年の夏、虎臣は父に呼び出しを受けて部屋へ行くと、座るように促される。

「虎臣、大学卒業後は決めているのか?」

「いや……したいことはあるけど」

「なんだ」

「外国の言葉に興味があるんだ」

 初めて父に打ち明けた。今は英語、独語、蘭語など、複数の言語を話せるようになった。

「お前が積極的に外国語に興味を持ち、勉学に励んでいたことは知っていた。実はな、貿易会社を北海道にも広げようと思うんだ」

「北海道?」

「外国語を話せる人を欲してはいるんだが、何分人手不足だ。力を貸してほしい」

 北海道と本州。同じ日本であってもずっとずっと遠い世界だ。

 父からの最後通牒であるような気がした。きっと父は、まだ本州にいる彼に未練があると確信している。縁談を断り続けているため、そう思われても仕方がない。

「虎臣、判っているだろう?」

 父は目には懇願の色が浮かんでいる。

「父さん……期待させてしまうようだけど、僕は貿易会社を継げない。学生時代から思っていたけど、人が寄ってくるような人間性でもないんだ。上に立つには難しい。長男として、申し訳なく思う」

「いつかはこういう話をせねばならないと思っていた。実は継ぎたいという人が何人かいるんだ。肇君もそうだが、林田君のご兄弟にも貿易の仕事に興味を持ってくれている人がいる」

 林田と薫子はもう婚約を果たして、家族公認の仲だ。虎臣としても薫子を任せられる人物である。

「親と同じ医者にはなりたくないと反発してな、もし彼が継いでくれるなら私としても嬉しい」

「そうだね。林田も誠実な人だから、きっと彼の兄弟もそういう人だと思うよ」

「それで、お前はどうする?」

 大事な人を忘れていくのは、顔よりも声だという。

──本田、お前の絵を描きたい。

 今も彼の声は思い出せる。忘れていない証だ。

 もう、忘れなければならないのだ。誤魔化して生きてきたが、とっくに別々の道を歩んでいる。

 手紙一つ寄越さなかった。彼は東京に来ても、会いに来なかった。女性と婚約したと聞いた。

 肇から聞いたときは、冗談かと思った。相手は車椅子に乗った、身体の弱い女性だという。松岡から聞いた話とすり合わせると、東京に一緒に来た女性であると察した。

「北海道に行く」

 彼のことは、もう忘れなければならない。




 大学を卒業すると、虎臣は北海道へ引っ越しした。

 肇は東京に残り、父の貿易会社へ就職した。彼ともまた離れ離れだ。

 就職して数年経つと、いきなり肇がやってきた。昔と変わらない様子で、勝手に家へ上がり込んでくる。

「北海道生活はどうだ?」

「僕が休みなこと、父さんから聞いたんだろ」

「まあな」

「仕事はどうしたんだよ」

「実は長期の休みをもらって、日本一周中」

「なんだって? よく許してもらえたな……」

「金は貯めたし。ついでにお前に会いに行こうと思って。そしたら親父さん、許してくれたぞ」

「何日くらいいられるんだ?」

「明後日までかな。なんせ日本一周だからのんびりしていられない。とりあえず珈琲が飲みたいよ」

「紅茶しかない」

「ならそれでいいや」

 元々身体の大きかった肇だが、さらに筋肉がついたようで、肩幅が広く感じられた。

「お前、痩せたか?」

「痩せたかもな。けど、ちゃんと栄養はとってある。近くに川があって、魚がよく釣れるんだ」

「ああ、あそこか。来るときにあったな」

「庭でも野菜を育ててあるし、北海道は物価が安い。良いところに引っ越ししてきたと思っているよ」

 二人分の紅茶を出し、虎臣はちゃぶ台を挟んで向かい側に座った。

「北海道にずっと居座るつもりか?」

「……多分、いや……判らない。不満はないよ。北海道のわりにここは雪が少ないし、本当に住みやすい。夕飯は魚にするから、後で川まで行こう」

 お互いの近状を報告しあい、暗くなる前に川へ出かけた。

「餌はどうするんだ?」

「その辺にいる虫を捕まえる」

「よし、頼んだ」

 虎臣は苦笑いを浮かべつつ、虫をつけて釣り糸を垂らした。

 すると数分もしないうちに、魚がかかった。

 四匹ほど釣ると、虎臣は帰ろうと促す。

「たったこれだけでいいのか?」

「自然の恵みは多く取らないようにするんだ。そこなっている木の実ももらっていこう。石臼で引いて餅と和えると美味いんだ。明日食べよう」

 魚は簡単に塩を振って焼き、昨日作っておいた煮物で夕食を済ませた。

 東京から来た肇はすぐに眠り、少し早いが虎臣も布団に入った。


「いやあ、よく寝た」

 昼近くまで眠っていた肇はようやく起き、腹の虫が遠慮なく鳴った。

 昨日取ってきた木の実を石臼で引き、砂糖と合わせて餅と混ぜた。

 さっそく振る舞うと、肇はお代わりを要求した。

「近所のおばあさんから教えてもらったんだ。冬以外は採れるし、たまにこうして僕も食べる。保存もきくから、冬に備えて常備してもいいし、氷餅も作っておけばいつでも食べられるよ」

「氷餅?」

「餅を水に浸して、乾燥させる。東北に伝わる保存食だよ」

「田舎にもいろんな食べ物があるんだな」

「よければ明日、お土産に渡そうか?」

「どうせなら握り飯がいいなあ。船の中で食べながら海でも眺めるよ」

 肇とは明日になれば、さようならだ。またしばらく会えない日が続く。

 北海道には遊びにきたわけではない。友人らしい友人もほとんどいないし、話すとなると近所の人くらいだ。

「ゆっくりできるのは今日くらいだろ? どこか行きたいところはある?」

「畑仕事があるんだろ? 俺にもやらせてくれ」

「そんなものでいいのか?」

「お前と普通の生活ってやつを味わいたいんだ」

 真剣に言う肇は、どこか緊張の糸を張り巡らせているように見える。

「お前がそれでいいなら、別に構わないけど」

 肇は鍬の扱い方も慣れていなかったが、すぐにコツを掴み、一列を綺麗に耕していく。

「何の種を植えてるんだ?」

「茄子だよ。今の時期に植えると、夏には実がなるんだ。今年また食べにくる? 漬け物にしておけば、長持ちするよ」

「うーん……難しいかもな」

 肇は腕を組み、空を眺める。

 雲一つない青空だ。太陽も地上を照らし、野菜を光らせている。

「仕事が忙しいか。長い休みは取れないもんな」

「まあ、いつかまた来るよ。来られたら、な。そっちの野菜は食べられる?」

「アスパラガスもいけるよ。夜に茹でて食べようか。あと猪肉があるし、鍋にしよう」

「田舎生活すっかり馴染んでるな。都会しか知らないお坊ちゃんのイメージだったのに」

「僕もそう思うよ。タエがいつも世話を焼いてくれているから、生活がこんなに大変なものだと思わなかった」

 タエとも手紙のやりとりを欠かせない。彼女は字が綺麗で、いつも身体の心配を綴っている。

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