第20話 心

 次の日は八重澤家と別れ、別荘を後にした。

 虎臣と薫子は自宅へ戻り、部屋の掃除をタエとともに始めた。家は無事でも、すべてに問題ないとは言えなかった。

 床に散らばったガラスの破片などは薫子とタエに任せ、虎臣は倒れたものを元に戻していく。

 あらかた終わった頃に父は戻ってきた。紅緒とともに。

 鬼の形相を向けるいつもの顔とは違い、穏やかな表情をしていた。本当に継母なのかと疑いたくなる。

 涙は一切出なかった。何も考えないようにしていた。

 薫子を抱きしめ、強い兄を演じ続けた。

 葬儀も終えて高校へ戻ったのは、十月に入った頃だった。

 寄宿舎の部屋の扉を開けると、違和感を覚えた。

 二組あったはずの布団が、一組しかなくなっている。

 虎臣は荷物を放り投げて机の引き出しを開けた。何一つ残っていない。彼が使っていた鉛筆も帳面も。

 箪笥の引き出しを開けると、隠すように虎臣の衣類の下へ画帳があった。間違いなく幸一のものだ。

 画帳は幸一が今まで描いてきた数々の絵だ。色褪せず、一緒に過ごしてきた日常が刻まれている。

「封筒……?」

 封筒の中身を開けると、幸一が書いた手紙だった。

──本田へ。

──いきなりだが、本州の親戚の元へ引っ越しすることになった。

──本田が別荘から帰った後に、急に父から言われたことだ。

──きっと早急に決めたんだと思う。

──理由は俺たちが想像している通りだ。

──俺の突発的な行動がこうなってしまった。

──お前は痛みを感じる必要はない。すべて俺が悪い。

──向こうの高校へ編入することになった。

──お前からは手紙を出さなくていい。きっと握り潰される。

──本田、何があっても俺の心はお前に置いていく。

──俺の気持ちはずっと変わらない。

 画帳の最後の頁がよれている。開いてみると、虎臣の知らない絵があった。虎臣自身だった。いつ描いたのか、穏やかに寝ている姿だ。

──恋ひ慕う。

 一言添えられていた。

 どんな思いで描いたのか。どんな表情で描いたのか。

 我ながら薄情者だと、虎臣は思う。

 紅緒が亡くなって涙一つ出てこなかったのに、幸一がいなくなって漏れる声も涙も抑えられなかった。

 どうしてもっと好きだと伝えなかったのか。いなくなってからでは遅いのに。何もかも後出しばかりで、すぐ言動に移せる幸一が心底羨ましかった。

「本田…………」

 開けっ放しの扉の向こうに、柏尾がいた。

「昨日、八重澤と会ったよ」

「知っていたのか?」

「聞いたのは昨日だ。本田が泣いたら側にいてくれって伝言を預かった」

「っ……もう、八重澤がいないんだ…………」

「……好きだったんだな」

 どういう「好き」かは、泣き叫ぶ涙でばれてしまっている。

 誤魔化しようがない事実に、虎臣は潔く頷いた。

「軽蔑するか?」

「するわけないだろ。こういう想いって、どうしたって止められないんだ。よく判るよ。諦めるつもりはないんだろ?」

「当然だ……今度は僕が会いにいく」

「場所は判るのか? 聞いてもあいつ、答えなかったんだ」

「九州とだけ。僕は八重澤からたくさんのものをもらったのに、何も返せていない。苦しくて苦しくて仕方ないんだ」

「八重澤は飄々としていて、心の内を明かさない奴だった。でも本田に対してだけは、甘えているように見えた」

「甘えている? あいつが?」

「八重澤が甘えているのに、本田はそれを頑なに交わしているみたいだったな。俺からすると」

 もし幸一もそのように感じていたのなら、無情なことをしてしまった。

「お前にだけ残したものがあるなら、あいつも同じ気持ちだったんだろう」

「そうだといいな」

 夏季休暇の終えた授業は、人数が半分ほどしかいなかった。

 家が無くなった者、犠牲となった者、転校した者。

 人間の脆さを目の当たりにし、人生を考えるようになった。

 たった一度しかない人生。家柄とお国のために命を投げ打ってもいいのか、と。

 虎臣は残りの短い高校三年生活をすべて勉強に捧げた。そうでもしないと、空いた穴はうめられなかった。





















 高校を卒業した虎臣は、大学へ進んだ。父も了承してくれたが、唯一反対したのは寄宿舎生活だ。紅緒も亡くなり、家を離れる理由がない。せめて四年間は実家から通ってほしいと願われ、虎臣は承諾した。これには薫子は大喜びだった。彼女は高校へ入ったら寄宿舎での生活を捨てきれず、兄に味方になってもらいたいのだろうと察する。

 驚いたのは、林田と薫子のことだ。林田から医学部の資料をもらい、薫子へ渡したところ、ぜひ彼にお礼を言いたいと懇願した。

 薫子を林田に一度だけ会わせると、ふたりは今も連絡を取り合う仲となった。おまけに父も林田を気に入り、家族公認の仲だ。

 女で医師を目指そうとしているが、林田は否定せずに素晴らしいし名誉あることだと薫子を褒めた。それが薫子の心に刺さったらしい。

 父はそんな薫子に折れて、医学部へ入ることを許可した。




 大学から帰ると、見知らぬ男性が二人座っていた。

 父の秀道にとてもよく似ていた。横には虎臣と近しい年代の青年もいる。

「こんにちは」

「やあ、君が虎臣君か」

「初めまして。本田虎臣です」

「従兄弟に会うのは初めてだろう?」

「従兄弟?」

 虎臣はまじまじと目の前の男性を見る。

「彼は私の弟の子だ。肇君はお前と同じ大学一年で、今年から東京の大学へ通うことになってこちらに引っ越しをしてきた」

「今まではどこにいたの?」

「九州だ」

 ずくん、と胸の軋む音がした。背中に冷や汗が出て、短く「そうなんだ」と答えた。

「由良肇。よろしく」

「ああ……こちらこそ」

 肇に手を差し出され、虎臣は握り返した。

「文学部に通っているんだって?」

「そうだよ。君は?」

「俺は薬学部。行きたいところが特になくて、父に勧められただけだけどね」

「虎臣、せっかくだから部屋を案内してやってくれ」

「ああ……うん」

 部屋へ行こうとすると「俺のことは肇でいい」と言ってきたので、虎臣も「虎臣と呼んでくれ」と言う。

「ここの部屋は入ったら駄目。妹の薫子の部屋なんだ」

「なるほど。虎臣の部屋は?」

「隣だよ」

 特に何の変哲もない部屋だ。本棚には様々な言語の本が並び、肇は何冊か手に取ってぱらぱらめくっている。

「なあ、虎臣」

 真後ろから耳元で肇の声がすぐ聞こえ、跳ね上がった。

「そんなに警戒するなよ。お前さ……男色の気があるだろ?」

 肇はにやりと妖しい笑みを浮かべ、距離を詰めてくる。

 虎臣は彼の腕を叩いた。

「なんていうか、匂いで判るんだよな」

「匂い? 適当なことを言うな」

「実際に、男とまぐわったことはあるだろう?」

 思い出さないように蓋をしていたが、無理にこじ開けられると溢れそうになっていたものが止まらなくなる。

 ぼたぼたと涙が流れ、虎臣はしゃがみ込んだ。必死で口元を隠し、せめて泣き顔は見られないようにした。

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