第32話 ウサギ肉のパスタ


 その夜リゼットは夢を見た。

 自分を見つめる女性の夢を。極彩色の天地が回る夢を。


(頭が……くらくらする……)


 朝を迎えて目覚めたとき、リゼットは絶望した。

 ベッドから起きようとしても身体が言うことを聞かない。全身が重くて力が入らず、起き上がれない。


「疲れが溜まっていたんだろう。今日はゆっくり休むといい」


 リゼットの顔を覗き込みながらそう言ったレオンハルトの手を、思わず握る。くらくらする頭で。


「お、置いていかないでください……」


 零れ出た弱音に、レオンハルトは優しく笑った。


「俺がリゼットを置いていくわけがない」


 エメラルドのような瞳がリゼットを覗き込む。


「今日は休暇にしよう。俺たちは家の中か近くにいるから、何かあったら呼んでくれ」

「……はい」


 そっと手を離し、瞼を下ろす。安心したからか、疲れからか、そのまますぐに眠ってしまう。

 今度は変な夢は見なかった。


 数時間ほど眠っていただろうか。目を覚まして水を飲む。

 ひと眠りしたことで発熱も落ち着いたが、まだ少し熱っぽい。もうひと眠りすることにしてベッドに横たわる。

 昨夜たくさん食べたからか、空腹感はなかった。満ちている栄養をゆっくり身体に行き渡らせる。身体の疲れを労る。


 そしてぼんやりと考える。ダンジョンに入ってからどれくらいの時間が過ぎたのだろうか――と。正確な時間はとっくにわからなくなっている。


 思えばダンジョンに入ってから、常に力が満ちていた。気力も魔力も体力も満ち溢れていた。こんな風に熱を出したのは初めてだ。





 部屋に人が入ってくる気配と、食欲を刺激するいい匂いで目が覚める。

 レオンハルトが食事をトレイに乗せて運んできてくれていた。


「ウサギ肉のパスタなんだけど、食べられそうかな」

「ありがとうございます。もうお腹ペコペコで……いただきます」


 トレイの上にはウサギ肉のショートパスタとミルクスープ。まずはキノコのミルクスープ。少しとろみがあり、喉にやさしい。

 次にパスタ。短いパスタは食べやすく、ソースは酸味と肉の脂の甘みのバランスが絶品だった。


「おいしいです」

「よかった。カナトコに教えてもらって、俺とディーでつくったんだ」

「おふたりが? すごい。すごく、すっごくおいしいです!」

「良かった」


 眩しい笑顔に更に食事がおいしくなると同時に、胸がいっぱいになる。

 不思議な感覚になりながら全部を食べ終わると、レオンハルトが片づけまでしてくれた。


 何から何まで世話を焼いてもらって、こんなに甘えてていいのだろうか。

 申し訳ない気持ちになっていると、レオンハルトと入れ替わりにディーが入ってくる。


「よっ、どうだ具合は」

「かなり良くなりました。私が寝ている間、どうされていたんですか?」

「オレは畑と家畜の世話だ。知ってるか? ハーピー飼っているんだぜここで!」

「ええっ?」

「小屋に三羽も小型ハーピーがいたんだ。モンスターを家畜にするなんてどういう神経だか」


 ――モンスターの家畜化。

 それはリゼットにも衝撃的なことだった。ただただすごいと思った。


「あ、レオンは屋根の修理と鍛冶場の掃除させられてたな。それからはあのウサギを捌いてミンチにして、煮詰めて保存食にした。瓶詰めもらったからまた食おうぜ。パンも焼いたしな」

「ありがとうございます。とても楽しみです。もう、私ばかり寝ていて申し訳ないです」


 恥ずかしくなって顔を伏せる。


「気にすんな。体調崩したのが休める場所でよかったよ。料理も結構楽しかったしな。んじゃオレは続きしてくるから、ゆっくり休んでろよ」


 ディーは笑いながら部屋から出ていく。リゼットの様子を見に来ただけらしい。

 リゼットは再びベッドに寝た。いまは体調を整えるのがリゼットの仕事だ。


 もうひと眠りし、起きた頃には熱っぽさはなくなっていた。

 起きて部屋から出て、階段を降りていくと、食堂で話し声が聞こえる。


「お主らには期待以上の働きをしてもらった」

「そりゃどーも」

「どれ、サービスだ。武器の手入れをしてやろう」

「オレはいいや。レオン見てもらえよ」

「いいのか?」

「ああ。オレはたいして戦わねーし」


 食堂を覗くと、武具を取りに出てきたレオンハルトと鉢合わせする。


「よかったですね」

「ああ」





「これはひどい」


 開口一番。

 レオンハルトの剣と盾を見て、カナトコは呆れ顔で言う。


「随分無理をさせてきたな。刃こぼれはあるし歪みもある。柄もガタが来そうじゃ。鞘も……うーむ、研ぎと歪み取り、柄の修理、鞘も新調してやろう」

「よっ、太っ腹!」

「タダとは言っとらん。これほどの修理となるとな。だが金がないのはわかっておる。身体で払ってもらおう」

「まだ労働させる気かよ……」

「あれは二泊目の対価じゃ」

「ったく、ちゃっかりしてるぜ」


 そのやり取りで、リゼットは自分が寝込んだからふたりが働いて身体で払ったという事実に気づいた。


「わかった。それで、何をすればいい」

「うむ。お主らにはキマイラを退治してもらいたい」

「キマイラ、ですか?」


 初めて聞くモンスターの名前だ。

 レオンハルトは知っているのか、雰囲気が険しくなる。


「最近現れたモンスターじゃ。畑や家畜を荒らされて困ってる。ほれ、そろそろ来る」


 促されて窓から外を覗くと、丘の上から駆け下りてくる一匹の獣が見えた。

 それは獅子に見えた。赤の毛並みに立派なたてがみ。そして頭の隣には山羊の頭。


 尻尾は太く、緑色をしていた。緑色の尻尾の先にはドラゴンの頭があった。

 背にもドラゴンの翼があったが、とても飛ぶことはできなさそうなほど小さい。


 いびつに混ざりあったモンスター。



【鑑定】キマイラ。獅子と山羊とドラゴンの三つの頭を持つ、巨大で屈強なモンスター。炎を吐く。



 悠々と畑に降り立ち野菜をかじっている様子を、家の中から見つめる。


「あれと戦えってか……」


 ディーがうめく。


 キマイラは大きな身体に見合わぬ身軽さと俊敏さを持ち、更に炎も吐くという。

 後ろにも頭があるため死角もない。

 遠くから見ているだけでも強敵だとわかる。


「行きましょう!」

「うおっ? お前病み上がりだろ」

「私はもうだいじょうぶ、万全です。行けます。やる気満々です!」


 レオンハルトは少し考え込んで、カナトコに顔を向ける。


「――わかった。ただ、ひとつ準備してもらいたいものがある」


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