第33話 不吉な予兆 -ソフォクレス伯爵視点-
「父上、お聞きしたいことがあります」
夕食にはまだ少し早い時間だが、区切りがいいのでそろそろ
珍しく私の執務室にやってきたマニエスが、真剣な表情でそう切り出した。
「ふむ……」
「執務中に失礼なのは十分承知の上ではありますが、少しお時間をいただけませんか?」
我が家の嫡男の特徴である金の瞳が、一瞬光を放ったような気がして。これは何かあると、私の勘が告げた。
「その様子だと、部屋には誰も入れないほうがよさそうだな」
「そうしていただけると、助かります」
これはますます、何かある。
いやむしろ、十中八九『嫁取りの占い』に関することだろう。
なぜ分かるのかといえば、私も昔そうだったからだ。今のマニエスと同じように、私も父上と『嫁取りの占い』に関して真剣に話をした時がある。
今では遠い昔のことのようで、懐かしささえ覚えるが。
「まぁ、座りなさい。ちょうど書類の確認も、一区切りついたところだ」
「ありがとうございます」
地方だと全く足を向けられなくなってしまうので、王都にほど近い場所にあるが。それでも王城での仕事が主なせいで、普段は家令たちに任せっぱなしにしている。
だが様々な決定に、最終的に私のサインが必要になるのは、どうしても変えられない。
だから時折こうして執務室に
「……さて。改めて、話を聞こうか」
侍従が紅茶を準備して、部屋を出ていくのを確認してから。私のほうから、そう切り出せば。
「ミルティア嬢と『嫁取りの占い』についてです」
案の定、そんな言葉が返ってきた。
(まぁ、そんなところだろうと思っていたよ)
そもそも今日は、二人でガゼボでお茶をする予定だったはずだからね。
それが夕食時ではなく、わざわざこの時間に。しかも執務室にまで押しかけてくるとなると、そのくらいしか考えられることがないのも事実だ。
私の経験上でも、ね。
「父上は……、いえ。父上も母上も、ご存じでしたね?」
「何を?」
「ミルティア嬢が、実家のスコターディ男爵家であまりいいとは言えない待遇だったことを」
なるほど、そこまで話をしたのか。
私としては、意外だった。こんな短期間で、彼女が自分のことをマニエスに打ち明けるのも。それを受けて、この子がこんなにも瞳の奥に怒りを宿すのも。
(二人の様子を外から見ているだけだと、もう少し先かと思っていたけれど)
どうやら嬉しい誤算、というものらしい。
とはいえ。決定的な何かを示しているわけでは、まだなさそうだが。
「我が家に来た時に、あの見た目だったからね。貧しいとは言っても、使用人は雇える程度だったようだし。そう考えると、どう見てもおかしかっただろう?」
手入れが行き届いていないのは、まぁ仕方がないとしよう。細すぎる体も、十分に食べられなければそういうこともあるだろうと思える。
だが、あのドレスは。
明らかに彼女のために作られたのではないと、ひと目で分かるあのドレスだけは。どう考えても、おかしいと。普通ならば、気付けるはずだ。
ただ、まぁ。
「……母上以外を、知らないものですから」
少し拗ねたような表情でそう呟くマニエスは、確かに貴族令嬢というものを知らない。
私もソフォクレス伯爵家の特性上、あまり詳しく知っているわけではないが。それでも過去のことから、ある程度は
それを、今初めて経験しているこの子に気付けというのは、あまりにも
「だから、お前を責めるつもりはないよ」
こればかりは、仕方がないことなのだ。ソフォクレス伯爵家の嫡男である限り。
「だが、気付いたんだろう?」
彼女の置かれていた立場に。
そして。
「はい。だからこそ『嫁取りの占い』に、父上も母上も否定的ではなかったんですね。そういうものだと、知っていたから」
「そうだ」
マニエスも、気付いたのだ。
『嫁取りの占い』に選ばれる女性は、生家で不遇な扱いを受けている、と。
「つまり母上も、昔は同じだったのですね……」
「……」
ここで、お前の母はもっと酷い状態で我が家にやって来たのだとは、私の口からは言えなかった。
その代わりに、今の私が言えることは。
「今は私が幸せにした。彼女も幸せだと言ってくれている。それが全てだ」
この家に嫁いできて、幸せだと。ことあるごとに、そう私に告げてくれている。
真実を一気に知って衝撃を受けている息子を、これ以上つらい気持ちにさせる必要はないのだ。
「そうだな……。せっかくだ。一人息子が真実に気が付いた祝いとして、私がお前を占ってあげよう」
「父上が、ですか?」
意外そうな顔をしているが、まぁ確かにそうだろう。私がマニエスを占ったことなど、数えるほどしかない。それこそ、片手の指で足りてしまうくらいだ。
もっと言えば、マニエス自身が覚えている中ではもっと少ないだろう。生まれて間もない時に占ったのが、ほとんどなのだから。
「たまにはいいだろう? ほら、始めるぞ」
占いの最中は光っているという両の瞳で、私は可愛い息子の未来を
その、中に。
「……不吉な予兆が、出ているな」
「え!?」
一つだけ、不純なものが紛れ込むような。そんな予兆を、見つけてしまった。
「お前の未来は、本来明るいものだ。だが……」
私の言葉に、マニエスがゴクリと喉を鳴らした音が聞こえた。
緊張のし過ぎだ、と笑い飛ばせないのは、これもまた試練の一つだと知っているから。
占いが導き出した、伴侶になる予定の女性の憂いに気付き、それを取り除くこと。それが、ソフォクレス伯爵家の嫡男に課せられた試練だ。
「風に、気を付けなさい」
「風、ですか……?」
「一陣の風が、波乱を巻き起こすこともある。だが……」
最後に言い
「逃れられない運命、ですか」
諦めたようにそう言葉にしたマニエスに、私は一つ頷いて。手の中にある炎を消した。
未来を変えられる場合には、その方法も暗示される。
だが、今回はそれがなかったことを考えると。マニエスの言う通り、これはまさに逃れられない運命なのだろう。
運命とは、人の力で変えることのできないものなのだから。
「婚約までに一波乱あるだろうから、気を付けなさい」
「それは、ソフォクレス伯爵の嫡男の宿命、ですか?」
「かもしれないね」
それを乗り越えてしまえば、もうその先には障害が存在していないことも伝えてから。話を終えて執務室を後にするマニエスの背中を、私はそっと見送った。
「頑張りなさい、二人とも」
二人で乗り越えるべき、ある意味最初で最後の試練だと知っている私は。一人静かに、そう呟く。
若い二人が、ちゃんと自分たちで幸せを掴めるように、と。ささやかな願いを込めて。
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