第四章

031: 素顔 -- テルスミアにて

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 エルフの都テルスミアは自然が満ちる街だ。周辺のヴィルヤンド原生林から伸びた葉に覆われて、街全体が木陰のように心地いい。

 その一画に、白いレンガ造りの洋館があった。重厚感のある正門からは白い石の道が続き、手入れの行き届いた白い薔薇のアーチが、それを上品に彩っている。

 全体的に清潔な雰囲気の、まるで貴族の療養地のような居住まいの館だった。

 突然、ぎいと音を大きく響かせて、玄関の重たい扉が開いた。

 中から出てきたのは、クラシカルなメイド服を身にまとった女性のようだった。腰のあたりで揃えられた濃茶の長髪には、薄いベージュのメッシュが数本入っており、箒で掃いた跡のような筋を成している。

 扉をゆっくりと閉めた彼女は、薔薇の香りが漂うアプローチを数歩歩いて、ふと首を傾げた。

 その視線の先、街との境の正門の先に、人影が二人並んで立っているのが見えた。


「あ! スズキさーん」


 ふんわりと声を上げたのは、緑髪を結い上げた着物姿の女性だった。給仕のための白いエプロンを身に着けており、大正時代の喫茶店員といった感じだ。

 スズキと呼ばれたメイドは、小走りになって正門まで急いだ。


「サヤネ様。ちょうど今、そちらへ伺おうとしておりました」

「でしょう? そろそろいらっしゃるかな~って私も思っていたんです。それで、偶然ここに案内してほしいって方がおりましたので、ご案内ついでにスイーツをいくつかお持ちしたんですよ」


 サヤネというらしいその女性は、柔らかな笑顔を振りまいてそう言った。


「案内してほしい方?」


 スズキはそう聞き返し、サヤネの隣にいる人物に目を向けた。

 黒い長髪が印象的な青年だった。前髪の隙間から左目だけが露出し、その藤色の瞳は何かを見通すようにスズキに向けられている。


「ああ、カナギ様。お話は伺っております。坊ちゃんたちに会いに来られたのですね。ただいま呼んでまいります」


 カナギは何も答えず、ただ目を細めた。

 スズキはそれを気にする様子も無く、すぐさまサヤネのほうを向いて言った。


「サヤネ様も、どうぞお上がりになってください」


 その誘いにサヤネは眉尻を下げ、可愛らしく手を合わせて謝った。


「お誘いはありがたいのですが、私は店に戻らなければなりませんので……」

「左様でございますか。では私の方からマダムにお渡しさせていただきます」

「ありがとうございます~」


 サヤネはにこにことして交渉用のウィンドウを開いた。スズキもすぐに応じ、てきぱきと商品の受け渡しを済ませて頭を下げた。


「わざわざおいでくださり、ありがとうございました」

「いいえ~。いつかまた、マダムさんもお店においでくださると嬉しいです。それでは、失礼します~」

「はい。ファーラ様にお伝えいたします」


 サヤネが一礼を返して立ち去ると、スズキはカナギのほうに向き直った。


「では、ご案内をいたします」


 スズキがそう言って館の方へ向かおうとすると、カナギは引き留めるようにおずおずと口を開いた。


「あの、俺とどこかで会ったことがありますか」

「いえ、今回が初対面だと思いますが。……ああ。私がカナギ様のことを存じ上げておりますのは、ブッファ様とセリア様からお話を伺いましたからですよ」


 振り返ったスズキが不思議そうにそう言うと、カナギは首を横に振って続けた。


「いや、そういうことではないんです。あなたの歩き方に見覚えがあって」


 その言葉にスズキはゆっくりと目を瞬かせ、手を頬にあてて首を傾げた。


「歩き方、ですか」

「すみません、変な質問をしてしまって。心当たりがないならそれで大丈夫です」

「いいえ。変だなんて思いませんよ。そうですね……」


 申し訳なさそうなカナギに笑みを返しながら、スズキは考え込むように視線を落とした。しばらくして顔を上げると、そこには今までのスズキとは違う、妖しい笑顔が浮かんでいた。


「カナギ様は、なかなか良い洞察力をお持ちのようですね、とだけ言っておきましょうか」


 カナギは眉をひそめ、声を低めて呟いた。


「やっぱりそうか……」


 スズキはまた元の愛想の良い笑顔に戻り、メイドらしく手を前に揃えて言った。


「今は止めておきましょう。私は『マスカレード・ファミリア』のメイド、スズキ。それでこの話はお仕舞いです」


 そしてスズキは長いスカートを翻し、また薔薇の門を通っていった。

 スズキとカナギが玄関に辿り着くより先に、その重たい扉が勢いよく開いて、ふわふわの金髪が目立つ少年がばっと飛び出してきた。


「カナギ! カナギだ!」


 ゴシックな短パンから伸びる細い足で駆け抜けて、その少年はカナギにばっと抱き着いた。


「ブッファか?」

「そーだよ! ブッファだよ!」


 その素顔を初めて目にしたカナギは呆気に取られたまま、腕を掴んでぶんぶんと振るブッファをそのままにしていた。

 扉の向こうから、ブッファと瓜二つの少年が姿を現した。カナギを迎え入れるように扉を抑えたまま、彼はかしこまって言った。


「カナギさん、こんにちは。来てくださって嬉しいです」

「セリア。二人とも元気そうで良かった」


 カナギは笑顔を見せてそう言った。セリアも頬を緩め、ふと首を傾げて尋ねた。


「センリさんはおられないのですか?」

「ああ。また現実世界で忙しくしているみたいでな」

「なるほど。それは残念です」


 カナギの返答を聞いたセリアは、大人びた表情の中に少し寂しさをにじませた。

 そのとき彼の後ろから、また一つ人影が現れた。

 まるで高級な人形のような顔立ち。その髪はブッファやセリアと同じく、真珠のようにつやつやとしたホワイトブロンドで、耳上で結んだツインテールが床につくほどに長い。

 青いドレスに黒いコルセットを身に着けたその姿は、モルフォ蝶を想起させた。


「あれ、ママ。お外に出てきて平気なの?」

「平気よ。私の可愛いブッファ」


 ママと呼ばれたその女性は、ブッファに穏やかな微笑みを見せた。

 カナギが怪訝そうにその様子を見ていると、スズキがさっと傍に寄って答えた。


「あちらにおられますのはブッファ様とセリア様のお母様であり、『マスカレード・ファミリア』のギルドマスターであられます、ファーラ様でございます」


 そしてスズキは、その笑みを張り付けた顔をそっとカナギに向けて続けた。


「同業の方々は、ファーラ様のことをこうお呼びになるそうですね。“マダム・バタフライ”と」


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