029: 明星 -- 隔絶された空間にて
星の無い宇宙のようだった。センリはダークマターを漂う孤独な宇宙船だった。
いつかこうなる気はしていた。カナギの顔を見るたびに、自分の心に黒い罪悪感が染みついていくのを感じていた。
それは、自分が彼を利用しているからだと思っていた。彼に傷を負わせたも同然の自分が、マガミたちに協力して彼に近づいているせいだと思っていた。
でも、違うかもしれない。
彼の笑顔があまりにも明るいから。彼の瞳があまりにも透き通っているから。強い光に照らされて影が濃くなるように、自分の感情はその重みを増していた。
ドクターに彼のデータを引き渡して、彼からだんだんと距離を置けば、それで良かったのに。
自分は思ってしまった。
彼から離れたくない。彼に嘘を吐いたまま、関係を終わらせたくない。
何も言わないまま遠く離れてしまったら、兄との別れのように、きっと後悔する。
それでも、この姿を露わにするよりは、よっぽど良い結末だったかもしれない。
どれほど時間が経ったのだろう。そう思ったときだった。
流れ星のように光が走った。影が切り裂かれたのだと、センリは遅れて理解した。
「センリ!」
聞こえてきたのはカナギの声だった。直後その光の筋から金色が流れ込んできて、何もない宇宙だった空間は、満天の星空へと一気に塗り替えられていった。
光の中から黒い影が現れた。それは髪をたなびかせたカナギだった。
「カナギ? どうやってここに……?」
センリが掠れた声で尋ねると、カナギはにこりと笑って刀を掲げてみせた。
「お前の作った刀、【キンモクセイ】のおかげだ」
流れる金色はたしかにその刀に続いていた。その光景にセンリは息を呑み、安堵の混じった弱々しい笑みを浮かべた。
「そうか……! そいつは空間を斬るから、空間同士を繋げられるんか」
「そうらしい。俺がそう思って振ったら、そういうことになった」
カナギはそう言いながらセンリに近づいて、そっと手のひらを差し出した。
うずくまるセンリは彼の手を取ろうとして、ふと自分の腕が豹のままであることに気が付いた。
「ごめん。俺の手は戻らんらしい」
センリが目を伏せてそう言うと、カナギは優しく問いかけるように言った。
「それはお前がそう思い込んでいるからじゃないか。俺の手を取れないって。それか、俺のことを傷つけてしまうとか。そう思ってるんじゃないか」
彼の言葉に、センリははっとした。おずおずと顔を上げると、カナギの微笑みが綺麗に見えた。風に吹かれる前髪の隙間から、彼の右目が露わになった。
「センリ。お前が何者であっても、お前が俺にしてくれたことは変わらない。お前の刀が俺を支えてくれた。お前の言葉が俺の背中を押してくれた」
「それはお前を利用するために!」
「俺にとっては、今葛藤するお前の苦しみだけが、真実なんだ」
センリが悲痛に叫ぶと、すぐさまカナギが否定するように言葉を重ねた。しかしそれは、センリの心を肯定する言葉だった。
「ええの? いろんな人を傷つけた俺が、その手を取っても」
「いいに決まってるだろ。お前は俺の親友なんだから」
カナギの答えはセンリの心を優しく包み込んだ。センリは初めて、胸の奥が暖かくなるということを知った。
「……ありがとう、カナギ」
センリがその手をカナギに差し出すと、豹の姿を成していた影はするりと解けていった。その手を掴んだカナギは、その腕を引いてセンリの身体を勢いよく引っ張り上げた。
思わず体勢を崩したセンリを、カナギは優しく抱き留めた。そしてセンリの背中にそっと腕を回し、感慨深げに呟いた。
「俺の方こそ、ずっと感謝を伝えたかった。お前が抱きしめてくれたとき、俺はここにいていいんだって、初めて思えたから」
初めて二人でレーセネの外へ出たときのことを、センリは懐かしく思い出した。セペルフォネで、恐らくリルのであっただろう機械音を聞き、暴走する自動車のことを思い出したカナギは動けなくなったのだ。
好きなものに一直線で明るく裏表がないという点で言えば、カナギとリルはよく似ている。そのことに思い当たったセンリは、身体の力が抜けていくのを感じた。
善良な人でさえ、誰かを傷つけてしまうのだ。
そう分かっただけで、センリの心は少し軽くなった。
「なあ、カナギ」
センリはカナギの肩に頭を乗せたまま言った。
「俺に、お前を救うと誓わせてくれ」
カナギがふっと微笑したような気がした。
「それでお前の気が楽になるなら、好きなだけ誓わせてやる」
そのとき、星々が輝いて二人の傍を駆け巡った。闇と光の入り混じったその奔流は、センリとカナギの絆を確かめるように二人を繋ぎ止め、やがてセンリの首に巻き付いた。
「い、今何が……。なあ、カナギ。俺ん首になんかついとる?」
センリはばっと身体を離して慌ててカナギにそう尋ねた。
「首輪みたいなのが付いてるけど……」
カナギは不思議そうにそう言って手を伸ばし、センリの首に触れた。
「触れないな。【キンモクセイ】と同じみたいだ」
「刀が分離して装備になったっちゅうことか?」
「そういうことになるな……」
二人が揃って頭を傾げていると、周囲の影は薄らいで元の座敷の景色を現した。
『まもなくメンテナンスを開始いたします。皆様ログアウトをお願いします』
アナウンスの声が聞こえてきた。
「とりあえず、センリが無事で良かった。次のイベント、一緒に頑張ろうな」
カナギが明るく笑ってそう言った。センリも応えるように頷いて、心の底からの笑顔を返した。
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