第397話 幕間:城塞都市西部防衛線会議室2
「今回の件、どう考える?諸君らの意見を聞きたい」
片付けに奔走する警備兵たちが会議室から退出するのも待たず、第二大隊長ケステンは同僚たる魔術師たちに問う。
そのあまりに性急な進め方に、先ほどまで渋い顔をしていた第四大隊長マーティアスまでもが笑みを浮かべた。
「ケステンの旦那は切り替えが早すぎる」
「ゆっくり吟味すべきことでもなかろう。それとも、ほかに優先すべき話があるとでも?」
愚者の始末はつけた。
貴族が処刑対象となることは珍しいが、例がないわけではないのだ。
慣例を一顧だにせず、十を超える貴族を独断で処刑した現役宮廷魔術師も存在するのだから、多少順番が前後したとはいえ慣例に従ったケステンが非難されるいわれはない。
もちろん、今ここで話し合うべき問題は別に存在しているという事実もケステンの切り替えの早さに影響を与えている。
しかし、それでもマーティアスは待ったをかけた。
「『捕食者』の件で意見を交わすのは賛成だ。ただ、まずは何が起きたのか……事実を確認するのが先だろう。特に両端は何が起きたのかもよくわかってないはずだ。認識をすり合わせないと話がかみ合わない」
マーティアスが水を向けると、主戦線の南北を担っていた各大隊長が控えめに頷く。
この場にいる魔術師の多くがマーティアスに同意している様子を受けて、ケステンも考えを改めた。
「それもそうか。では『捕食者』の動きについてだが……奴が現れたのは我が第二大隊の担当領域だった。奴は――――」
八個の大隊は南から順に、九、五、二、一、三、四、七、八という並びで戦線を構成していた。
各大隊長は自身が師事する宮廷魔術師の席次と同じ数字を冠している。
宮廷魔術師第六席は配下がおらず、第十席は現在空席であるため、第六大隊と第十大隊は存在しない。
第二大隊長ケステン、第一大隊長クレイン、第三大隊長レオナ、そして第四大隊長マーティアス。
『捕食者』に戦線を荒らされた大隊長から、それぞれが目撃した光景が次々と報告された。
「つまり、『捕食者』は騎士や兵士を殺しながら戦線中央部を南から北に移動、第三大隊正面で戦闘を繰り広げた末、冒険者をたった一人だけ攫って大樹海にお帰りあそばされたってわけか」
「信じられんな……」
マーティアスが簡潔にまとめた『捕食者』の動きに、ケステンが思わずといった様子で呟く。
ケステンが驚いているのは、各大隊の前衛たちが無残に蹴散らされて甚大な被害を出したことではない。
むしろ、宮廷魔術師団所属の魔術師をただの一人も喪うことなく『捕食者』を撤退させたというのは、ここ数十年では比類なき戦果と言えた。
アラクネと呼ばれる蜘蛛の体躯と人の上半身を持つ魔獣――――それによく似た姿形を持つ妖魔の出没が初めて確認されたのは、今から百年以上も昔になる。
防衛線を崩壊させるような巨躯も一度に千人を殺すような大魔術も持たないそれは、しかし極めて高い耐久力と回復力、そして高威力の魔術を合わせ持ち、一度遭遇すれば決して逃げられない死神として帝国軍から恐れられていた。
数年おきに戦線に現れては多数の兵を殺戮し、おそらくは餌として十人程度の魔術師を攫っていくことから、付けられた異名は『捕食者』。
魔力量が豊富な者ほど攫われやすく、50年ほど前には現役宮廷魔術師が餌食となった記録もある。
討伐はおろか撃退すら至難であり、餌となる魔術師を見捨てること以外に災厄から逃れるすべはないと考えられていた。
今、このときまでは。
「あれは、一体何者だ?」
マーティアスの問いによって、魔術師たちの視線は第三大隊長のレオナへと集中する。
たった一人で第三大隊の前線を担い、『捕食者』と対峙した冒険者の男。
件の冒険者を起用したのは第三大隊であり、それを率いる彼女であれば当然事情を知っているはず。
魔術師たちの視線には、そんな期待が込められていた。
「彼の名はアレン。辺境都市を本拠地とするB級冒険者です」
「辺境都市……それもB級?」
レオナの説明にマーティアスは訝しげに片眉を上げた。
それもそのはず、『捕食者』は冒険者ギルドの格付けでA級とされる妖魔だ。
A級の妖魔や魔獣は、討伐にA級冒険者を含むパーティを必要とすると冒険者ギルドに認定された存在であり、通常B級冒険者単独ではまず歯が立たない。
しかも、『捕食者』はA級の中でも別格。
それ以上のランクが存在しないためにA級と一括りにされているが、A級冒険者パーティ、宮廷魔術師団、城塞都市方面軍が百年以上にわたって討伐に失敗し続けているため、非公式ながらAA級、超級などと呼ばれる災厄の化身だ。
それと相対して一時とはいえ拮抗を演じた者がB級というのは、俄かには信じがたい話だった。
しかし、冒険者のランク制度に通じる第一大隊長クレインは、マーティアスの疑問に対し明確な回答を提示した。
「実力とランクが乖離しているのは若い冒険者なら不思議なことではない。冒険者のランクを上げるには実績が必要だ。単純にA級の昇級試験を受けるための実績が足りていないのだろう」
カールスルーエ伯爵家は戦争都市の領主家として公国との戦争を続けており、冒険者ギルドから戦力の融通を受けている。
冒険者を使いこなすには、冒険者に詳しくなければならない。
クレインの冒険者に関する知識が一般の魔術師や貴族と比べて充実しているのは、そのためだった。
クレインの解説に、レオナも頷いて同意する。
「彼の冒険者カードは傷が少なかったので、発行されてからあまり日が経っていないのだと思います。おそらくですが、B級に昇級したのも最近なのでしょう」
「ふむ……。冒険者というのも、案外不合理なのだな」
ケステンが誰に言うでもなく呟いた。
魔術師は何よりも実力が優先される。
経験も実力のうちと言えばそれまでだが、単独で『捕食者』と渡り合える冒険者がB級に留まっているというのは、ケステンには理解しがたい話だった。
「まあ、冒険者のランクのことはわかった。それで?」
マーティアスは自らが広げた話を打ち切り、再びレオナを見やる。
レオナは彼が求める情報の一端を開示した。
ただ、それは彼が本当に知りたかった核心に近づくための踏み台に過ぎない。
マーティアスが率いたのは、レオナが率いる第三大隊に隣接する第四大隊。
自身の魔法を意に介さない『捕食者』が斬撃から逃げ回るところも、対象を区別しないはずのレオナの魔法陣の中で悠然と戦う様子も、その目ではっきりと見ているのだ。
そして何より、自身の極めて高い魔力感知能力が拾い上げた、凄まじい魔力の波動。
宮廷魔術師と接する機会の多いマーティアスをして身震いするほどの圧力が、今もなお彼の肌をひり付かせる。
しかし――――
「残念ながら、私が知っているのはそれくらいのものです」
「おいおい、そりゃないぜ……」
レオナのあまりにつれない言葉に、マーティアスは大げさな身振りで落胆を示した。
たしかにこの手の情報は貴重だ。
所属する派閥が異なる都合、ときには互いを出し抜くために動くこともある。
渋る気持ちだってわからないではない。
だが、それでも自分たちは祖国を守るため、肩を並べて妖魔に立ち向かう戦友なのだ。
作戦の成否、あるいは生死すら左右するような情報すら出し渋るというなら、失望を禁じ得ない。
マーティアスの内心を察したのだろう。
レオナは困り顔で首を振った。
「別に隠しているわけではありません。彼と会ったのはほんの数回……本当に何も知らないんです」
「何も知らない冒険者をどうやってあんな……言っちゃ悪いが、酷い依頼に引きずり込んだ?」
本当に酷い言い草だった。
ただ、精鋭の騎士と兵士が二百人近く隊列を組んで戦線を構築する中、たった一人で妖魔に集られ続ける背中を見守った後では抗弁する気持ちも失われている。
マーティアスの言いようは、実態と比較すれば十分に配慮されたものだった。
「そもそも私は依頼してません。ソフィー……第三大隊に参加した見習いですが、あの子が実家の防具店の商品を盾に少々無茶を言ったようです。ああ、そういえば貴方もその場に居合わせていましたね」
魔術師たちはレオナの視線を追う。
そこに居たのは、クレインだった。
「私と同じく初対面ではあったようですが、ご実家から彼のことで情報があった様子。私より、よほど詳しいのではありませんか?」
問われたクレインは苦い顔だ。
例の冒険者の情報は、貴族にとって小さくないアドバンテージになる。
できれば言わずに済ませたかったが、このような流れでは煙に巻くのも難しい。
「お前の言う通り、俺はあの冒険者に関していくらかの情報を持っている。ただ、カールスルーエにおいても情報の精査は済んでいない話だ」
「この際、未確定でも推測でも構わん。話せる範囲で話してくれ」
ベッカー子爵家の当主であるケステンは、家の都合というものに理解がある。
だからこそ、話せる範囲でという一言を付け加える配慮があった。
「仕方ないな……」
ここでだんまりを決め込んだときの不利益と、情報を秘匿したときの利益。
両者を比較して、クレインは溜息をこぼした。
もとよりカールスルーエの息がかかった冒険者というわけではないし、もし大樹海から生きて帰ればたちまち名が知れ渡るのだろう。
情報が広まるまでの間にカールスルーエが他勢力に先んじて接触できるならともかく、今頃本人は大樹海の彼方。
これでは隠す意味も感じられなかった。
「B級冒険者アレンは、愚弟が所属する『黎明』というパーティのリーダーだ。愚弟とともにふらりとカールスルーエ市にやってきたところを長兄のクルトに見つかって巻き込まれ、一冒険者として公国軍との戦争に参加した」
「なんでこんなときに戦争都市に……?」
「慰安旅行と聞いた」
「理解できんな。辺境都市所属では仕方ないのだろうが、耳は良くないのだろう」
散々な言われようだと思ったが、レオナがそれを口にすることはなかった。
彼女も同意見だからだ。
「彼が数百人の冒険者と共に戦争に参加したのはほんの数日間。ただ、その期間に戦況は大きく好転した。二度にわたる渡河攻撃によって公国軍に多大な被害をもたらし、勝利に大きく貢献したのは間違いない」
「冒険者を率い戦果を挙げたってことか」
「なるほど。それでは個人の実力は霧の中か」
「まあ、そうだな……」
濁すような物言いに、マーティアスとケステンの目が細められる。
クレインは少し迷った末、追加情報を口にした。
「ひとつ……馬鹿みたいな話だが、未確定情報がある」
非常に興味をそそられる前置きだ。
その場にいる者たちは無言でクレインに視線を向け、それを受けた彼は微妙な表情で続きを口にした。
「四万の兵力を擁するとも言われた公国軍陣地を単騎で襲撃し、公王と公国騎士団長の首を取ったそうだ」
「「「…………」」」
何かの比喩か、単なる冗談か。
反応に困った魔術師の面々が互いの表情を観察する、居たたまれない空気が生まれる。
それを察することができないクレインではなく、彼は顔を背けて愚痴を吐いた。
「だから言いたくなかったんだ……!」
「馬鹿にするつもりはなかった。許してくれ」
「ただ、噂としてもあんまりな話ですね……」
マーティアスは素直に頭を下げた。
ただ、率直な感想はレオナの言葉に集約されている。
若干不貞腐れたような雰囲気のクレインは、投げやりに更なる爆弾を投下した。
「噂でいいならもっとバカバカしい話がある。本人ではなく『黎明』に所属する精霊と魔術師の話だが、前線基地の横を流れる川の水を操って対岸の公国軍を氷漬けにしたそうだ。たった一度の魔法で一万を超える兵を無力化して大軍を壊走させたらしいぞ」
「ケステンの旦那、残念だったな。第十席はそいつで決まりだ」
空席である宮廷魔術師第十席。
宮廷魔術師団の中で最もその椅子に近いのはケステンだと多くの者が認めていたが、彼自身は実力不足を理由に名乗りを上げていなかった。
たしかに一撃で万の兵を葬れるとしたら、宮廷魔術師として全く不足はない。
それどころか主席にすら手が届くだろう。
もっとも、クレインの話を本気で信じる者はいなかった。
口さがない者には『狂犬』と揶揄される火力自慢の第六席ですら、一撃で殺せるのは火災による被害も含めて千人程度。
一万という数がどれだけ馬鹿げているか、優れた魔術師である彼らは当然理解している。
確度の高い情報として実家から連絡を受けているクレイン自身ですら何かの間違いと考えているのだから、この場にいる魔術師たちがそれを信じられないのも無理はない。
「噂の真偽は横に置いても、ここで起きたことは事実だ。何かの拍子に『捕食者』の手を逃れて生還したとき、我々が恨まれるような事態は避けるべきだろう」
「生還ねえ……」
マーティアスの言葉から、その可能性の薄さが見て取れた。
例の冒険者の強さを疑うつもりはないが、彼を連れ去ったのは百年もの長きに渡りたった一人の生還も許さなかった『捕食者』だ。
ただ、敢えてケステンの言葉を否定する理由もない。
保険を掛けるのは、マーティアスとしても賛成だ。
「まあ、今回は第三大隊か」
「少々複雑ですが……。ソフィー経由で冒険者ギルドへの依頼料を積み増しておきます。これでこちらの誠意は伝わるでしょう」
彼らが言うのは、作戦に最も貢献した隊に与えられる追加報酬のことだった。
作戦後の反省会において、各大隊長が話し合いで“最優秀賞”を決める。
意固地になるような額ではなかったが、競争意識を高めるために続いている慣例だ。
今回はこれを第三大隊のレオナに支給し、彼女はそれを例の冒険者への支払いに充てる。
彼がそれを受領する機会があるのなら、それは最低限の詫びの気持ちとして伝わるだろう。
そうすれば、もし今回の件で宮廷魔術師団に対して不満を抱えていたとしても、話し合いの余地もなく戦闘になることはないはずだ。
純粋に保険として提案したマーティアスよりも幾分か生還の可能性を信じているレオナとしては、ありがたい話だった。
その後、ほかの大隊長からも反対意見はなく、最優秀賞は第三大隊に決定。
「では、これにて解散」
ケステンが立ち上がると、魔術師たちはそれぞれ席を立った。
彼らも暇ではない。
すぐに次の任務が控えている者も師事する宮廷魔術師に報告へ向かう者も、皆足早に会議室を立ち去った。
魔術師たちがいなくなった会議室。
無事に場をやり過ごした方面軍司令官以下高級将官たちは安堵し、ゆっくりと溜息を吐いた。
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