魔女中毒ー②
「昨日は少し遅かったわね」
朝起きると、ベッドの傍に刻魅が居た。
無表情、しかし声色はどこか低い。
「ああその、それは…………」
「まあ良いわ。あなたにだって付き合いのある友人の一人や二人くらいは居るのでしょうし」
「………………ああ、まあ、そんなとこ」
相変わらず刻魅の表情はわかりにくい。
ベッドの中に居る時には微笑を浮かべているが、それ以外は基本的に無表情だ。
決して無感情という訳では無いのだが、それでも時折そう感じてしまう。
「どうしたの? いつもより返事が固いけれど」
「そうか?」
「いや、そんな気がしただけかもしれないわね。ごめんなさい」
「いや、別に良いんだ」
実は女子と遊んでいましたなんて言えるはずもない。
実際のところ、昨日も携帯に何件かメッセージが来ていた。学校であんな事件があったんだ、心配してれたのだろう。
「…………」
胸の奥が苦しくなる。
鼓動が高鳴って血管が少しだけ膨れ上がっている気がした。
(大丈夫、だよな?)
別に蠍先輩と具体的な何かがあった訳じゃない。
少しボーリングとゲームセンターに行っただけだ。高校生の遊び場としては極めて妥当な場所だと思う。
何もおかしなことはない、はずだ。
チラリと刻魅の顔を窺う。
彼女は疑問符を浮かべたような顔をして、少しだけ首を傾げた。
俺は急いで目を反らす。
「……朝飯食べてくる」
「私も行くわ。待ってたのよ」
顔を洗い、用を足し、着替え終わった俺は刻魅と共にエレベーターに乗り込む。
(警戒すべき、だよな……)
もうほとんど頭の中では理解している。
しかし同時にそれを認めたくない自分が居るのも、また事実だった。
■
学校はまだ再開していない。
だからわざわざ外に出る用事もないのだが、俺は何となく街をぶらついていた。
辿り着いたのはコンビニ。昨日蠍先輩と出会ったあの場所だ。
買いたい物がある訳ではない。ただ来たくなった、それだけだ。
目的の無い外出で最終的に行きつく先はコンビニか本屋であると、俺の中で相場は決まっている。
「あれ? 灰清じゃん。おっはー」
パッ、と勢いよく首が曲がった。
視線の先に居るのは蠍先輩だった。昨日とは違い、私服姿だ。相変わらず露出は多い。
「どうも。……先輩はどうしてここに?」
「んー? 別に、何となく? 私家で大人しくしてるタイプじゃないしさ? 殺伐としたこの感じ好きなんだよね」
殺伐としているのは街全体のことだ。確かに今日はいつもと比べて人通りが少ない。出勤するサラリーマン達を見かけはしたが、皆若干顔が強張っているようにも思えた。
「灰清は? 昨日結構ビビってたよね? なのに出てきたんだ?」
「いやその……」
「あっ、もしかして私に合いたかったとか?」
「…………別に」
否定の言葉を口にすることに若干手間取った。
蠍先輩が悪戯な笑みを浮かべる。心は見透かされたも同然のようだ。刻魅に疑われるのも納得だ。
「えー? それなら連絡くれれば良かったのにぃ。灰清とならいつだってウェルカムだよ?」
「……そう、ですか」
何だろうか。蠍先輩には不思議は魅力がある。
美人だし、スタイルも良い。しかしそれだけでは収まりきらない程の何かが俺を惹きつける。
(わかってる、わかってるんだ…………)
この魅惑の正体には勘づいている。しかしそれ以上の思考を行うことを、輪郭を形成することを、他ならぬ自分自身が拒んでいる。
浸りたい。今以上の濃度の蜜の浴に。
理性の先にある自分がそう呟いた。
「どこ行く? 普通に平日だからどこでもやってるよ?」
「ああ、じゃあ、カラオケ、とか?」
「ん、オッケー」
俺達は手頃なカラオケボックスに入る。
ここ龍王財閥が展開している娯楽施設の一つだ。大手が手掛けるだけあって、沢山のサービスが充実している。
無料のドリンクバーに軽い軽食。流行りの曲から往年の名曲まで取り揃えられている。
「へえ、灰清って結構可愛い趣味してるんだね」
俺が選択した歌のラインナップに蠍先輩が微笑を浮かべる。
揶揄い半分、興味半分と言ったところだろうか。
「……あんまり世間の流行とか乗れないんですよ。だから好きなものだけで生きてます」
「あ、それはちょっとわかるかも。あまり周りに合わせたりすると義務感みたいなのが出て来ちゃうよね」
俺が選択したのは土曜や日曜の朝にやっているヒーローソング。
子供っぽいと思われるかもしれないが、最近のは有名アーティストが手掛けていたりしてぱっと見ではそうだとわからないものも多い、のだが映像付きするともろバレになってしまう。
だが映像付きである方が気分も乗るため、そこが難しいところだ。
「~~~~~~♪」
先輩が歌うのは誰しもが一度は聞いたことのある曲に加えて、時々知らないもの。
調べてみるとミステリー物の主題歌が多かった。
ドリンクで喉を潤しながら歌うこと三時間。
マイクを置いて雑談することも増えてきた。
「灰清はさ、彼女とか居るの?」
「…………ぇ」
そんな何気無い話題が俺にとっては刃となる。
どう答えるべきか、迷った。
(俺と刻魅は、恋人なのか……?)
思い浮かべるのは出会った時の夜。
紅い三日月の、夜。俺達が初めて交わった、あの日の夜。
告白があった訳ではない。そんな甘酸っぱい状況に、俺達は置かれていなかった。
切羽詰まって、どうしようも無くて。
俺に出来ることがあったから、始まった関係。
刻魅は当時、俺という個人には余り執着していなかった。
なら今は? 高級ホテルの一室を用意し、生活費を工面し、時折交わる。
それは一定以上の信頼が無いと出来ないことではないのか?
だがそれは半ば脅迫に近いもので。両親の居ない、他者からの支援も受けられない俺が彼女との関係性を切れる訳も無い。素直に従う他無いというなら、そうかもしれない。
金さえ渡せば靡く、都合の良い売夫のような印象でもおかしくはない。
(ああ、最低だ、俺……)
本来なら、普通なら、真っ当な神経をしているのなら、どういうべきかなんてわかってる。
しかし現実は無情で、卑劣で、最悪。でもだとだってだのしかしだの言い訳の言葉が、事実として記録されている記憶を都合の良いように改変している。
どうしてこんなことになっているのか、理由は明白だ。
「……ごめん、失礼なこと聞いたかな?」
「あ、いや……」
助かった、という思いと残念だという思いが両立している。
馬鹿馬鹿しい。出会ったばかりの他人に一体何を期待しているのか。
(そうだ、そうだよ。信じるべきだ、刻魅のことを)
本当に嫌ならば、拒絶の言葉があるはずだ。
信じないといけない。聞いても無い、聞く勇気も無い癖に決めつけるなんて屑のすることだ。
もうやめよう、こんなことは。
そんな決意は。
「じゃあ、私と付き合わない?」
先輩の囁きによって、あっさりと亀裂が入った。
視界が紫色に弾ける。先輩の瞳と重なったからだろうか。
「ヤバい、私今すっごいドキドキしてる」
後頭部に手が回る。顔が近づいて、改めて先輩も美人だとわかった。
甘い香りがする。刻魅とはまた別の、熟した果実のような。
たった一歳しか違わないのに、酷く彼女が大人に見える。
「ぇ……」
頬に手が添えられた。暖かい、というよりは熱い。
同時に身体が震える。ここから先は踏み出してはいけない一歩なのだと、本能が訴えかけていた。
しかし踏み込んでしまえと言っているのもまた本能で。
正反対の二色の感情が交わって、脳みそを掻き回している。
気持ち良いのに、心地良いのに、気分が悪い。グルグルグルグル、二重螺旋。
「ねえ、感じる? 私のドキドキ」
「ぁ、はぃ……」
言葉尻が小さくなる。
熱にあてられ、口調そのものが溶けている。
体温が限りなく上昇し、視界が僅かにぼやける。
「ああ、もう駄目、我慢出来ない」
先輩の口が開く。
多くの唾液に浸された分厚い肉が迫り、そして。
「――――――――――――――――――――――、か」
意識が飛んだ。時間にすれば僅か数秒。
視界が真っ白に染まり、紫色の霧がかかる。そう見えているだけだろうか。
ピクリピクリとまるで切り離された蜥蜴の尾のように手足が弾ける。そこには理性なんてものは介在しない、ただ純粋な生物としての条件反射。
「あ、ぇ、」
「ふふ、何て言ったかわかんない。けど、嫌って訳ではないんだよね?」
ああ――め――だ――――ず――――――なぃ――――――――――――――――――――――――――――。
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