低級魔族が恋した上司は熱烈な♂人間様でした

龍神雲

第1話 最悪の出会いからのときめき

 この世には人を傷付けないのを絶対条件に人間界で暮らす許可を得て生活している魔族が沢山いる。

 かくいう俺も、その内の一人だ。

 新山にいやまメシア、二十一歳、ひょろがり体型が少しネックだが、それでも人間と同じような見た目なので違和感なく人間界に馴染んで生活している。

 憧れていた人間界で就職口を探し、羽衣石ういし化学に就職した。

 羽衣石化学は静岡県に所在する一般企業で、平々凡々に過ごせる企業だと、つい最近まで思い込んでいた時分が懐かしい。

 羽衣石化学は少し(?)変わった方針で、事件に巻き込まれるとは思いもしなかった――

 

  ➴➴➴


「愛と感謝の気持ちを込めて、今日も粛々と――、清く! 正しく! 美しく! 良質な"クールメディシン"を量産する為の業務をこなしなさい。新人だろうと手を抜いたら私は容赦しませんよ、分かりましたね?」

「「はい! 我々は良質なクールメディシンを量産する為にあらゆる手段を使い、この組織に貢献し、邁進していきます!」」

 羽衣石ういし社長の流暢な訓示に続き、社員全員が唱和していく。

 毎朝、羽衣石化学での朝礼はこの訓示から始まり、各々の業務が開始するのだ。今年、中途入社したばかりの俺にとっては何がなんだかさっぱりで、入社して数ヵ月が過ぎたが、クールメディシンという言葉からして理解不能だ。

 そもそも企業面接を受けた時と、今のこの企業の印象が大分違っていた。おまけに方針も異なる為、混乱するどころかクールメディシンのクールって何なんだよ? と突っ込む有り様だ。勿論突っ込みは心内だけにしている。

 とまれ、クールメディシンのクールに関する情報が聞ける雰囲気はなく、今現在も疑問を抱えたまま、古参社員から与えられた仕事を何時も通りに受け取り、今日も淡々と仕事に取り組む日常だ。

 仕事自体、深堀しなくてもこなせてしまう上に、ただ入力するだけの一切頭を使うことがない簡単な仕事だ。楽チンに一日が終わるが、このままでいいのかと最近ふと思う。しかし考えても堂々巡りになるだけなので仕事に取り組もうと自分のデスクに行こうとしたが、羽衣石社長の自らの手によって阻まれてしまった。

「きみきみ、えーと……君の名前は、何君だったかな?」

 羽衣石社長に声を掛けられたのは入社試験と入社式以来だ。

 アールグレイの短髪ウェーブパーマにアールグレイの瞳が特徴の三十五歳の若社長、羽衣石ゆき。柔和な顔で、とても親しみやすい印象の男性だ。

「新山メシアです」

「それだ! メシア君! わが社に相応しく良い名前だ! さて、メシア君! 君はこの仕事についてどこまで理解しているのかな? 有り体に私に話してみなさい」

「――えっ……」

 羽衣石社長はにこやかに尋ねてきたが、瞳に鋭い眼光を宿らせていた。ぴりっとした空気に思わず逡巡してしまう。

(正直に、まだ何も分からないと答えていいものなのか……。『新人だろうと手を抜いたら私は容赦しませんよ』とかなんとか言ってたしなぁ、うーん……)

 はっきり言って仕事の内容を理解していないことが多く、おまけにこの会社に入社してから何も聞かず、何も考えずに単調な作業をずっとしていた。何ならこの企業が何をしているのかさえも理解していない。

(流石にこのままでは不味いよな……)

 そろそろ新人気分から抜けなければクビもありえるかもしれない。

 考えあぐねた末、羽衣石社長に正直に打ち明けることにした。

「その、実は……何も理解しておりません、申し訳ございません」

 だが羽衣石社長はにこやかに頷いた。

「矢張りそうか。ふむ、そうだと思っていたのだよ! いや~、私の直感は正しかった! すっきりしたよ! 有り難うね! メシア君!!」

「へっ?」

 皮肉、もしくは叱咤されるのを覚悟していたが、何故か嬉しそうに笑い、力強い握手をされ、お礼まで言われてしまった。

(えっ、どういうこと……?)

 流石に混乱した。先程の空気は一変し、緩やかな空気が流れていく。

「えっと……?」

 戸惑い言葉に詰まる中、羽衣石社長は和やかに笑い飛ばしてきた。

「そんなに頑なにならなくていいんだよ! さて、メシア君! 今日の君の仕事は入力仕事ではないものにしようか!」

 束の間、古参の先輩から先程受け取ったばかりの書類を羽衣石社長は軽やかに俺の手から奪うと、そのまま古参の先輩の元に向かい、書類を戻してしまった。

「これからメシア君は入力仕事じゃない作業をするから、僕の元でね」

 仕事の引き継ぎの事情を社長自らが説明していた。本来ならば自分が説明することなのに――

(立場が逆転してるのは何でだろう……?)

 次いで、羽衣石社長は「ついてきたまえ」とさわやかな笑顔で告げて部屋を颯爽と退去した。羽衣石社長の後を追い扉を開けた頃には、フロアの角を曲がっていた。羽衣石社長の足は速く、スーツと共に筋肉が纏わりついている感じだ。

(急げ俺!)

 自分を叱咤し、ワンテンポ遅れならも慌てて羽衣石社長の後を追いかけた。

 

  ➴➴➴


「さ、ここが君の仕事場だよ。いや違うな……正確にはここから君に、新たな仕事が依頼される場だ。私の権限でね。そんな訳だけどメシア君、ここまでは理解できたかな?」

「……は、はひ………………、承知……しました……」

 俺は過呼吸寸前で、声を出すのが精一杯だった。全身に大量の汗をかき、息はぜいぜい、両膝どころか全身の筋肉という筋肉から悲鳴が上がっていた。

 羽衣石社長の後を必死に追いかけて約一時間、そう、あれから一時間が経過していた。

 一時間、設置されたエレベーターやエスカレーター等の文明の利器は一切使用せず、利用もできず、何故か隠し通路を通って自力で階段を昇らされた。おまけに足場だとか、ロープワークまでさせられた。どれも人生初の経験になった。何で社内にこんな物が設置してあるんだと、普通に階を跨げないコースをわざわざ通るのはおかしいだろうと、突っ込むのも疲れる程に、行く先々に難解コースが設置されていた。最早こんなトライアスロンばりの運動をさせられるとは思わず、元々体力もなかった俺は着いて早々、虫の息だ。

 リフォームの途中なのか、ただの欠陥なのか、それとも社長の趣味なのか――いずれにせよ、次からは文明の利器に肖りたい。

「何時もなら二十分ぐらいで到着するのだけれど――でも、初めてにしては上出来だよ、感心感心♡」

 息一つ乱さない羽衣石社長はのんびとりした様子で部屋の扉を開けた。

「グッモーニング♡」

 開け放たれた瞬間、室内で待機姿勢で立っていたのは、三十代ぐらいの黒髪短髪の色白の男だ。

(うわ、長身……)

 背は百九十ぐらいはありそうだ。待機姿勢だった男は羽衣石社長を見るなりつかつかと歩み寄り、丁寧にお辞儀をして出迎えたが、そのまま羽衣石社長の前にひざまずく姿勢を取った。

「おはようございます、羽衣石社長。今日も今日とて、見目麗しい羽衣石社長のご尊顔を拝することができた私にとっては何よりの至福であり、訓示であります。しかしながら羽衣石社長、ご到着が何時もより四十分程遅れております。本日も見目麗しい様はおかわりなく――……ですが、私は羽衣石社長の御身が気になる所存です、如何なされましたか?」

 慇懃に出迎えた男は羽衣石社長の御身を本気で心配していたのだろう、声もだが表情も焦燥していた。

(そういえばさっき、何時もなら二十分ぐらいで到着するって言ってな。俺が羽衣石社長の後に付いてくのが必死で、迷惑掛けてしまったみたいだな……)

 俺がまごまごしていると羽衣石社長はその度に足を止め――

『メシア君、あと少しだよ! ほらほら、頑張れ頑張れ』とにこやかに応援してくれたのだ。

(優しい社長だよね……)

 そう巡らす中、羽衣石社長が俺の両肩に手を置くなり、焦燥する男の目の前に押し出した。

「うん、遅くなった理由はね? 新人君を如月君に紹介したかったからだよぉ~♪ 名前は新山メシア君、良い名前だよね? メシアという響きがいい! 仲良くしてやってね?」

 羽衣石社長が室内にいた男に紹介したので、この流れで自らも紹介し、遅れた理由も説明しようとしたが、跪いていた男はさっと立ち上がり、俺の腕を掴むな否や、室外へと連行していく。

(――!?)

 突然連行された俺は当然ながら焦りまくりだ。しかも男は一言も発しない――怖い、怖すぎる。室内に羽衣石社長を残したまま廊下を少し歩いて数分、ようやく男の歩みが止まり、腕も解放されたが、依然として相手の男は沈黙したままだ。

(一体、何なんだろう──?)

 男を見遣ればとんでもない目付きで此方にメンチを切っていた。

(怖っ! 俺、何かしたのかな……? いや、してたか。羽衣石社長が遅れた原因になってたし。でもだからといって、こんなにメンチを切る程のことなのか――あ、遅れたせいで業務に支障が出てしまったとか? それなら不味いよな……直ぐに謝ったほうがいいよね)

 重苦しい雰囲気を纏って沈黙する男に「あの」と声を掛けたが、

「あ? 誰が話していいと言った?」と被せてきた。

 羽衣石社長に対する丁寧な言葉遣いから一転、完全に裏社会丸出しな語調且つ、漫画に登場しそうな悪役のようなパワハラ台詞をかまされた。男は大仰なる嘆息と共に気だるげに端末を取り出すと画面を数回タップし、此方に画面を見せながらスクロールする。その画面には俺の入社テストの成績に続き、面接での質疑応答に履歴書、更には平日や休日のルーティン等も事細かく記載されていた。プライベートがまるでないどころの騒ぎじゃない。

「うえ!? やばっ、きもっ……!」

 思わず本音が口から飛び出した。むしろ訴えていいレベルなんじゃないかという話だが、それを見せてきた男は平然と言ってのけた。

「お前だけじゃない、羽衣石化学に勤めている全社員の名前も素性も、この羽衣石化学に足を踏み入れた時から、こちとら把握して管理してんだよ。自己紹介はしなくていい。俺の働きに感謝しろ──だがな、テメーは禁忌を侵した。何のことかよーぉおく、分かってるよなぁ?」

 無茶苦茶な上に身に覚えがない話をされ混乱したが、冷静に考えてみた。

 禁忌、禁忌……禁忌? 一体なんの事だろう?

 しかし思い当たる事がなく「分かりません」と答えた瞬間、胸ぐらを乱暴に掴まれ勢いよく壁に押し付けられ叩きつけられた。

「あ? 分かりませんだぁ? すっとぼけてんじゃねぇよ! 羽衣石社長といちゃコラ出勤しやがって分からねぇって、良い度胸だなぁおい! だったらはっきり言ってやる! どう羽衣石社長をたぶらかしやがったかって聞いてんだよォ!!」

 は――? 社長といちゃコラ? 誑かす? 勘違いにも程があるんですが!?

「ちょっと待って下さい! 俺はいちゃコラなんかしてませんよ! そもそも社長に興味はないですし……」

「ああ!? てめぇ羽衣石社長に興味ねぇってどういう事だよ!? 何様だゴラ!! 羽衣石社長に心酔してこそが真の社員の器だろうがぁよ!? 分かってんのかカス!! クラゲの糞みてねーなつらしやがって!!」

 正直に告げた瞬間、男は更に激昂した。

(話が通じない上にとんでもなく面倒で厄介な人だよこの人! ていうか、クラゲの糞みたいな面って……)

「こらこら如月君、新人君とは仲良くしてねと言ったでしょう? 指導も程々にって何時も言ってるのに、困るなぁ~」

 羽衣石社長が現れた瞬間、俺は解放され、男の態度も借りてきた猫の状態に戻った。

「はっ、申し訳御座いません。この不届き者が我が社に相応しいかどうかのテストを実施し査定してました」

(不届き者って……。俺、社員なんですけど。そもそもテストじゃなくて、この人個人の私情で完全に私怨だったし……)

 しかしそう突っ込めば再び面倒事が発生するのが目に見えていた。一先ず口は噤んだまま、羽衣石社長とこの男の応酬を見届ける事にした。

「うんうん、会社愛はとても嬉しいのだけどね? 会社を愛する気持ちが先走り過ぎる事が度々あるから、如月君にはこの子が適任かなと思って、暫く君の下に付かせようと思っているのだけど、問題ないかな?」

「羽衣石社長のご命令とあらば、何時、如何なる場合も己を律し粛す事ができます故、勿論、有り難くその任、引き受けさせていただきます!」

「そう、仲良くできそうで安心したよ」

 羽衣石社長は朗らかに笑った。

「……」

(つまりは、俺はストッパー兼サンドバック的な立場ってこと? めちゃくちゃ面倒で嫌なポジションなんですが!?)

 会社愛というより、社長愛が過ぎる人の下で働くとか、マジで地獄なんですが。

(社長との距離の取り方も気を付けないとな……)

「あの、えっと、改めてよろしくお願いします――あ、そういえば名前……」

「如月だ。俺のことは以後、如月様と呼べ――クラゲ野郎」

「あ、はい……如月――様」

「まじで真に受けてんじゃねぇよ。普通に如月さんでいい……ったく、冗談通じねぇなぁ」

「も、申し訳ないです……」

(なんかやだな、この先輩……)

 何かしらのストレスが発症しそうである。いやすでに発症してもおかしくない状態だ。しかし羽衣石社長は絶対君主男――もとい、如月先輩と俺を交互に見遣ると満足そうに微笑み「良いコンビになりそうだね、期待してるよ」と柔らかく微笑んだ。

 いやいや、どのへんがですか!? なんて巡らす内に、俺は如月先輩に首根っこを掴まれて、

「おら、行くぞクラゲ」

 引きずられる形で社長室を退室することになった。

(俺はこれから、どうなるんだろう――?)

 如月先輩に引きずられるまま部屋を退室し、文明の利器のエレベーターに乗って地下一階の駐車場まで下りた。地下一階の駐車場には真っ赤な派手なベンツが停めてあり、

「あれで行くぞ。俺の愛車に乗れることをありがたく思え」

 ベンツは如月先輩の社用車のようだ。運転は俺ではなく如月先輩で、助手席に座るように促された。助手席に座って間も無く「ほらよ」と黒い鞄を渡された。

(――ん? 大事な鞄だから、持ってろってことなのかな……?)

 手渡された鞄を大事に抱えていると、如月先輩の怒声が俺の鼓膜を突き破る勢いで響いた。

「クラゲ! その鞄の中に入ってる書類にさっさと目ぇ通せ! ボサッとしてんな! シートベルトもはよしろや!」

「は、はぃぃ……! うわっ!?」

 シートベルトをカチリと装着した瞬間、車が急発進し、とんでもない勢いでカーブを曲がって駐車場から外に飛び出した。運転の荒さは性格の荒さを物語るというが――いや元より、運転以前に最初から荒ぶりが凄まじすぎる性格だ。

 とまれ、次の怒声が飛ぶ前に、如月先輩の鞄を開けた。一応「失礼します」という断りも入れて。

 鞄の中を見ればA4サイズの書類の束が入っていた。書類の束を手に取り、最初の頁から目を通せばこの企業が開発している薬の紹介等が記載されていた。どうやらカタログの資料のようだ。

「これって……、この企業のカタログになる前の資料ですか?」

「ああ、そうだ。それ以外、何に見えてんだよ?」

「いえ、別に……。失礼しました」

 反論すればどやされる――反論しないようにしよう。そう悟り口を閉じる中、

「クラゲ、そのカタログはただの資料じゃねぇ。羽衣石社長の魂と願いがつまったカタログの資料だ。ちゃんと目ぇ通せよ? 目的地まで三十分ぐらいで着く。それまでにしっかり頭に叩き込んでおけ、分かったな? 頭に叩き込んでなかったら後で埋めっからな」

「は、はい……」

 軽く脅された。移動時間が暗記の時間になり、必死になって、いつの間にか目的地に到着していた。


   ➴➴➴


 着いた場所は高層ビルだった。勤めている羽衣石化学と同じようなビルだが、どことなく雰囲気が違った。一般的な企業から外れた、いわゆる裏社会的な雰囲気が漂う怪しいビルだ。

「ここは羽衣石化学が傘下にしている企業、仁枝ひとえ工業だ、行くぞ」

 如月先輩は俺が見ていた資料を鞄に戻すと車から降りた。傘下にしているからなのか、真っ赤なベンツが止まった瞬間に玄関先に黒服の怪しげでいかにもな男性三人がお出迎えしてくれた。

「おつかれさまです!」

 如月先輩が傘下の企業のビルに足を踏み入れた瞬間、威勢のいい声が返ったが、それと同時に鋭い視線も受けた。

(ひぇ……めちゃ見られてるんですが……!?)

 強面視線の集中豪雨を受けどぎまぎする中、如月先輩が口を開いた。

「こいつは新人だ」

「「「うっす!」」」

 その一言で何かが通じたようだ。以心伝心なのか――なんて思っている内に、如月先輩はつかつかと先を歩いて行ってしまう。

 ちなみにこの仁枝工業のビル内は普通の作りで、隠し通路やアスレチック的な要素はどこにも見られなかった。

 如月先輩と共にエレベーターに乗れば、如月先輩は溜め息を吐き、キッと此方を見遣った。

「クラゲ、何か見ても余計なことは言うなよ」

「え? あ、はい……」

 しかし余計なことを言うなよと牽制されただけで、今一余計なことにあたる具体例が俺には浮かばない。そもそもこの企業にとっての余計なことは一体何だろう……? この場で聞いたほうがいいのだろうか……? そう逡巡している内に階に着いてしまった。着いた階は最上階のフロアだ。フロア表が書かれていないので謎に包まれているが、それすら聞けず、エレベーターを降りることになった。

「これから大事な秘密を見せるが、クラゲは黙って見て受け入れればいい、分かったな? くれぐれも余計なことは言うなよ?」

「は、はい……」

 再び念を押された。しかもすっかりクラゲ呼びまで定着していた。だが反論すれば何かとややこしいことになりそうなので頷くしかない。

(しかしここまで念を押さなければならないことってあるのかな……?)

 些か疑問だ。そもそも俺は何かに対して口だしすることはあまりない。無関心といえば無関心なので、ある意味使いやすいかもしれないが。

 如月先輩の後に続いて最上階のフロアの扉を開ければ、そこには未知の世界が広がっていた。だが俺にとってはある意味懐かしい光景でしかなかった。

(え、嘘だよね……?)

 目を疑う光景、そう、そこは俺が元いた世界の住人達が大量にいる場所だった。嗅ぎなれた魔族達の匂いは、俺の鼻腔を通過するまでもなく知覚できた。

(でも何で、魔族達がこの場所にいるんだろう……?)

 俺の足はいつの間にか後退したが、刹那、背中に衝撃が走った。

「おい、どうした?」

 声の主は如月先輩だ。

「この秘密は守れよ、社外に絶対漏らすな」

「……」

 俺の行動に不審を抱き声を掛けてきたのかと思い警戒したが、先程同様、念を押すだけだった。どうやら如月先輩は

「はい」

(しかしどうして、こんな状況になってるんだ……?)

 俺が入った羽衣石化学は魔族と接点がある企業だった。このフロアにいる者達は完全なる魔族なので俺と違い、人の形をしている者が少ない。背中に羽が生えたり、耳が異様に長かったり、頭からケモ耳が出ていたり尻尾が出ていたりと様々だ。

「メシア、これは羽衣石社長のご意向なんだ。羽衣石社長の悲願……いや、野望の為に魔族達がここに集められている」

 如月先輩がいきなり切り出したが、俺にはそれが何を意味しているのかが分からない。

「羽衣石社長は魔王にぞっこんだ。魔王に会う為にここに魔族達を集めて管理し、事情聴取をしている」

「なるほど……ていうか、魔王、ですか……」

 如月先輩の言葉で衝撃を受けたのは言うまでもない。俺が知っている魔王は思い付く限り一人しかいない。もしもあの魔王だとしたら――……非常に不味い。

 気付けば俺の動悸が速まっていた、何なら卒倒しても不思議はないぐらいに。押さえる為に胸に手をやれば、如月先輩が俺を見て笑った。

「そりゃ驚くだろうなぁ。何せいきなり人間じゃねぇ魔族がお前の目の前にいて、魔王に会う為に――とくれば、意味不明だろうなぁ?」

 如月先輩は気遣うように言ったのだろうか、分からない。懸念を抱く中、如月先輩の言葉が紡がれていく。

「まぁこういうことだから、受け入れろ」

 如月先輩は軽く言ったが、冗談ではない。このままでは不味い。俺もここに捕らわれ、管理される危険がある。

「如月先輩……俺、今日限りで羽衣石会社を退職します! 短い間でしたがお世話になりました!」

 脱兎のごとくその場から逃げ出したが、腕を掴まれあっさりと捕まってしまった。

「クラゲ、秘密を共有した以上、それはできんぞ?」

「……」

 如月先輩は不敵に笑う。

(これは、逃れられない運命なのか!?)

 折角、異世界から人間界に移住できたのに――これでは意味がない。

(どうして、こんなことに……)

 普通の会社に入りたくて入った筈が、普通じゃなかった。傘下にしている企業、いわゆるダミー企業だがそこに魔族が集められ、管理されていて、しかも社長は魔王にぞっこん――何がどうしたらそうなるんだという話だ。

「あの、ちなみに羽衣石社長は、魔王とどこでお会いしたんですか?」

「さぁ、詳しくは知らんが、随分昔に何かの拍子で異世界に迷い込んで、そこで魔王に出会って一目惚れって聞いたがな」

「そ、そうですか……」

(どうやったら異世界に迷い込めるんだよ!? 人が迷い込めないように配慮しろよっ!)

 ともあれ、羽衣石化学の羽衣石社長は異世界に行ったことで魔王に一目惚れ……

(そうか、だからあんな造りになってたのかな……?)

 思い返すは隠し通路にあったトライアスロンの数々だ。あの造りは異世界が原点なのだろうと妙に納得してしまう。

「俺も最初は信じて無かったが、魔族がこの世界に紛れててな。それでこうなったって訳よ」

「そうなんですか……」

(あれ、そういえば……)

「如月先輩って羽衣石社長のことが……」

「あ?」

「いえ、何でもないっす……」

 言葉にはしなかったが、恐らく複雑だろう。如月先輩は羽衣石社長が好きだが、羽衣石社長は魔王が好きだ。だがその魔王にはすでに想い人がいるのを俺は知っている。

(これは、報われないなぁ……)

 なんて考えている内に、如月先輩が口を開いた。

「おいクラゲ! 俺はな、羽衣石社長の恋路を邪魔するつもりは更々ない。ないが、矢張り諦めきれねぇ」

「はぁ、そうなんですか」

(自ら語っちゃったよ、この人……)

 躊躇ったのは何だったのか、羽衣石社長に思いを寄せていることを明らかにした。

「だからこそ俺の手で魔王を抹殺する! どうせ魔族だ、抹殺しても問題ねぇだろう」

(いやいやいや、問題ありますよ!? ていうかあの魔王は、強さがチート過ぎて抹殺できないんですが……)

 だが口にはできず、苦笑いで返せば、如月先輩は俺の両肩を掴み、口にした。

「クラゲ! いや、メシア! 俺に協力しやがれ!」

 そして俺は、複雑な人間と魔族の恋路と羽衣石会社の奇行(?)に斯うして巻き込まれていくのだった。

 

  ➴➴➴


 俺ことメシアは、元々異世界の魔エリアにいた魔族だ。人間の種族に近い魔族だったせいであまり周りと馴染めず一人で、人間の世界を鏡越しに覗いていた。俺の能力は鏡を通して人間の世界を見ることができる能力だ。もう一つはストーキング能力だが、低級魔族なので大して使えず、あまり役にも立たない。

 とまれ、人間が働く姿は憧れだった。俺も人間界で働きたいと常日頃から思っていた。しかし人間界に行く為には魔王の許可が必要だった。魔王の許可なく人間界へ勝手に下りられない。尤も俺は、低級魔族なので下りることもできないのだが――。

 ともかく、人間達の世界を汚してはならない、人間達を傷つけてはならないという厳重な掟があった。だが魔族の血が薄く、眷属的にも穏やかだったお陰で魔王の許可は直ぐにおりた。人間世界で過ごす為の研修期間を終えたのち、俺は人間界に下りることができたのだ。

 人間の世界で平々凡々に仕事をして、推し活をして――そんな暮らしを夢見ていたのだが、この先はそのような生活ができなくなりそうな予感しかしない。

 特に如月先輩と一緒にいるだけで頭痛を催す日々だ。今日も今日とて、頭痛を催すことを俺の目の前で真剣に繰り広げていた。

「如月先輩、本当に熱心ですね……」

「あん? んなもん当たり前だろうが! 羽衣石社長に渡す為のバレンタイン用のガトーショコラを作ってっからな!」

 如月先輩は会社の台所を借りて、気合いを入れてガトーショコラ作りに専念していた。

 ちなみに俺は休日出勤だ。朝から如月先輩に呼び出され、如月先輩に作り方を教えていた。ガトーショコラなら流行りの動画やネットでググればいいのに――

『それじゃ愛情がこもんねぇだろうが!』

 という謎の理由で押し切られ、俺は如月先輩のガトーショコラ作りに付き合わされていた。

(ていうか結局、俺が教えても同じような気がするんだけどなぁ……)

 ともあれ、如月先輩は張り切ってガトーショコラを作っている。温度を気にしながらチョコを湯煎する姿は粗っぽさが抜けて新鮮だ。何時もこうならいいのになと願うが、俺の願いは如月先輩の次の言葉で霧散した。

「おいクラゲ! このガトーショコラで羽衣石社長を射止めた後、魔王を抹殺できると思うか!?」

(発想の展開が急で怖すぎるんですが……)

「いやそれは、羽衣石社長に渡してみないことにはなんとも……。ていうか、本気で魔王を殺す気でいるんですか……?」

「そんなもん、当たり前だろうが! 俺の大事な羽衣石社長を骨抜きにした奴は誰であろうと許せねぇ!」

 と言った具合で、完全に殺る気スイッチが入っていた。

(どうしたもんだろうか……?)

 そもそもあの魔王にはすでに思い人がいると言いたいが、言ったら言ったで何故知っているのかという話に発展し、そこから俺が魔族だとばれて、もれなく如月先輩と羽衣石社長、そして羽衣石化学に利用される人生になり、オワコン終了のフラグが見えた。

(言うのはよそう。というより、絶対に言わないようにしよう……)

「ところで如月さん、なんて言って羽衣石社長にガトーショコラを渡すんですか?」

「……」

 刹那、如月先輩は沈黙した。どうやら全く考えていないようだが、

「どうやって渡せば、羽衣石社長が俺の方に向いてくれっかな……?」

 そう切り出した如月先輩の頬は真っ赤に染まっていた。

(いつも怒ってばかりだけど、可愛い一面もあるんだなぁ……)

 なんて思って見ている内に、俺の心臓がトクンと脈打つ。

(――ん? あれ……??)

 気のせい? もしかして動悸? 若年性更年期障害……!? なんて思っている内に、如月先輩が俺に近付いてきた。

「クラゲ、なんか良い案はねぇか?」

 間近に迫る如月先輩。日本人特有の黒髪と黒い瞳に吸い込まれそうになる。その内如月先輩の手が俺の服の裾を掴み――

「おいっ! なんか良い案はねぇかって訊いてんだよ!」

 胸ぐらを掴まれ激しく揺らされた。安定の恫喝具合である。少し浸っていたところであっという間に現実に戻されてしまった。

(これさえ、無ければなぁ……)

 暴力的な面がありすぎるのでどうにも受け付けない。

「そ、そうですねぇ……。あ、そうだ、然り気無く渡すのはどうですか? 日頃の感謝や尊敬の念を込めて渡せば不審に思われないと思いますよ」

「なるほどなぁ、でかしたクラゲ! サンキュ!」

 如月先輩はパッと明るくなって笑った。その微笑みは俺の脳を大いに刺激し、結果、如月先輩から目が離せなくなった。

(――ダメだ……俺、本格的におかしいかもしれない)

 今まで好きになったのは女性だったのに、男性、しかも人間界の男だ。

 おかしいと思うも如月先輩から目が離せず、特別な感情が芽生え始めていた。

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