ブラック企業の新入社員で異世界のダンジョンに閉じ込められた俺、最強になって帰ってきたら地球にもダンジョンが出来ていたので探索しつつ適当に生きようと思います

菜月 遊戸

プロローグ 『労災』

「──はぁっ……!!はぁっ……!!」


肺が軋む感覚に襲われ、苦痛で顔が歪む。

当然だろう、異常なまでの魔素濃度を誇るこの空間において大きく息を吸い込む事はそれだけで死因になりかねない。

別に普段ならそれでも構わない、ここは異世界なのだから死んだ所で死にはしないのだ。

だが今は違う。


「……何やってんの!?あの人!!」


死期を早めるだけだと言うのに込み上げる怒りによる衝動が抑えきれず、俺は声を張り上げてしまう。


「ギュラァ!!!」

「……ひっ!!」


それに呼応するように何寸先か知れない暗闇の中から魔獣の咆哮が帰ってくる。

途端怒りの感情はなりを潜め、代わりに今までの人生で感じたことの無いような恐怖が心を埋めつくしていく。


──ヤバい!!ヤバい!!ヤバい!!


隣り合わせのようで遠かった死という概念が間近に迫っている。

後方からはドタドタと自分よりも何回りも大きいであろう魔獣の足音が響いている。

前方だって何も見えやしない、現状はただがむしゃらにその音を遠ざけようと走っているだけに過ぎないのだ。

どうすれば良いのか、持ち合わせのない答えを探した所で見つかる筈もない。


「くっそ!!」


石畳が飛び出していたのだろうか、理由は定かでは無いが、気付けば俺は何かに躓くと勢いそのままに顔面から地面へ叩きつけられていた。

余りに痛い、鼻からは赤黒い血が流れ始め、受け身をとろうとして咄嗟に出した両手も傷だらけになってしまった。

本来なら止血、消毒、絆創膏と必要な行程があるものの今はそんな事を言ってられない。

痛みを振り切り立ち上がると、再度音の根源から逃亡を始める。


──もう嫌だ……


痛い、苦しい、怖い。

負の感情の寄せ集めに当てられて、俺の心は折れかかっていた。

そもそも何故こんな目に合わなければいけないのだろうか。

ただ普通に平穏な日々を過ごしたかっただけなのに。

ただ働いていただけなのに。

俺が何をしたって言うのだろう。


「あぁ……死にたくない!!!」


そう理屈を並べた所で、この状況が変わることは無い。

目に大粒の涙を抱えながら、俺はただひたすらにここ異世界のダンジョンを走り続けていた。


「──あー嫌だ……マジで帰りたい」


「出社早々そんな事言うなよ新人、今日も一日頑張ろうな!」


「なんでそんなにやる気あるんですか先輩は……俺たちたかが勇者派遣ですよ?」


「ネガティブだな新人、筋トレしてるか?テストステロン足りないんじゃないか?」


「……相変わらずの筋肉理論で安心しましたよ」



バンバンと俺の背中を叩きながらこちらに笑顔を向けて来る膂力に満ちた先輩──齋藤 裕也に励まされながら、俺は重い足を引き摺るようにオフィスへと進んでいく。

時刻は朝の7時手前、どう考えても早すぎる出勤時間が就労規則に載っていた時は自分の目を疑ったが、半年も勤めればこの異常が当たり前の事のように思えてくる。

とは言え陰鬱なこの気持ちが変わることは無く、正直今すぐにでも帰りたい。


「ってか俺この仕事向いてないと思うんですよね、働き口が無くて仕方なく入ったんでどうしようも無いですけど」


「そうか?俺は別にそうは思わんけどな、新人は新人なりに頑張ってるだろ」


「頑張ることと向いてることはまた別ですよ……俺は先輩みたいになれないです」


「…………プロテインいるか?」


「そういう意味では無くて」


持っているバックから何故か出て来たプロテインシェイカーと1キロサイズのプロテインを押し返しながら、俺は深くため息をつく。

うちの会社でトップクラスの数字を叩き出す先輩に比べて、俺──山田 龍人には何も無い。


高校を卒業してすぐに就職せざるを得なかった俺に唯一残っていた就職先、それがこの『異世界勇者派遣会社』だった。

異世界に赴きダンジョンを攻略することを生業とするこの仕事は、業界全体が「多分労働基準法の存在を知らない」と言われる程のブラックであり、真っ当に就活を行うならまず除外するような場所である。

そんな所で働き始めてはや数ヶ月、中高帰宅部だった俺は未だ先輩の背中に近付く事はおろか、人並みの成績すら出せずにいる。

なにせこの仕事はゴリゴリの肉体労働、異世界に存在するダンジョンと呼ばれる魔獣の巣窟に乗り込み、数多の死線を掻い潜りながらその死骸や最奥に眠る貴重な資源の回収に勤しむという現代日本において最も過酷な職場環境なのだ。

本当に向いていない、ゴリゴリのスポーツマンですら3日で逃げ出すこの環境に半年も席を置けている自分はよくやっていると思う。

ここにしがみつかなければならないなんてネガティブな理由以外にも、この人を含め会社の先輩達が優しく人間関係が苦ではないことも大きな要因ではあるのだが。


「俺……死ぬの怖いんですよ、いくら死なないと言っても死ぬほどの痛みなんて、耐えれる気がしないですよ」


「死なないなら別に大丈夫だろ?知ってるか?筋繊維は破壊することでその強度を上げるんだ、つまり死ぬ程の負傷によって、俺は更に強くなる訳だな!ワクワクしないか?」


「……そうですね」


割とシリアスに吐露した心境にありったけのパワーが帰って来てしまい、堪らず俺は会話を切り上げる。

この人は優しいが、やっぱり筋肉の事以外に話が帰着しないので相談事には向いていない。


『異世界では死なない』、これがこの業界が労災まみれにならない理由である。

異世界に行く際に必要となるゲート、近年の技術の進歩により量産が可能になったそれ近傍で人が死ぬと、元いた世界に来る前の姿で戻されるのだ。

これにより死人が出ても何も無かった事になり、結果的にこの業界のブラック度を引き上げている。

とはいえ死なないだけでありその時に生じる痛みは何ら変わら無い、事実この数ヶ月間で幾度となく魔法や斬撃にあてられてそのあまりの苦痛に泡を吹いて倒れている。


「まあ何言ったって変わらないし……頑張るかぁ」


嘆いた所でここで働かざるを得ない事実は変わることは無い

それに対人関係が苦手な俺にとって、この職場の空気感は珍しく苦手ではない。

しかもこの会社の給料形態は歩合の側面が強いため、功績に応じた給料の上り幅が非常に大きい。

つまり俺が強くなれさえすれば、ちょっと仕事時間が長いだけの理想の職場なのである。

だから頑張るしかない、頬を叩いて気合いを入れなおすと俺は急いでオフィスへと向かった。

「──まさか先輩と二人とは……今日はよろしくお願いします」


「新人とは初めてだったっけ?じゃあ今日は俺の背中を見て学んでくれ!!」


「そうします」


朝礼を済ませた後、俺はさっきぶりの先輩と合流し、別の階にあるゲートルームに来ていた。

ゲートルームとは名前の通り異世界への転移装置が置かれた部屋の事であり、大人一人入れるぐらいの円環のそばにタッチパネルとレバーが備え付けられているシンプルなつくりだ。

動作原理は数学理科常時欠点だった俺の知るところではないが、とにかくあのタッチパネルに仕事場所の座標を打ち込むことでそこに転移できる優れモノらしい。


「今日行く場所は深い穴のような形状をしているダンジョンらしくてな、その最奥には向こうの軍隊が徒党を組んでも歯が立たないモンスターがいるらしい。楽しみだな!」


「今の話に楽しみ要素ありました?」


むしろ不安ポイントでしかない事実を告げられ、思わず顔が引き攣った。

俺の反応の方が正常だろう、少年漫画の主人公の様に恍惚としている先輩がおかしいだけだ。

仕事なんて同じ拘束時間なら簡単な業務に越したことはない。


「んで今回の座標は……ああ、俺正直こういう機械苦手なんだよなあ」


「って言われても今先輩以外それ触っちゃいけないんで俺にはどうにも出来ないですよ?」


「だよなあ……先輩としてかっこいい姿見してやるからちょっと待っててくれよ」


まだ新人の自分にはゲートの操作が許可されていない。

故にうんうんと唸りながら、先輩は慣れない手つきでタッチパネルを操作するしかないのだ。

自分より何周りも小さい機械に向き合い人差し指でそっと触れている先輩は、正直マスコット的な愛らしさがある。

いつもの自信に満ち溢れた表情と異なり、全体的にしょんぼりした感じになっている先輩はマニュアルとにらめっこしながら俺の前で悪戦苦闘している。

普段あれだけ大きく見える背中が小さく見えるな、なんて思いながら待っていると暫くして先輩は嬉しそうにこちらを振り返った。

親指を立ててニッコリしているのを見るに、どうやらセッティングが終わったらしい。


「ふぅ……何とかなったぞ新人!」


「お疲れ様です……大丈夫ですか?」


「なーに大した事ない!こんなの朝飯前だよ!」


額に玉の汗を浮かべながらそう言う先輩を心配しながら、動き出したゲートに近付いていく。

ゲートは正常に動作を始めたらしく、円環の内部を薄紫色の液体で埋め始めた。


「あとはレバーを引くだけだ。先に行くか?」


「あ、じゃあ行きます」


どうせ向こうで直ぐに合流出来るので、ここは自分が先に行く事に決める。

ゲートの前に立ち、その液体に手を突っ込む。

転移をするにはこの液体に全身を入れる必要があり、粘性がある事も相まって未だに慣れない、と言うか結構不快だ。

仕方ない、そう割り切りゲートに身体を倒していく。

意識が徐々に薄れ、全身を浮遊感が襲っていく。

眠りに着く時と似た感覚のそれを覚えているその時だった、


「……あっ!!!」


先輩のバカデカい声とバキッという何かをへし折った音が聞こえたのは。

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