第8話 金曜の教室

 やってしまった。

 『恋は人を狂わせる』というが、なにも恋と認識して五秒で大暴投をかますことは無いんじゃないか。

 俺だって、学生の恋愛でしか味わえない感情をもっと感じていたかった。

 同じ空間にいるだけで心が浮足立ち、聞いていて恥ずかしくなる恋愛ソングがどこか共感できてしまい、いつの間にやら大量のプレイリストを作っている、そんな輝かしい日々をもっと謳歌したかったとも。

 だがあまりにも玉砕が早くないか。告白してすぐに笑い声の大合唱で心が砕けてしまった。その後の激しいビンタによって頬骨が実際に砕けたとも思った。

 唯一良かった点は、朝比奈さんという気兼ねなく話せるクラスメイトが一人できたということだろう。あの日朝比奈さんがやりたかった事は何一つとして達成ができなかったわけだが、ビンタの跡のついた顔で一通り事情を話すと、呆れと同情が多くを占める広い心で許してくれた。


 気付けば転校してきて最初の週が過ぎようとしている。あの日以降、関口さんに対して話しかける勇気が湧かず、時々朝比奈さんが話しかけてくれる以外は翌日に図書室で借りた『温泉限定探偵』が休み時間の相手だった。本当は『全国都市伝説百科』が読みたかったが、朝比奈さんの中で俺は普段推理小説を嗜む人間ということになっているのに、今口裂け女について載っていそうな本を読んでいるところを彼女に見られでもしたらどの様に写るかわからない。最悪、慰めのつもりで読んでいるとも捉えられかねない。


 金曜日の放課後、また図書室へ行くことにした。

 推理小説を読み慣れていないせいか、貸出期限までの残り日数が危うく思えてきたので、期限の延長ができるかどうかの確認に向かう。

「ねぇ、斑目くん」

 荷物をまとめて教室を出ようとする時、なんと関口さんに声をかけられた。

「…せっ関口さん!…どうしたの?」

「少し…話したいことがあるんだけど、一緒に帰っていい?」

 はい、としか言えないだろ。

「良かった、途中まで一緒に帰りましょ。話がしたかったの」


 教室を出てから二人並んで歩いている時、鼓動が何とも喧しかった。今の俺なら同じ空間にいるだけで浮足立ってしまうのに、パーソナルスペースでいう上から二番目の『個体距離』まで入り込んでしまっている。緊張で汗も流れ、彼女に汗臭いと思われていないかが心配だ。

「どうにも腑に落ちなかったの」

「…何が?」

「斑目くんがした行為についてね、私なりに考えていたの」

 あの告白を敢えて『行為』と濁している。それほどまでにあの告白は異常だったのだろうか。だがそれよりも、今こうして「斑目くん」と呼ばれていることに確かな喜びを感じる。昨日なんて最後に転校生と呼ばれた以外はコイツだとかあんただとか散々だった。

「最初は、斑目くんはあの三人組に頼まれて私をバカにするためにあんな事を言っていたんだって思ってたの」

「…しょうがないよ、同じ状況だったら誰だって疑うさ」

「でも違ったんだよね。斑目くんは私を助けようと、精一杯頑張った上でから回っちゃったんだよね」

「ん?」

 少し雲行きが怪しくなって来た。下駄箱に到着し上履きから靴へ履き替える。

「朝の自己紹介でもテンパってたし、斑目くんこういうのって向いてないのに朝比奈さんが無茶なお願いさせちゃってたみたいで…」

「いや違う違う!」

 どうにも俺の気持ちは伝わってないらしい。

「俺は関口さんのこと本気で好きになって―――」

「もう良いんだって、あなたの優しさは十分に伝わったから」

「いやだから、本気で僕は関口さんのこ「そんな訳無いでしょ」」

 遮るように関口さんが話す。声のトーンが大きく下がった様な気がした。どうするべきか、これ以上の否定も敢えての肯定も間違いな気がしてならない。

 しかし、沈黙がどちらに取られるかもまた運ではないか。

「…本気なんだよ」

 自然と目線が足元へ向く。べそをかいた子どものようで我ながら何とも情けなかった。

「…まあいっか。そんな斑目くんの優しさを買って、私から一つお願いがあるの」

「お願い?」

「あの日の告白、私が受けたってことにして欲しいの」

「………えっ!」

 それはつまり…。

「あぁ、安心して。飽くまで振りってだけだから。私からあの三人の反応を見て、する必要を感じなかったら止めていいからね」

「…反応?」

「そう!正直言うとあの三人あなたの事すっごい気に入ってるみたいなの!」

 関口さんの気分ががかつて無いほどに良くなっている。先程からそうだったが、昨日の関口さんと比べ明らかにテンションがおかしい。

「あの日からあの娘達から付き合ってあげなよって押しが強くて強くて、上手い事いければあんな告白の真似事しなくて済むかもしれないの!」

「それって嫌味なんじゃ…」

「どっちでも良いの。それに、あの三人だって彼氏がいる女子に過度な嫌がらせって流石にしにくいでしょ」

 彼氏、何とも素晴らしい響きではあるが本心から好き合ってない二人同士が付き合う真似事をするというのはどうなのだろうか。

「協力、してくれる?」

「…もちろん」

「さっすがお人好し!」

 流石に褒められてはいるんだろう。だが、好きな人と恋仲になれるチャンスが巡ってきたのだ。深く考えずに楽しむべきだろう。

 それに、消去法とはいえ俺との恋人ごっこが今までの告白ごっこより苦で無いと感じてくれているのは素直に嬉しい。


「じゃあさ、今週の日曜デートしようよ」

「早くない!?」

「嫌?」

「まさか!でも急だったから…」

「学校で仲良さそうに見せるための予行練習だよ。デートプランはそっちに任せても良い?」

「…あまり自信はないよ」

「大丈夫、大丈夫。連絡先交換しよ」

 お互いにスマホを取り出し、ラインと電話番号をそれぞれ交換した。

「あっそうだ、斑目くんにこれだけは守ってほしいってことが一つ…いや二つかな」 

「守ってほしいこと?」

「うん、それはね」

 そう言いながら彼女は目の前の十字路を右に曲がる。真っ直ぐ進む俺とはここでお別れになりそうだ。

「一つ目は私の顔を絶対に見ないで、二つ目は私の顔を他の人に見せないよう守って」

「…善処するよ」

「破ったら破局だよ?」

「マジで!?」

「多分マジ。じゃあね」

 手のひらをヒラヒラさせて彼女は曲がり角の向こうへ消えていった。

「…デートか」

 俺は一人呟いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る