第24話

 放課後の旧校舎。俺と赤坂は人気の失せたトイレ前で対峙する。

 美祈さんの家で落ち合おうとも思ったが、誰かに目撃されたら気まずい。

 家に連れ込んだとかあらぬ噂が増えてしまう恐れもある。だから、こうして旧校舎で落ち合ったのだ。


「さっきは本当ごめん。まさかあんな事になるとは思わなかったんだ」

「もういいよ。今更、どうにもなんないし」

 赤坂は諦めた口調で横を向くけど、なぜか口角が緩んでいる。あまりの馬鹿馬鹿しい展開に呆れているのだろう。


「ていうか、一之瀬って本当意味分かんない。普段はくだらない事をいちいち気にする癖に。その謎の行動力は何なの……」

 赤坂は窓縁に指を掛けたまま。差し込み始めた西日が彼女の頬を朱に染めていた。


「だって、あの時の赤坂。本当にヤバかったし」

「え?」

 赤坂は自分がどんな状態に陥っていたか分かっていないみたいだけど、俺の脳裏には今でもはっきりとこびりついている。

 皿に並んだミートボールを前に、完全に感情を失った赤坂の顔。箸を持つ手は蝋人形みたいに固まり、もう片方の左手はテーブルの下でずっと震えていた。

 何も悪い事なんてしてないのに事情も知らない連中に好奇の目で見られ、苦しむだけの時間が過ぎゆく。それを見ているだけで俺はたまらなくなったのだ。


「西崎達さ、ずっとお前の事見てたじゃん。ああいう雰囲気、すごく嫌なんだ」

「それであんな行動に?」

「そうだ。とにかく、あの場を何とかしたくて、俺なりに考えた結果があれだったんだよ」


 ――それで、気づいたら赤坂の皿のミートボールを必死に喰っていた。


「いつも人の目を気にする癖に……バカじゃないの」

 赤坂は感情を殺した声で呟く。燃えるような赤い瞳がこちらを凝視する。

 それに耐えられず、俺は目を瞑った。

 そうだよな、ダメだよな。いっそ殺してくれ、もう。


「でも、まあ……助かったかも」

「え?」

 再び目を開いた先、赤坂は組んでいた腕を下ろし、小さく息を吐く。


「一之瀬の言う通り、私じゃどうにもならなかったからね。空気も最悪だったし」

 赤坂は照れたように俺から目を逸らす。


「まあ……何? とりあえず、ありがと」

 夕暮れが、俯いた赤坂の頬を照らしていた。

 小さな唇は真一文字に引き締められている。それでいて、心から安心しきったような、優しい表情をしている赤坂。

 いつもより隙だらけ。そのせいか、五割増しくらい可愛く見える。


「助け方は最悪だったけど」

 前言撤回。赤坂はいつもの隙の無い顔に戻って続ける。


「まあ、後は切り替えていくしか無いわ。考えてみて。私があのグループと距離感を出していたのが、こんなくだらない理由のせいだったと、西崎さん達が知ったら?」

「下らない理由……?」

 俺は思わず問い返すのだが、赤坂は何故か不満げな顔。


「今まで私が箸もつけずに退席していたのが、あんたと付き合ってるのがバレたくなかったから。そんな理由なら、西崎さん達も納得するでしょう?」

 赤坂はもう怒りだしそうなくらいに口許を曲げて詰め寄る。


「ていうか、私としては教室で空気みたいな男子の一之瀬と付き合ってるなんて、許容できない設定なんだけどねっ」

 そう言って指先で俺の胸元をとんと小突く。相当怒ってるっぽい。

 険悪な空気は誤魔化せても、俺と付き合ってる設定そのものは心底嫌なんだろうな。


「結構傷つくなあ、さっきお礼を言ってくれた時はうれしかったのに」

「はあっ!?」

 何気なく本音を漏らすと、過剰反応気味に赤坂が振り向く。


「いや、だって赤坂ってさ。教室で他の女子の相手してる時は、すっごい気さくで優しそうじゃん。いつもあんな感じでいればいいのに」

 教室の赤坂はおとなしめ女子達に滅法好かれている。赤坂自身も、いざ頼られると面倒見良く相手をしているのだ。俺はそんな光景を教室で何度も見てきた。


「江崎さんも北見さんも性格はいいからね。でも、別に皆に対して愛想振りまく必要なんてないわ。一之瀬みたいに、敵に塩も砂糖も送りまくるなんて、それこそ馬鹿の極みよ」

「馬鹿って……」

「だって、そうじゃん。西崎さんに言われるがままジュース買いに行ったり、風晴君に奢られた時の借りを律儀に返したり。度を過ぎたお人好しよ」

 そう言って赤坂は俺との距離を詰める。


「大体、パシリに使われてるのに、自覚してる風も無いし、普通に快諾してるのがヤバ過ぎない? 男のプライドとかないの?」

「返す言葉もありません……」

 赤坂に言われるまで深く考えた事は無かった。でも、これは今まで十六年生きて染みついてしまった根性なのかもしれない。


「はあ。別にそれが悪いって言ってる訳じゃない。大人になったら役に立つ事もあるかもしれないし。波風立てずに穏便に済ませられるなら、それはそれでいい事なのよ」

 あまりにしょぼくれる俺を見て流石に気の毒になったのだろうか。赤坂は、顔をぐっと近づけて覗き込む。

 人格否定の後に何故か慰められているなんて、俺は取り調べでもされてるんだろうか。この後に牛丼とか繰り出してきそうな流れだ。


「でも、一之瀬。これからは西崎さん達、あんたに追及してくるかもしれないんだよ?」

「え、何が……?」

「だから、私とあんたが付き合ってるって言う事……何度も言わせないでよッ!」

 赤坂はすごく恥ずかしそうに声を荒げる。何か可愛いなこいつ。


「流石に今のは不可抗力だって!」

 思わず叫び返すと、赤坂は苦笑混じりに俺を見る。


「まあ、そう言う変な所を気にして、肝心なのを気にしないって、ある意味羨ましいかもね」

「お、おう……」

 俺はそれにぎこちなく返すしか無かった。

 だって、その時赤坂が見せた笑顔は何故か儚げで、いつも俺に見せる強気さは鳴りを潜めていたから。だから、すんなりと受け入れる事が出来てしまうんだ。

 ついでに言えばその顔は、俺が何でも出来る諌矢を前にして、どうしようもなく笑うしかなくなった時みたいな、そういう時の表情に見えて仕方がなかった。

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