第2話

 学校へと戻る道。

 大通りの両脇には、桜並木が整然と植えられている。

 伸びた枝葉は、車道まで覆う桜のトンネルを作っていて、ひたすらに綺麗だった。

 ここは本州最北の地。桜が満開になる時期は、全国でもかなり遅めの五月の連休だ。

 それもあってか、連休明けの今がまさに、花びらが散る時期に当たる。


 ――たんっ。





 無音、しかし凄絶に舞い降りる桜色に気を取られていたら、アスファルトを叩く靴音が響く。

 顔を上げた先、陽を遮る桜並木の下には女子生徒の背中。

 しかも、スカートと同色の紺のボレロは、ダサい子供っぽい田舎の公立だから仕方ないで評判の我が冬青とうせい高校の制服ではないか。

 俺が美祈さんの家でトイレを借りるのは『やむを得ない場合』だから仕方ないとして、勝手に校外に出るのは校則で認められていない。


「……ったく。昼休み中なんだから、出歩くなよな」

 彼女の腰までかかった深紅の長髪は、柔らかな花びらの桜色と対照的で、艶がある。

 真新しくぎこちない靴音が鳴る度に、結わえられた二つのテールが跳ねていた。

 確か、ああいう髪型はツーサイドアップって言うんだっけ。


「あっ」 

 見とれていたら、女子生徒が不意に振り向く。

 薄くメイクが乗った横顔、さらさらと赤い髪。

 目が合った瞬間、彼女は逃げるように駆け出していった。

 底の殆どすり減っていないローファーの乾いた音が、こびりつくように耳に残る。

 俺は、肩先に張り付いていた花びらをそっと払いのけた。

 さっきまで、春の温かさに浮かれ気分だったのが嘘のようだ。


「――面倒な事になったな」

 昼でも薄暗い、桜の枝葉に覆われた空を見上げる。

 俺の気分が沈んだ原因。

 何故なら、あの女子生徒『赤坂(あかさか)環季(たまき)』は、俺のクラスメートなのだ。





 ――え、何。まさか、美祈さん家(ち)に行っていたのを見られてないよな。

 そわそわしながら自分の教室、一年三組に戻る。

 俺、一之瀬夏生は出席番号二番。対して、すぐ前の机、出席番号一番が赤坂環季だ。

 赤坂は学年でも有数の美少女に入ると思う。

 透き通るような色白の肌に、薄桃色の頬。睫毛が長く、どこかギャルっぽい見た目だ。

 だが、赤坂は大集団を作って騒ぐタイプでは無い。入試の成績もそこそこ良かったと聞いた。

 入学当初はこんな可愛い女子の後ろになれるなんてラッキーと思っていたけど、残念ながら俺と赤坂の間に接点は無い。


「環季ちゃん。どっか行ってたの?」

「大通りのパン屋にね。コンビニで売ってるのよりも、全然美味しかったよ」

 女子同士の楽しそうな会話に耳を立てつつ、席に座る。

 赤坂は半身だけ後ろを向いて、ちょうど俺の隣の席の女子と話していた。

 ほんの少しだけ短いスカートから出した白い足を組み替える。


「特に、アップルパイの甘みがすごいの。北見さんも今度食べてみてよ」

 俺は机の上だけを見ているのに、視界内に赤坂の足先がちらついて目のやり場に困る。

 校則に引っかからないギリギリを攻めたお洒落加減。俺とは違って要領も良さそうだ。

 目の前で揺れている美しい脚に意識を向けないよう、俯いて耐える。


 五月の大型連休も終わり、そろそろクラス内の立ち位置も固まる辺りだ。

 窓際では同じ部活同士繋がった男子達が集い、後方の席では見るからにリア充っぽいグループが休み中の出来事を賑やかに話している。

 入学時は探り合いと緊張に包まれていた教室内も、だいぶ様変わりした。

 雪が解けて徐々に華が咲き始めるような、そんな温かな雰囲気が流れている。

 しかし、教室内で派閥が出来上がっていく中、赤坂は特定のグループに肩入れする事は無い。 

 そして、集団を作らない赤坂は話しかけやすいのか、彼女を慕うのはいつもおとなしい女子ばかりだった。


「ところでさ、環季ちゃん。連休の課題なんだけど」

「なに、わかんないとこあるの? 数学なら教えようか?」

「――うんっ!」

 それを聞いた隣の女子は嬉しそうにノートを開く。そして、椅子ごと赤坂へと身体を寄せた。

 こんな風に、赤坂はいつもおとなしい女子に頼られ、緩やかな同盟関係を築いている。

 敢えて言うならば、クラスでは中堅のポジションといったところか。

 とりわけ目立つ存在でもないから、他のリア充感バリバリの女子に比べると話しかけるハードルはそれなりに低いと思う。

 だけど、俺は入学して一度も赤坂と会話をしたことが無い。

 プリントの受け渡しも振り返る事無く、後ろ手で寄越すだけ。

 その為か、赤坂から受け取る度、俺は出所の分からない申し訳ない気持ちに包まれる。

 男子には塩対応の赤坂。昼に校舎裏で会った、可愛さ全開の女子とは大違いだ。


 ――あああああああああああああ!


 これはいけない。先ほどの出来事が頭をよぎった。

 せっかく彼女作るチャンスだったかもしれないのになあ。

 しかし、物は考えようだ。

 かの有名な江戸幕府の開祖、徳川家康は、武田信玄との戦いに負け、脱糞しながら逃げ帰った事もあるという。

 260年に渡る平和な江戸の世を築いた英傑と言えども、若い頃には失敗をした。

 ちなみに、このエピソードは歴史マニアの間では大変有名で、むしろ関ヶ原より脱糞の印象の方が強いと豪語するコアなファンまでいるらしい。

 そうだ! ウン〇はどんな輝かしい足跡も帳消しにする、強烈な記憶を世に残す。

 俺は一歩間違えれば末代まで残る過ちを犯さず、耐えきった。

 先程の状況は、家康が敗走したのと似ているが、漏らさず切り抜けた分、俺の方がマシだ。 

 だから、あの子のフラグをへし折っても後悔なんてするな。


「はあ……」

 そう言い聞かせていたら溜息が出てくる。

 俺の人生は全て己の腹のコンディションに左右されている。小学生の頃からの不変の理。

 あと三年。こんな生活を送るなんて気が重くなる。

 ほら、考えただけでまたお腹が痛くなってきた。


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