第11話「残されたもの」

 七夏は碧から受け取った鍵を使い、地下室のハッチを解錠した。鍵は問題なく回ったが、重い天板を開けるのに苦労した。

 なんとか開いたハッチの中を覗き込む。梯子状の足場を安全に降りるために気を遣いそうだった。碧の遺体を担いで降りるのは無理だろう。早々に諦め、七夏は碧の遺体をハッチの近くまで引きずってきて、そのまま下に突き落とした。


「……もう少し隠蔽できそうかな〜?」


 七夏は足場を降りて地下室に入る。中は防空壕のような作りになっていた。ポケットの中のスマホを取り出して光源にし、辺りを見渡す。いくらか探索すると、隠し扉を見つけた。ここはなんのために作られた場所だろうか? 避難のため? 誰かを隔離するため? 七夏にはそんなことはどうでもよかった。碧の遺体を引きずり、隠し扉の中の小部屋に押し込む。カーディガンの裏地でナイフの取っ手部分を拭いた。これで指紋は消えただろう。


「おやすみ、碧」


 七夏は小部屋の扉を閉じ、足場を登って地下室を出た。重たいハッチを下ろして鍵をかける。これで誰も碧の遺体を発見することはできないだろう。




 しばらくして、旧教会を取り壊す話が持ち上がった。演劇部を辞めた後に暇になった七夏は生徒会に所属していたので、会議中に耳にしたのであった。


(このまま取り壊しになったら地下室の遺体がバレる? まずいなぁ……)


 七夏の憂いを、杞憂に済ませる救世主がすぐに現れた。いや、最初から目の前に居たのだ。


「俺、男装喫茶部を作ろうと思うんだよね」


 水景の発案は、ただの気まぐれによるものだった。いつもの食堂、いつもの席で、水景は左手に茶碗、右手に箸を軽く掲げて上機嫌に続ける。


「男に飢えた女子校で男装喫茶をやる! それでモテ散らかす! どう? 俺にぴったりの部活じゃない?」

「校内にそんな活動に使えるサロンみたいな場所なんて……」


 七夏は言いかけてはたと気づく。今はもう誰にも使われていない荘厳な建物があるではないかと。


「……旧教会の懺悔室とか?」

「お! いいね、冴えてるじゃん!」


 水景は自分の妄想の実現に一歩近づいて心を躍らせるが、七夏は全く別のことを考えていた。


(部活動での使用届を出しておこう。そうすれば取り壊しの話は延期できるはず)


 こうして七夏は、自由人な幼馴染の妄言に乗っかる形で廃教会の取り壊しを先延ばしにすることができた。


***


「……ってことなんだよね」

「…………」


 七夏の昔話が終わり、水景は言葉を失っていた。しばしの沈黙。そして問いかけ。


「あの城ケ崎碧と付き合ってたの?」

「そう」

「男装喫茶部に参加してくれたのは、隠蔽のため?」

「そう」

「……七夏が、城ケ崎碧を殺したの?」

「そう」


 七夏は淡々と肯定を返す。


「……じゃあ、もう城ケ崎碧は居ないんだ」

「? そうだね」

「それならやっぱり、七夏は俺のものだね!」

「それは違う」


 七夏がはっきりと否定しても、水景は聞く耳を持たない。


「もう俺たちを邪魔する存在は居ないんだ! よかった!」

「いや……」

「あれ? じゃあ廃教会の地下に城ケ崎碧の遺体があるんだっけ? このままだと誰かに見つかるかもしれないよね。ハッチを壊せば鍵がなくても開くかもしれないし……」


 もう昨日既にそうなってしまった、という事実を明かすか七夏は考えた。しかし水景の思いつきの方が先だった。


「じゃあ埋めちゃおっか!」

「えっ」

「セメントってどこで買えるんだっけ? ホームセンター?」


 水景はスマホで近場のホームセンターを検索し始める。七夏は彼女の斜め上すぎる行動に驚いた。


「う、埋めるって文字通り埋めるの?」

「そうだよ! やるなら徹底的にやらなきゃね。俺と七夏の幸せな未来のために、不安要素は消しておかないと!」


 俺と七夏の、という言葉に引っ掛かりはしたが、七夏にとってはありがたい提案だった。水景のことは嫌いでも、なんだかんだ彼女はいつも七夏の得になることをしてくれる。碧の心を奪った喜多川初瀬。誰もが望んだ学内演劇主演の座を手に入れた磐井れおな。それに加えて彼女らは地下室の秘密を知ってしまった。廃教会の地下を物理的に埋めてしまえば、その二人をまとめて始末することができる。


(水景のことは、地下を埋めるまでは放っておこっかな。その後のことはその時考えよう)


 水景は埋め立て用品を買える店に見当をつけると、コートを羽織って外出の支度をする。


「じゃあちょっと行ってくるから、七夏はいい子で待っててね」


 上機嫌で家を出発してしまった水景を見送る。彼女の足音が遠ざかって聞こえなくなると、七夏はおもむろに両手の拘束を解こうと試みた。


「手錠なんてどこで調達してきたんだか……」


 ベッドの上で両膝を立て、体勢を変える。じりじりと身体の角度を変えると、ベッド脇に両足を降ろすことができた。


「腰痛めそうだなぁ~」


 独り言を言いながらベッドの頭側へにじり寄り、手錠を括り付けられたベッド脚の様子を観察した。どうやらベッド脚に手錠の鎖を通しただけのようで、ベッドさえ上げることができれば下から鎖をくぐらせて外すことができそうだった。


「うーん……」


 七夏はベッドフレームの下に両膝を潜り込ませて力を込める。少しだけ浮いたベッド脚から手錠の鎖を抜き、取り敢えずの脱出を果たした。


「スマホスマホ……」


 手錠がかかったままの両手で水景のデスクを物色すると、すぐに自分のスマホを見つけた。ネットで『手錠 外し方』で調べると、ヘアピンやクリップを使った脱出方法がいくつかヒットする。


「こんな方法で〜?」


 半信半疑で水景の私物を漁ってクリップを用意し、見よう見まねで手錠の解錠を行う。


「あ、外れた」


 公的機関で使われるものと違い、市販のグッズである手錠は案外簡単に外すことができた。

 昨日の通学用に詰めたままの鞄を拾い、ざっと中身の確認をする。


「物は盗られてなさそうかな」


 ついでに手錠も鞄の中にしまい、身だしなみを整えてから水景の家を出る。


「ばいば〜い」


 案外短かった監禁生活から抜け出し、七夏は走り出した。


(まずはこの辺りから離れないとね〜)


 しかし、どこへ行こうか? 今日は特に用事があったわけでもない。


(淑乃ちゃんに会いたいなぁ。でも、昨日から縛られっぱなしでコンディションが……)


 七夏は一旦自分の家へ帰り、シャワーを浴びることにした。ポニーテールに見せかけたロングヘアのエクステを外してバスルームへ入る。温かいシャワーを浴びながらぼんやりと考え事をしていると、備え付けの鏡が目に入った。湯気で曇った鏡には、ショートヘアの自分が映る。男装姿のときはこの髪型だった。


(男嫌いなのに男装してるのってちょっと矛盾かなぁ? でも、「男」と「男装」は全く別のものだよね。あたしは男装は嫌いじゃないな、だって女の子だもん)


 シャワーを済ませて自室へ上がり、スキンケアとドライヤーに移行する。七夏の部屋にはテレビがない。特に見ようという意思があるわけでもなかったが、パソコンのウェブブラウザを起動してすぐに表示されるネットニュースを流し読みしていた。


「……ん?」


 七夏はとある記事のサムネイルに目を留めた。それは私立山手清花女子学院の近く、元町の商店街を散歩するといった趣旨のバラエティ番組の放送直後の記事だった。生中継だったらしいその配信の映像の中、七夏も知っている芸能人のリポーター……ではなく、彼女の背後に立つ少女に視線を吸い寄せられた。ボウタイブラウスにミモザ色のフレアスカートがよく目立つ彼女は、芸能人と並んでも遜色ないほどのオーラを放っていた。


「淑乃ちゃん……?」


 それは紛れもなく愛しの川嶋淑乃の姿だった。七夏は慌てて番組表を調べる。


(この番組の放送時間は11時から12時……ついさっきのことだったんだ。今から向かえば淑乃ちゃんに会える?)


 七夏は部屋着から外出用のおしゃれ着に着替え、急いでエクステをセットする。


(なんだかすごく淑乃ちゃんに会いたい!)


 衝動のまま、七夏は家を飛び出した。


***


 時は遡り、午前11時30分。

 きっと約束を忘れられたのだ、と落胆した淑乃に声をかける人が居た。


「こんにちは。れおなのお友達ですか?」


 それは、磐井洋品店から顔を出したれおなの母親だった。


「あっ……! ええ、はい、そうなんですの。磐井さん……れおなさんとは、部活でも仲良くしていただいて……」


 淑乃は予想外の出来事に慌てながらも応じる。


「ふふ、こちらこそ。れおなと仲良くしてくれてありがとうね。もっと早く声をかけられればよかったんだけど、接客で忙しかったから……ごめんなさいね?」

「いえ、とんでもないです。……あの、れおなさんは今日は……何か、ご用事で?」

「それがねぇ、昨日から帰ってないのよ。無断で外泊するような子じゃないのよ? 学校にも問い合わせたんだけど、校内には見当たらないって……」


 れおなの母親は心配そうに目を伏せる。本当は娘を探し回りたいところだが、家族経営の店を留守にはできないのだろう。


「えっ……あの、わたくし……探しましょうか?」

「ありがたいご提案なんだけど、どこに行ったか見当もつかないのよね……。警察に連絡した方がいいのかしら?」


***


 同じ頃、駅前では樹里亜が約束の相手を待っていた。


「既読もつかない……」


 いくら待っても、水景は来なかった。


(今日、誘ってくれたのは波止場先輩の方からだったのに……)


 樹里亜の目からは涙がこぼれる。俯いて泣いていると、不意に誰かから声をかけられた。


「樹里亜?」


 顔を上げると、そこにはよく見知った人が立っていた。中学生の頃に付き合っていた元彼だった。彼は相変わらず冴えない顔で樹里亜を覗き込んできた。


「やっぱり樹里亜だ。何してるの? 待ち合わせ?」


 既に名前も思い出せない彼は樹里亜に手を伸ばしてくる。反射的に樹里亜はその手を跳ねのけた。


「触らないで!」

「えっ……」

「あなたなんか好きで付き合ってたわけじゃないのにっ……!」


 待ち望んだ相手が来ないこと、水景以外の人間が現れたことの両方に対して、樹里亜は怒っていた。そして悲しんでいた。


「樹里亜、なんで……」


 名前さえ忘れた彼を振りほどくようにして樹里亜は走り出す。待ちぼうけをさせられた自分が恥ずかしくて、惨めで、もうその場所には居たくなかった。駅を出て人通りの少ない場所まで来ると、樹里亜は建物の陰に身を潜めて泣いた。


「ううっ……こんなの理想の恋じゃないよ……もう嫌だよっ……! 誰か……」


 そこまで口にして、自分の表現が正しくないことを捉える。


(「誰か」じゃ駄目なの。絶対に期待を裏切らない、「理想の恋人」以外の誰からも触れられたくない! わたしの……わたしの理想は、悪戯っぽくて、だけど無邪気で、一途で頼りになる……)


 樹里亜は一度も会えたことのない彼を思い浮かべた。人づてに聞くか、交換ノートでしか様子を伺い知ることのできない「[[rb:理想の > イマジナリー]]彼氏」――。


(ジュリくんこそが、わたしの理想の人なの)


 彼女はずっと、心の奥底で理解していた。何故自分の中にもう一人の人格が生まれたのか? それは、この世のどこにも存在しない「完璧な恋人」に救われたいという強い願望が作り出したものだった。


(生きている人間は誰もわたしにとっての「完璧」にはなれない。みんな自分の人生を生きていて、自分のために生きている。わたしのために生きているんじゃない。だから、わたしにとっての「理想」と1ミリもずれることのない存在は……「生きている」存在じゃだめなんだ。幻の中に作り出すしかないんだ。……だから、ジュリくんはわたしに必要とされて生まれてきたの。わたしのために生まれて、わたしのために生きて、わたしのために死ねる人。それは、ジュリくんだけだ)


 時折樹里亜を窘める言葉をノートに残すこともあったジュリだったが、それはきっと樹里亜が深層心理において負い目に感じていた部分を指摘する役目を果たしていたのだろう。


(それでも、ジュリくんより素敵だって思える人は、どこにも居ないから……)


 信仰心のない樹里亜が、無意識に指を組んで祈る。


(お願い。わたしを助けて、ジュリくん……!)


***


 そして彼は――彼女の姿で、磐井洋品店の前へ現れた。


「心当たりなら、あるっすよ」


 れおなの行方について話し込んでいた淑乃とれおなの母親は、白砂樹里亜の姿をした彼へと振り返る。


「白砂さん?」


 淑乃は「身体の主」の名前を呼んだ。慣れないスカートの裾を心許なさげに整える彼は少し笑って答える。


「ああ、まあそっちの呼び方でもいいっすよ。説明なら後でするんで」

「ええと……? よく分かりませんが、そういうことでしたら。わたくしたち、れおなさんを探してきますわ」

「ありがとう、気持ちだけでも嬉しいわ。もし見つけたら電話してくれる?」

「もちろん! それでは行ってきますわね」


 淑乃はれおなの母親にお辞儀をしてその場を後にする。合流した彼と淑乃は走り出していた。


「行き先を聞いても?」

「学校の廃教会だよ、川嶋先輩」

「何故そこだと思うんですの?」

「れおな先輩は無断で外泊する性格じゃない。学校にも居ない。街での目撃情報もないしニュースにもなっていない。とすると、先生が見回りに来ない学校敷地内の場所なら廃教会が候補になるだろ?」

「それなら電話でご家族に連絡するのではなくて?」

「連絡できない事情があるのかもしれないな。スマホの充電が切れたか、電波の届かない場所に居るか……」


 信号に行く手を阻まれて二人は足を止める。淑乃は風の抵抗を避けるために日傘をさすことを諦めて閉じた。くるくると傘を回して留め具を嵌める。シークレットブーツがなくてもなお自分より背の高い白砂樹里亜を見上げて、淑乃は問うた。


「それで、あなたはジュリさんなのですか?」


 樹里亜の姿のジュリは首を縦に振って肯定の意を示した。


「どうも、川嶋先輩。俺はジュリですよー」

「磐井さんの話では、確かあなたは男装の姿のときのみ現れる人格だとお聞きしているのですが?」

「今まではな。今日はちょっと事情が違って……」


 ジュリはツーサイドアップの毛先をつまんで眺めながら数分前の出来事を思い返していた。


(樹里亜の強い要望で人格が交代できるなんてな。まあ、俺はあいつに望まれて生まれた存在なんだから当たり前か。今までは樹里亜がどうしても今すぐ俺と交代したいって思わないで来れたってことだけど……それが崩れたってことはあいつも色々とギリギリなのかな)


 そこまで回想を巡らせてからジュリは口を開く。


「まあ、川嶋先輩はそこまで俺と樹里亜のことに興味ないだろ? 話すことはないよ」

「……そうですか」


 青になった信号を見て横断歩道を渡り、二人は再び走り出す。


「磐井さん……どうか無事で居て……!」


***


 瞬きをしても暗闇。そんな絶望的な景色の中で、れおなは目覚めた。脱出の手立てがないことを確認した後、そのまま眠ってしまっていたらしい。あれから何時間が経過したのだろうか?


「あ、起きた?」


 頭上から声が降ってきて、れおなは飛び起きる。声の主は初瀬だった。


「驚かせちゃった? おはよう、磐井さん」

「おはようございます、喜多川先輩……今何時ですか?」


 初瀬は手元のスマホで時刻を確認する。


「11月2日土曜日、お昼の13時過ぎ。磐井さんのスマホも充電しておいたから、よかったらどうぞ。電波は繋がらないけどね」


 受け取ると、れおなのスマホも充電が100%まで回復していた。


「ありがとうございます。モバイルバッテリーでも持ってきてたんですか?」

「念のためね。あとこれ、コンビニのワッフルだけど食べる?」

「喜多川先輩、用意周到すぎ……ありがとうございます」


 それで鞄が膨らんでいたのか、と納得する。


「先輩は私が寝ている間、どこか探索したりしました?」

「扉の向こうの話?」

「そうです」

「……うん。見たよ。あれは碧先輩の遺体だね」

「そうですか……」

「ナイフで刺されて死んだみたいだね。『いつか女に刺されるぞ』って言われるような人だったど、本当にその通りになっちゃうなんてね」

「……」

「ごめん、食事中にする話じゃなかったか」

「いえ、話題を振ったのは私の方なので」


 れおなは動かないメッセージアプリの会話一覧を眺めた。電波が繋がらないので、誰かが連絡をくれていても受信できない。きっと家族も心配しているだろう。


「……誰かと約束だった?」

「えっ」


 初瀬のあまりに的確な指摘に、れおなは驚きの声を上げた。


「そんな感じがしたから。当たり?」

「当たりです。喜多川先輩ってほんと……心理を読むのが上手いですよね」

「磐井さんもね。似たもの同士なのかな?」

「そうかもしれませんね……」


 れおながワッフルを食べ終わると、初瀬はすかさず水筒のカップを差し出した。


「ちょっとぬるいけどね」

「ありがとうございます……いい香り。これ、飲んだことないかも」

「そうなの? 紅茶部の人でも知らないならマイナーなのかも。これはね、玉蘭茶だよ。川嶋紅茶で買ったんだけど輸入品みたい。ハーブティーって表現した方がいいのかな」

「そんな感じですね。玉蘭って何の植物でしたっけ?」

「白木蓮だよ。マグノリアティー」

「えっ、それってすごい偶然」

「そうなの? 僕の知らないところでなにか験担ぎしてた?」

「ふふ、験担ぎっていうか……まあ、説明が難しいので」

「いいよ、無理に言わなくても」


 れおなは自分の鞄の内ポケットの中に忍ばせた包みに触れた。初瀬はその仕草には触れず、不意に切り出す。


「誰と待ち合わせだった?」

「11時から川嶋さんと、12時半からジュリくんとです」

「川嶋さんって、川嶋紅茶のご令嬢だよね。ジュリくんは黒髪の?」

「そうです、二人とも紅茶部の部員で……」

「三人一緒じゃなくてそれぞれだったんだ。ハードスケジュールだね」

「あはは……」

「え? 二股?」

「違いますよ! お付き合いしてる人は居ません」

「そう? なんだか磐井さんの反応、好きな人との待ち合わせみたいだったから」


 この人の前で下手な話題は出せないな、とれおなは思った。考えていることの多くを見透かされてしまう。


「えっと……喜多川先輩に話すことじゃないかもしれないんですけど、聞いてくれます?」

「いいよ。僕ってさ、磐井さんからすると『ちょうどいい他人』だもんね。近すぎる友達には話せないこともあるでしょ?」

「そうなんです。……ええと、私の話したいことっていうのは……二人のことなんです。川嶋さんとジュリくんのこと」


 れおなはひと口、玉蘭茶を飲む。


「私、本当は軽薄そうな人って苦手なんですよ。でも、ジュリくんは別なんです。最初はチャラそうだなって思ってたけど、優しくて素直な人でした。だから、ジュリくんのこと好きだなって思うようになったんです」

「うん」


 初瀬は相槌をして続きを促す。


「そう、なんですけど……あの、川嶋さんは私のことを好いてくれているみたいなんですよね……」

「ラブ的な意味で?」

「ラブ的な意味です。私、川嶋さんのこと嫌いじゃないんです。お友達として好きで。つまり、ライクなんですよね」

「……どっちか片方と付き合いたいって話?」

「ざっくり言ってしまえばそうですね」

「ジュリくんは磐井さんのことどう思ってるの?」

「ありがたいことにラブ的に好いてくれているんです」

「じゃあ、ジュリくんと付き合えばいいんじゃないの?」

「……やっぱりそうなります?」


 れおなは苦笑いして訊ねた。


「話を聞いていた感じだと、『友情と恋とどっちをとるの?』なんて単純な話じゃなさそうだけどね」

「はい」

「川嶋さんは友達だから、お付き合いしたいわけじゃないんでしょ? 磐井さんはジュリくんのことが好きなんでしょ? じゃあ、せっかく好きだって思ってくれているジュリくんを諦めて、川嶋さんとお付き合いするのは歪じゃない?」

「……そうですよね……」


 れおなは淑乃の顔を思い浮かべていた。ジュリとのデートの後に出くわしてショックを受けていたあの顔。れおなの学内演劇主演が決定し、寂しそうに笑っていたあの顔を。


「なにも恋愛だけが人生でいちばん大切なことって訳じゃないんだから。川嶋さんのことは、お友達として大切にしたらいいんじゃない?」

「川嶋さんの気持ちを、見て見ぬふりをしてでもですか?」

「それは……告白されたとき、どうするか考えるしかないんじゃない? 振るのであれば、今後も友達で居るのか、関わるのをやめるのかとかね」

「……」


 関わるのをやめる。それは、想像したくない未来だった。れおなは頭を振り、少し声を高くして別の話題を切り出した。


「そういえば、夜半月先輩はどうして私たちをここに閉じ込めたんでしょうね? 城ケ崎先輩の遺体を見られたから口封じ?」

「それはあるだろうけど。もうひとつの可能性に、磐井さんは気づいてるんじゃない?」

「学内演劇の主演を、私に取られたから……ですかね?」

「それもあると思う」


 そのとき、頭上に誰かの気配が近づいてきた。れおなは呟く。


「誰か来たのかも?」


***


「なぁ、川嶋先輩ってれおな先輩のことが好きなの?」

「そうですわよ」

「肯定した。隠すつもりはないんだ?」

「今更隠したところでどうにもなりませんから。そう言うジュリさんこそ、磐井さんのことが好きなんですのね?」

「そうだよ」

「白砂さんは波止場先輩のことが好きなのにですか?」

「俺と樹里亜は別なの」

「磐井さんのことをれ……れおな先輩とか、名前で呼んでますし……」

「じゃあ川嶋先輩も名前で呼べば?」

「……そうですわね。最後にそのくらいなら許してもらえるかしら……」

「え、最後ってなにが……」


 そのような話をしているうちに二人は私立山手清花女子学院の前へ辿り着いた。私服で校門をくぐるのは珍しいことだった。死者の日のミサで登校していた制服姿の生徒たちに珍しいものを見るような目で見られつつまっすぐと廃教会へ至る。

 重たい扉を開けると、地下室のハッチの真横に誰かが立っていた。


「波止場先輩!」


 淑乃は驚きの声を上げる。水景は反射的に振り向き、へらりと笑顔を作った。


「淑乃ちゃん?」

「よかった、波止場先輩も磐井さんを助けにきたのですわね」


 淑乃は数歩近づき、足を止める。水景の足元には大きな袋と[[rb:鉄梃 > かなてこ]]があった。


「……波止場先輩、その袋は?」

「セメントだよ」

「……?」


 水景は右手を振りかぶった。突然の動作に理解が追いつかない淑乃は反応が遅れた。水景の手に握られているのは――ナイフだ。


「危ない!」


 咄嗟にジュリが淑乃の胴に腕を回して引き寄せる。間一髪、ナイフは淑乃のロングヘアの毛先を掠めた。

 淑乃が声も出せずに恐怖していると、水景は獲物を仕留め損ねたナイフの切っ先を向けて言った。


「俺の邪魔するなら殺すよ?」


 水景は淑乃からジュリへ視線を滑らせる。


「樹里亜ちゃんなら、俺に協力してくれるよね? 淑乃ちゃんが抵抗しないように、そのまま抑えててね」


 樹里亜としての服装を纏ったままなので、ジュリは「樹里亜の人格モード」なのだと判断されたらしい。敢えて何も言わず、ジュリは淑乃の腕を掴むふりをした。その力は簡単に振り解けそうなものだったが、淑乃も様子見のために捕らわれたふりをした。


「波止場先輩は、何をしようとしているのですか?」

「地下室を埋めるんだよ。俺と七夏の未来のためにね」


 水景の返答は要領を得ない。淑乃が首を傾げていると、話は続いた。


「ここに、存在しない方がいいものがあるんだ。板張りの床に見えるけど、その下は頑丈そうだからね。燃やすのは難しいと思って。だから埋めることにしたんだ」

「でも、そこには……」


 磐井さんが居るかもしれないのに、と淑乃が言うよりも早く、水景はハッチの隙間に鉄梃をかけた。


「よいしょ」


 まるで緊張感のない掛け声で水景は閉じられたハッチを無理やり開けようと試みる。静かな廃教会の中、金属同士が擦れ合う不快な音が響いた。

 熱心に作業に取り掛かる水景をよそに、ジュリと淑乃は目配せをした。このタイミングで彼女に飛びかかったところで、ジュリと淑乃にハッチを開く術はない。鉄製のハッチが開いた瞬間、それがチャンスだ。

 暫くの間、沈黙が続いた。鉄梃がめいっぱい押し込まれ、鉄扉の枠がひしゃげながら開く。今がその時か、とジュリと淑乃が動こうとした刹那、廃教会の大きな扉から誰かが入ってきた。その場の全員が、入口に視線を向ける。入ってきたのは七夏だった。


「……こんなところに居た」


 七夏は一歩、足を踏み入れる。水景は鉄梃を放り出し、そちらへと向かった。


「七夏、来てくれたんだ! どうやって抜け出し……」


 駆け寄る水景の隣をすり抜け、七夏はまっすぐ淑乃の前までやってきた。警戒する淑乃を、七夏はぎゅっと抱きしめる。


「会いたかったよ、淑乃ちゃん」


 水景は立ち尽くし、その光景を見ていた。

 淑乃が頭に疑問符を浮かべていると、七夏は微笑む。


「磐井さんのお母様に聞いたの。淑乃ちゃんが白砂さんと二人で、磐井さんを探しに行ったって」

「……あの、夜半月先輩……よく分からないのですけれど、まずは磐井さんを助けないと……」

「そんなのどうでもいいじゃん。淑乃ちゃんはあたしと結婚するんだから、他の人のことなんか考えないで?」


 優しい声色で紡がれる言葉はしかし、淑乃には受け入れられないものだった。ジュリの手を振り払い、淑乃は七夏の頬に掌を叩きつけた。

 七夏は呆然とひりつく頬に触れる。


「わたくしは、夜半月先輩のことなんかちっとも好きじゃありませんわ!」


 淑乃は勢いのままに走り出し、鉄梃に力を込めてハッチを全開にした。


「磐井さん、そこにいらっしゃるのでしょう!? 早く上がってきてくださいまし!」


 淑乃を止めようと七夏が踵を返すが間に合わない。水景に行く手を阻まれたのだ。


「どうして七夏は俺のものになってくれないの……?」


 水景は七夏の両肩を掴んで問い詰める。


「今は水景の相手なんかしてる場合じゃ……!」

「答えてよ!」


 二人の揉み合いを横目に、ジュリは淑乃に加勢した。


「れおな先輩!」


 ジュリはハッチが閉じてしまわないようにしっかりと支えながら中を覗き込んだ。れおなは足場を掴んでのぼってきており、もうすぐ地上へ到達できそうだった。


「磐井さん! もう少しですわ!」


 淑乃は懸命にれおなへ手を伸ばす。


「……川嶋さん……!」


 れおなは淑乃の手を掴み、木製の床の上へと[[rb:転 > まろ]]び出た。すぐ後ろについてきていた初瀬も地上へ着き、ジュリとハッチを閉じる。


「磐井さんを助けに来てたの?」

「そうだよ。ええと、お前は……」

「僕のことは後でいいから」


 初瀬はジュリとそれだけの会話を交わし、周囲を見回して現状を把握する。水景はちょうど、七夏に突き飛ばされたところだった。


「水景こそいつもあたしの邪魔して……! いい加減どっか行ってよ!」


 床に落ちた水景のナイフ。掴むのは、七夏の方が早かった。


「お前なんかっ! 生きてる価値もない!」


 七夏のナイフを転がって避け、水景はジュリから鉄梃を奪い取って構える。


「ちょっとミカ先輩、やめろって……!」


 収拾のつかない展開に、ジュリたち四人にも緊張が走る。


「あなたたち人殺しになりたいんですの!?」


 淑乃の言葉は、水景には届かない。反応したのは七夏だった。


「もう……遅いんだよ。あたしにはなにもないのに……罪だけが、消えずに残ってるの」


 誰もが絶句していた。震える声でそう言った七夏の目からは、涙が溢れ出していた。彼女は間合いを詰め、水景はせめてもの抵抗と鉄梃を振る。七夏のナイフが水景の腹を刺したのは、水景の鉄梃が七夏の首を捉えたのとほぼ同時だった。

 その場に倒れる二人を見て、ジュリが飛び出す。


「っ……! おい! しっかりしろ!」


 水景と七夏の肩を揺するジュリに初瀬が追いつき、その手を止めさせる。


「揺すると悪化する。それより救急車を……」


 初瀬がスマホの入った鞄の方を見やると、淑乃に支えられたれおなと目が合った。れおなの手元には既に、スマホがあった。


「もう呼んである。……えっと……警察だけど……」


 いつの間にか、サイレンの音が近づいていた。

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