第42話 喜び

 私は、あまりにも初心うぶだった。そういった方面に対しても知識がなさすぎて、思いつきもしなかったのだ。


 ナヴァール辺境伯邸が昔からお世話になっているというベテランのお医者様は、診察が終わると恭しく言った。


「ご懐妊ですな。奥様、誠におめでとうございます」

「……え……っ」


 ご……ご懐妊……?


 ……私、妊娠、してるの……?!






「ああやっぱり!!おめでとうございますエディット様!!」

「よかったです~!まぁきっとそうだとは思っておりましたが……!おめでとうございます!!」


 お医者様が帰られた後おろおろしながらカロルとルイーズに報告すると、二人は手放しで喜んでくれた。


「ささ、こちらにおかけになってくださいませ」

「さぁエディット様、今後は無理は一切禁物ですよ!毎日ゆっくりと、お心安らかに過ごしていただかなくては!ああ、楽しみですわね~エディット様のお子様なんて……!きっととんでもなく可愛らしいに違いありませんわ!」

「…………っ、」


 満面の笑みではしゃぐ二人をソファーに座って見上げながら、私は得も言われぬ不安を感じていた。


 妊娠……。出産……。

 私が、赤ん坊を産む……?いつ?どうやって?

 どうすれば私のお腹に宿ったこの命は、無事にこの外の世界に出て来られるのだろう。


「……エディット様?どうされました?」

「……わ、私は……、まだそういうの、何も習っていないの……。領地の仕事や、語学や歴史、地理とか、……領主の、辺境伯の妻として必要になってくるであろう知識ばかりを詰め込んできたから……。私……」

「エディット様」


 途端に狼狽えはじめてしまった私のそばにカロルが腰を落とし、優しく手を握ってくれる。


「何も心配はいりません。ご安心なさいませ。私もルイーズも出産の経験はまだございませんが、ちゃんとそれなりの知識を持っておりますので」

「そうですよエディット様!これから出産までどう過ごせばいいのか、お子様をお腹の中で無事育てていくためにきちんとご説明しますわ。私たちがついております!」

「……カロル、ルイーズ……」


 優しく微笑むカロルと、両手で拳を握りながら励ましてくれるルイーズのおかげで、だんだん気持ちが落ち着いてきた。


「……ありがとう、二人とも。心強いわ」

「お任せください!旦那様がお戻りになるまで、いえ、お戻りになってからも、私たちが万全のサポートをさせていただきますので!」

「……っ、」


 ……そうだ、マクシム様……。


 マクシム様が、きっと喜んでくださる……!


 我に返り愛する夫の顔を思い浮かべた私の胸に、たちまち大きな喜びが湧き上がる。


「……マクシム様……」

「ええ!帰ってきたら最高に嬉しい報告ができるのですよ、エディット様」

「ふふ。あの旦那様が一体どんな反応をなさるのでしょう。楽しみですわね、エディット様」

「……ええ……!」


 どれほど喜んでくださるだろう。私とマクシム様の、大切な赤ん坊。

 頭の中のマクシム様が、驚き喜ぶ。笑みを浮かべ、私を抱き寄せてくれる。


(早くお話ししたい……!マクシム様がお戻りになるまで、私がこの子をしっかりと守らなくては……!)


 三人で手を取り合って笑いあいながら、もう私の頭の中はマクシム様のことでいっぱいだった。






「よろしいですか?エディット様。今エディット様のお体は非常に繊細な状態でございます。お医者様からも言われていらっしゃると思いますが、妊娠が分かったばかりのこの時期、無理は禁物でございますよ」

「は、はい」

「日常生活は普段通り過ごしていただいて構いません。ですが、重いものを持ち上げたり、高いところに上ったり、そういったことは絶対にご自分ではなさらず、必要があれば使用人に全て申し付けてくださいませ」

「え、ええ」

「ご気分が優れない時に無理して食べる必要はありません。それでお腹のお子様がどうにかなってしまうわけではありませんので、ご心配なく。ただ、果実水やお水は少しずつでもお飲みになってくださいませね。それと、何もかもがお召し上がりになれないわけでもなくて、これなら食べられそうだと思うものがあればご遠慮なく仰ってください。何でも準備いたしますので」

「これまで私が聞いた話だと、人によっては酸味の強いものや果物だったら食べることができたり……」


(……ほ、本当に心強い……)


 交互に口を開いては妊娠中の生活や気をつけるべきことについて淀みなく説明してくれる二人を見ながら、私は感心していた。女性は皆こういった知識を得ているものなのね。

 私も二人からしっかり学んでいかなくちゃ……!

 マクシム様不在の今、この子を守るのは何よりも大切な私の役目だもの。


 私は決意を新たにし、屋敷の使用人たちに見守られながら日々を過ごした。




 そして、妊娠が分かってから、わずか数日後。




 待ち望んだ愛しい人が、ついに帰ってきた。







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