第7話 帰宅後の折檻

「この……っ、大馬鹿者が!!」

「きゃぁ……っ!ご、ごめんなさい……っ、ごめんなさい……っ!」


 屋敷に戻り居間に入った途端、義父であるオーブリー子爵が私の頬を思いきり引っ叩き、頭上に杖を振り下ろした。咄嗟に頭を庇ってしゃがみ込む私に、何度も何度も激しい痛みが襲いかかる。頬、背中、足首……。こうなったら義父の怒りが収まるまで、ただただ耐えるしかない。


「信じられないわ!こいつ……っ!あたしのデビュタントだったのよ?!なのにまさか、こいつが大広間の隅っこで嘔吐して運ばれてたなんて……!台無しにされたわ!」

「最低ね!あんたまさか、わざとじゃないでしょうね?自分がデビュタントに出してもらえなかった腹いせに、ジャクリーヌの大切な日を台無しにしてやろうとしたわけ?」


 義妹のジャクリーヌと義姉のアデライドが、腕を組んで私を見下ろしながらそう吐き捨てる。


「ちっ!違う……違います……っ!私、本当に緊張していて……っ、ぐ、具合が……」

「お前というヤツは本当に……、何をやらせても駄目な小娘だ!!この役立たずが!!」

「う……っ!」


 蹲ったお腹の辺りを義父に容赦なく蹴り上げられる。さっき全部吐いてしまっていてよかった。……よくはないけど、ここで吐いたらなおさら義父母の逆鱗に触れるだけだ。


 あの辺境伯様には、本当に申し訳なかったけれど。


(……あんなに無骨で恐ろしげな風貌の方なのに、少しも私を責めなかった。それどころか、私が怒られずに済むようにと一生懸命庇ってくださっていたわ……)


 痛みに耐えながら、私はさっきお世話になったあの大きな体躯の辺境伯様のことをぼんやりと思い出していた。


「……まぁ、不幸中の幸いだったわ。会場が大きかったし、この娘が片隅で粗相をしていたことなんて気付いてない人がほとんどよ。皆王子殿下方に夢中だったしね」


 義母のその言葉に、ジャクリーヌとアデライドがコロッと黄色い声を上げる。


「それよそれ!王子殿下たちの神々しいまでの麗しさ……!ああーん最高に素敵だったわぁ〜」

「デビュタントの令嬢たちを見るよりも、皆王子殿下方に夢中になってたわね。本当に素敵だったわ。間近で見られて目の保養になっちゃった」


 きゃっきゃと声を上げる二人は、もう私のことなんて目に入っていなかった。一家は居間の隅で蹲る私を置き去りにテーブルに移動して腰かけると、話の続きで盛り上がる。


「私は第二王子殿下が好みね。すごく知的でオーラがあったわ」

「えー。あたしはやっぱり王太子殿下かなぁ。カッコよかったぁ。あんな素敵な人と結婚できたら最高なのになぁ」

「ま、この子たちったら。子爵家の娘が分不相応な夢を見てないでちょうだい。特にアデライド、あなたはとっくに行き遅れた身なのよ。それなりの縁談を整えるのに私たちがどれほど苦心しているか」

「あら!それは私のせいじゃないわ!元々お父様とお母様が高望みしすぎて婚期を逃しちゃったんじゃないの!やっと縁談がまとまった相手は、遊び人で変な病気にかかっちゃって結局破談になるわ……散々よ」


 このまま全員の意識がこちらに向かないようにと、私は息を殺して静かに立ち上がる。……体中が痛くて足に上手く力が入らない。


「アデライド、心配せずとも、お前の縁談はもうすぐまとまる。東の領土のドラン子爵家の次男が文官として王宮に勤めはじめたそうだ。お前より一つ年下だが、彼との話が進んでいる」

「まぁ!よかったじゃないのお姉様。一生独身を貫いて修道院行きにならずに済んだわね!あははは」

「うるさいわねジャクリーヌ!……ふーん、ドラン子爵家の次男かぁ。パッとしないわね……」


 不満そうな義姉だけど、両親から命じられた結婚に反対できるはずもない。


「ジャクリーヌ、お前は今夜のデビュタントでダンスを申し込んできたラフォン伯爵家の嫡男がいたろう。彼との縁談がまとまる予定だ」

「えっ!そうなのぉ?うふふふふ。やけに熱い視線を向けてくると思ってたのよねぇ」


 ジャクリーヌは姉よりも条件の良い縁談に気をよくしたらしい。ニヤニヤと笑うその姿を、アデライドが憎々しげに睨みつけている。


(……私には、きっと一生縁談なんて来ないんだろうな……)


 別に結婚できないことは嫌じゃない。だって今さらここを出て知らない男の人と一緒に暮らすなんて、この私にできるはずもないし。若い男の人というだけで、慣れてなさすぎて少し怖い。

 だけど、このままこの屋敷で義父母に叱られ殴られながら一生を過ごしていくのかと思うと、絶望しかなかった。せめて私こそ修道院にでも行かせてはもらえないのだろうか。そこでの生活がどれほど規律を重んじた厳しいものであったとしても、ここよりはずっと楽に生きていける気がする……。


「エディット!!ボーッとしてないで、早くお茶を入れてきなさいよ!」

「っ!は、はいっ、ただいま……っ」


 義母の金切り声に、私は痛む足を引きずるようにして慌てて厨房に駆け込んだ。




 しかし、それからわずか三日後。


 この私に、縁談の申し込みがあったのだった。




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