ダミアン:順化する(4/5)

 三人の目標。つまり「どうなりたいか」はそれぞれ異なる。子どもたちに向けて行う授業とは大きな違いだ。子どもたちならば同じ目標に向けて頑張ろう、とできるがヒアリング対象の三人はそうではない。学習レベルもそれぞれ異なる。


 また、子どもたちと違って彼らは日々の仕事がある。漁師の若者は当日になって急遽きゅうきょ呼び出されることがあると言うし、雑貨屋主人は店の都合を考える必要がある。そして青果売りの奥方は足が不自由で移動が難しい。


 時間を定めて集まってもらうのはどう考えても適切ではない。たった三人だと思っていたが、話を聞いてみると単純な話ではない。三人とも学ぼうとする意欲があり、それぞれ出来る範囲で独学を進めていたにも関わらずだ。


 断りたくない。ここで引き下がりたくはない。ダミアンが決意するのに時間はかからなかった。

 ヒアリングを行った翌日に事務所を訪問してその旨を伝えたが、シドーは懐疑的だった。


「出来るんですか? あのくらいでバテるような体力で続けられるとは思えないんですが」


 事務所は港町の中心部にある不動産会社の看板を掲げた小規模な建築の中にある。都会的な立方体をしたガラス建築ではなく、レンガを組み上げて漆喰を塗りつけたものだ。潮風に強く、幅を持たせた台形を思わせる屋根の建物。ベルティナにはこのスタイルの建築が少なくない。


 シドーはダミアンを別室に案内し、座らせる。ダミアンはシドーが向かいに座ったのを見て、話を切り出した。


「現状をよりよくするには、たとえ時間がかかろうとも学習することが必要です」


 費やす時間と金は必ずしも比例して結果に反映されるわけではない。だが現状に何らかの変化をもたらそうと思うなら、その『現状』になんらかのアクションが必要だ。ダミアンは労働として小売業などに携わったことはないが、試行錯誤の経験なら何度も重ねたことがある。


「過去の失敗と成功を比較分析すること、その要因を知ること。そのためには記録をつけることや、数値化することが基本であり効果的です。

 これには文字の読み書きだけでなく業務における固有名詞を理解するなどが必要となるだけでなく、学習する経験が活きるでしょう。どのようなアプローチができるのか、自分に何ができるのか。問題や課題に対する取り組み方に影響します」


「ハッ! ラムラス先生の御講釈をタダで聞かせてくれるんですか?」


 シドーはそう言って嘲笑したのち、見た目には軽い所作で机を強く叩いた。明らかに苛立ちを表現する動きであり、同時にそれを発散させるためのものだった。また、シドーがそういった態度をとることに慣れていることも思わせるものだった。


「あんたが何者なのかは、ヒバルさんから聞いている。だが俺はあんたのファンでもなんでもない!

 ビジネスの話をしてんだよ。仕事相手を間違うんじゃねえ」


「何に怒っているのかわかりませんが、私もビジネスの話のためにここに来ています」


 自分でも驚くほど、ダミアンの声は震えずに通っていた。しかし同時に肺を焼きそうな熱と、凍りつきそうな冷ややかさが喉を締めつけた。痺れが腹と頭を震わせている。


 興奮してしまっている。深く深くため息をついてからダミアンは言葉を続けた。


「建設的な対話を希望します。それともヒバルさんは感情的なスタイルでビジネスをするよう、あなたに指導したのですか?」


「都会人ってのはしゃくに障る言い方が得意らしいな。この話にヒバルさんは関係ないだろ!」


「もう一度言いますね。建設的な対話を希望します。私はあなたに説教を垂れるために来たのではありません。水が必要なら持ってきますよ」


 この事務所は短期間ではあったがダミアンも働いていた経験がある。どこに何があるのかは分かっているし、そのくらいなら断り不要で準備ができることも心得ている。少し待っても返事をしないシドーにダミアンは静かに席を立ち、飲料水の準備のために移動しようとした。


「水くらい、俺が出します。あんたはもうここの従業員じゃあないでしょう」


 不機嫌さはまだ声色に滲ませているものの、シドーの言葉に敬語が戻ってきた。彼は重たく熱を持ったため息を一つ、ダミアンの肩を掴んでどかした。


 ややあって戻ってくる頃にはいくらか冷静さを取り戻した様子だった。少し時間を要したのは、誰もいないところで先に水を飲んだのかもしれない。

 ストン、と椅子に腰掛けて寸の間。シドーは目を閉じていたが程なくして座り直し、ダミアンに向き直った。


「取り乱してすみませんでした」


「いえ、結構です。私もヒバルさんのお名前を借りるべきではありませんでした。

 ……でも、私がやると決めたのは以前に言われたヒバルさんの言葉を思い出したからなんですよ」


『この町で暮らすということは、守ることと同義です』


 ダミアンは都会で生まれ育ち、教育者の両親に育てられた。体質と体格、ダミアン本人の性格的にも戦闘に適性がないことから早々に戦闘関連のカリキュラムから外され、代わりに十分な学習と研究設備と時間が与えられた。これはダミアンにとって、ある種の逃げであった。


 都市にいれば専門の戦闘集団が日夜監視と討伐任務を行っている。一度戦闘訓練から離れてしまえば指示さえなければ戦場に戻ることがない。だからこそ小説家として活動し続けることができたのだ。


「正直なところ、私がベルティナに来たのは目的を持ったものではなく、ほとんど追放のようなものでした。だから……楽しい気分で船に乗っていたわけではありません。期待なんてなかったんですよ。一日を執筆活動で費やすこともできないことにも深く落胆しました」


 だから意地でも仕事のできる環境を整えたのだ。しかしその勢いも虚無には勝てない。


 仕事がない。仕事ができない。


 都市から離れた都会人が、田舎では使い物にならないなんて話は珍しくはない。万が一、都市が怪獣に襲われ住めない状態になったとしたら、都会人が生き残ろうとするならできるだけ同じ都市出身の集団に参加しなければならないだろう。


 生活レベルを下げること、それまでの生活を失うことは精神的な負荷が大きいものだ。分かっていてもすぐに出来ることではない。


「そこに海の怪獣でしょう。流石に現実を見ることになりますよ。

 でも私はシドーさんの言うように体力はないし、港町のためになるような技術も知識もない。こんなにも私は何もできないのかと思ったんですが……」


「そこに俺が語学教師の話を持ってきた」


 シドーは声混じりの長い息を吐くと、ダミアンは小さく笑って見せた。

「私に声をかけて下さったこと、本当に嬉しかったんですよ」


「仕事って自分で探すもんですよ」


 ボソリと言い捨てるシドーだが、いつか見たように所在なげにして居心地が悪そうにしている。だが口を曲げて目を逸らしている様子は、機嫌が悪いというよりは……。褒められたり感謝されたりすることに慣れていないのかもしれない。


 もしくは、先ほどの恫喝どうかつめいた言動を気にしているのか。ダミアンがしてやれるのは話題を少しだけずらしてやることだった。


「私はベルティナが都市と呼ばれるほどに大きく発展すべき、とは言いません。しかし文字の読み書きができるようになれば、その人の選択肢は大きく広がるのです。これは間違いなくベルティナに利益をもたらすことでしょう」


「それがベルティナを守ることになる。……まあ、そうですね。学もそうだが、金も選択肢を広げる手段になり得る。……はあ」


 シドーの視線が卓上を眺めている。何か思案を巡らせているのだということは見てとれた。


 片田舎とはいえ、シドーは若きビジネスパーソンだ。それもヒバルが優秀と評価するほどの。何が彼を感情的にしたのか分からないが、それが霞んでしまうくらいにはダミアンも信頼を寄せている。


 そんな彼の黒い眼差しがダミアンを見据えた。


「そこまで言うなら途中で投げ出さないでくださいよ。仕事のやり方は任せますが、どのように時間を確保して進めるのかと、金の話もしないといけません」


 シドーは面倒くさそうな大きなため息を挟む。こちらに向けるその双眸にはもう、怒りや苛立ちはなかった。


「また連絡します。先方にも連絡を取って、もう少し踏み込んだ話を聞かせる時間を作るように言いますから。段取りは任せてください」


「わかりました。ところで一つだけ聞きたいのですが」

「なんですか」


 シドーはもう立ち上がってはいるが、話は聞いてくれるようだ。目線と顔はまだこちらを向いている。一瞬だけその目線が壁掛け時計を向いた。


「この語学教師の話をどうして私に?」

「言葉や文字に詳しくて暇してる奴は他にいなかったので」


 暇をしているわけではないのだが、とダミアンは言いかけたが言葉を飲み込んだ。


「では、その学習したいという話はどこから来たんですか?」

「質問は一つじゃなかったんですか? いいじゃないですか別にそんなの……」


 シドーはそう言って今度こそ席から離れた。相変わらず無愛想な仕事人である。

 クールダウンのための二人分の水が、まだグラスにわずかに入った状態でそこにある。シドーにしては珍しく片付けをしないで戻って行ってしまった。


 ダミアンは何も言わず、そのグラスを片付けるべく動くことにした。

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