23:トイレの太郎さん 初恋編

 清潔感せいけつかんのあるトイレ、昨年この学校では感染症対策について真剣に取り組んでいて……全室個室のトイレに改装かいそうされたばかりだった。

 男子トイレも女子トイレも、去年の夏休みが終わって登校してみたらピッカピカの新品になっていて。なぜか全校生徒がテンションをあげていたりする。


 掃除はもちろんだけど毎日除菌されていていまだに新品のように綺麗きれい芳香剤ほうこうざいの香りがただよっていた。

 でも、それはあくまでも日中のお話……深夜のトイレの個室は狭くて暗くて……とても一人で籠るにはてきさないと私は実感している。


「なんでぇ……」


 蚊の鳴くような声で、私はトイレの便座に座り泣き言をいう……。

 数分前、座敷童の夜音さんに私はここに置いて行かれた……。


『学校の不思議を調査してるんでしょ? ここ、丁度そこだからよろしく! 幼馴染君は私が何とかするから大丈夫! 大船に乗った気でどどーんと調べちゃってちょうだい』


 と、悪意の塊でしかない言葉を残してふわりと虚空に消えやがったのだ。

 ううう……元々ここはユウキが調べるはずだった場所……男子トイレなんだよね!!

 普段は絶対に足を踏み入れる事はないこの場所の床に足をつけた瞬間……「あ、わたしはいっちゃった……」と何とも言えない複雑な感情がぐるぐると頭を走り回る。


「だいたい午前三時のはずだよねトイレの太郎さんって……」


 ふと気になって、夜音さんのスマホを使って調べてみる私。

 まあ、特にやることもないし……ユウキの悲鳴もなんか遠いし……。

 すると……検索画面の一番上に出てきたまとめサイトには衝撃的な事実が書かれていた。


「なになに……元々はトイレの花子さんに対しての悪役としてのトイレの太郎さんが生まれた……けど噂は普及しなくて今は特に時間や場所などが決まっているわけではない……えええ?」


 さらに衝撃的だったのが、検索するとトイレの花子さんまで出てくる。

 そこには3番目のトイレやら、3時33分など詳細な噂話がまとめられていた。


「ユウキ、もしかしてこれを見て3時33分って言ってたんじゃないかな」


 ありうる。

 だって今こうしてWEBサイトを見てもすぐに関連サイトとして、トイレの不思議と来れば花子さんが一番上に出てくるんだもん。

 となると…………おや?


「もう、トイレの太郎さんって……いつ出てきてもおかしくないんじゃ」


 私は一番思い当たりたくない事実に気づいてしまった。

 

「え、ええと……逃げるとダメ。追いかけると逃げる、だよね」


 足が速いのだろうか? そもそもカメラ……あ、私のスマホのカメラを使えばいいか。

 ううう……胃の辺りが重いよう。ユウキ、さっさと赤い警備員なんてけちょんけちょんに倒して私を見つけに来てくれない?

 夜音さんが大船とか言っても……正直な所、ユウキより信頼度は低いもん!

 昨日今日出会った人だもん!!


「ふええ……」


 明らかに自分でもわかる位に気分が落ち込んでいるんだけど、いつもは自然と盛り上げてくれる幼馴染居ない。スマホで動画配信を見る……よりによって昨日心霊番組を見たせいでおすすめのトップにそれが来るから絶対開きたくない。

無い無い尽くしだよね!?


 ――ひた、ひた……


「ひぃっ!?」


 何かがトイレの前を歩く音が私の潜む3階の男子トイレに聞こえてきた。

 ……こ、これも先生か誰かの見回りだったりしないだろうか? ユウキには悪いけど……その場合は素直に助けてを言おう。

 私の怖がりはユウキが一番よく知ってるもの!! きっと許してくれる!!


 私は祈るような思いで両手を合わせ、神様に祈った。

 

 ――ひた……ひた、ひたひたひたひたひたひたひたひたひたひたひたひたひたひたひたひたひたひたひたひたひたひたひたひたひたひたひたひたひたひたひたひたひたひたひたひたひたひたひたひたひたひたひたひたひたひたひたひたひたひたひたひたひた…………………………………………ひたり。


 そんな私の健気な思いとは反対に、ナニカの足音はトイレの中を早足でぐるぐると周り……気持ち悪さと不気味さがごちゃ混ぜになった生暖かい空気を揺らす。


「…………」


 私は反射的に息を止め、流れるような手つきで二つのスマホを機内モード(電波を受信しない)とサイレントモードにした。

 これはダメ、これダメなパターンです!!

 私が一番嫌いなホラーの王道パターンです!!


 ――ひたり。


 もう限界間近の私の両眼りょうめに涙がまる。

 口の端がカタカタと震えて今にも叫びだしたい!!

 でも……でもぉ!! 足音が私の居るトイレの真ん前で止まっちゃったんだよぉ!!


 何分、我慢していただろうか?

 

 遠くで鳴るセミの声も……校内を走り回っているであろうユウキの声も、それを追いかける赤い警備員の怒号も……耳に入らなくなってきぃぃぃぃん、と代わりに耳鳴りがし始めた。


 ――かちゃ


 とうとう、トイレの金具が何かに当たり……ゆっくりと動き始める。

 それを無駄とは知りつつも、私は右手を伸ばして押さえようと動き始めたが……現実は無常だった。


 ――バァン!!


 勢い良くトイレの扉が開け放たれて足音の正体が露わになる!!


「ぎゃああああああああああああああああああああ!!」


 ここぞとばかりにお腹の底から目一杯叫び声をあげてやった私!!

 さあ驚け! 私の金切り声は至近距離で直撃するとユウキが頭をくらくらさせるほどだぞ!!


「うほぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」


 え? 私は目の前の光景に確信が持てなくて……スマホのライトをつける。

 ぱぁ! とかなり明るいスマホのライトがトイレの太郎さんを照らしだした。


「ま、まぶしいんだな! この少女は何をするんだな!?」


 はあはあと叫んで肺から出て言った空気を取り込み、右手に持ったハンカチで眼鏡の上……額の汗をぬぐい。


 小太りでおへそが出る位にサイズが小さくて、魔女のアニメキャラクターTシャツを着ていた……それに破れかけのGパンとビーチサンダル。おまけに何が入っているのか見当もつかないパンパンのリュックサックを背負っている……中年のおじさんが居た。


 微妙に青髭あおひげで、髪の毛はぼさぼさ。お世辞にも清潔感があるとは言えない。

 こう、なんだろう……ぬちゃっとした印象で私の鼻には酸っぱいような汗のにおいがふんわりと絡みついてくる。


「へ、へへ……へへへへ」


 私、笑ってる訳じゃないよ?

 気持ち悪さと恐怖で……もう、限界。

 そんな私を目の前のおじさんは……ぬろりと右手の指を舐め……衝撃的な一言を発する。


「は、初めて可愛い女の子と出会ったんだな!! ぼ、僕と結婚して一緒に暮らしてください!!」


 そ、それはそうだろうね。ここ、男子トイレだもん。

 そして舐めたばかりの右手を差し出して、私に……ぷ、プロポーズを。

  

「はれ?」


 震えは消えていた。


「な、なんで立ち上がってるんだな? も、もしかして僕のプロポーズをう、受け、受けいれてくれるの……かな? かな???」


 そんな訳はないよ。

 研ぎ澄まされていく感覚、嗅ぎたくない匂いを捨て去り……聞きたくない妙に高いおじさんの声を耳から追い出し……ふつふつとこみ上げる私の感情におじさんはさらに燃料を追加する。


「あ、あれ? な、なんでこぶしを握ってるの……かな?」

「殴るため」

「な、なんで背が高くなっているんだな?」

「立っているから」

「な、なんで……眼が光ってるのかな?」

「怒ってるからじゃない?」


 ……調査なんてもうどーでもいい。

 こういう時、ユウキのお父さんやお母さんならどう言うんだろう?


 ああ、多分こうだ。


「職務を全うする」


 形勢は逆転した。


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