第55話
二人一組の男たちは去っていった。
どうやら、伯爵の親衛隊が森の奥を巡回しているようだ。
そして、ヤイバたちはめいめいに茂みから身を起こす。
服を着て振り返るシャリルは、無理に笑顔を作ってみせた。
カホルが突然猛ダッシュしたのは、そんな時だった。
「うおおおおっ! シャリルん!」
「え、あ、は、はい。あの、実は……って、カホルさん!?」
突然カホルは、シャリルに抱きつき抱きしめた。
シャリルがうろたえ真っ赤になるほど、ぎゅむー! と抱き寄せて肩越しに振り返る。
「ほら、ヤイバっちも! ブランシェちゃんも、チイたんも! ハリアッ!」
「あ、はい」
「ふふ、やっぱりカホルさんて優しいんですね」
なんだかよくわからないけど、ヤイバもカホルごとシャリルを抱きしめてみた。ブランシェがその上にしがみつき、チイもカホルの背中にそっと寄り添う。
全員の体温が行き交う中で、ヤイバはなんとなくカホルの気持ちを察した。
その彼女が、静かにシャリルを胸に抱きながら言葉を選ぶ。
「あーしたち、聴いちゃったけど、気にしてないかんね!」
「あ……いえ、それは時事で。僕は」
「あーしバカだからわかんないけど! ハーフエルフって生きづらそうじゃん……生きるの大変そうだもん。でもね、シャリルん……もう無理しなくていいかんね!」
「それは……あ、あれ? 変ですね、どうして」
シャリルの目から大粒の涙がこぼれた。
それはとめどなく溢れて、ヤイバはより強く身を寄せて抱きしめた。
シャリルの過去、そして今も続く苦しみが暴かれた。
あまりにもアンモラルな現実に、正直言葉がみつからない。
そんな中で、カホルはとっさにハグしてしまったのだ。多分本人も気づいていないし、おそらく考えての行動ではない。彼女はそういう女の子なのである。
シャリルは半ば拘束されたようなぬくもりのなかで、なんとか涙を手で拭う。
「いえ、伯爵は……とても立派な方なんです。僕だけじゃなく、沢山の孤児が助けてもらってて」
「いいえ、シャリルさん。たとえ保護者でも、していいことと悪いことがあります」
チイの言葉が妙に冷たく平坦になる。
おそらく、自分の幼少期を思い出したのだろう。彼女の保護者である両親は、全く自分の娘に興味を抱かない人たちだった。銀行にお金を振り込む以外、一切チイに構わず仕事に奔走していたのである。
チイの実質的な保護者は、昔からヤイバの母ミラだった。
生真面目を通り越してバカ真面目な学級委員長は、ずっとヤイバの姉気取りで……それでいて、やはり都牟刈家に遠慮があって、硬く身を縮めて生きてきたのだった。
「シャリルさん、恩義を感じてはいるでしょうが……伯爵の行いは決して看過できません」
「でも」
「許してはいけませんっ! そういうのは性の搾取といって、立派な犯罪――」
「わーっ! ちょっと待った、チイたんステイ! ステイステイ!」
慌ててカホルが今度はチイに抱きつく。
抱きついておいてあとから密着に気づき、一瞬でカホルは真っ赤になった。
だが、決して手は離さない。
あっけにとられるチイに、カホルはしどろもどろに語った。
「いいとか悪いとかじゃないんだわー、チイたん。えっと、なんつーかほら、ここって異世界じゃん?」
「確かに、まだまだ中世の封建制度が色濃く残ってはいるようですが」
「そゆ難しい話はいいの! ……チイたん、シャリルんにはシャリルんの事情があるんだよ。そ、それに、その……同性同士でも、さ。なんていうか」
「BLは大好きですが、創作物だけに限ります! あと、受けも攻めも美形に限るんです!」
言った。
言ってしまった。
あちゃー、と思いつつ、ヤイバはそっとシャリルから離れて、再度肩を組む。
泣き止んだシャリルも、聞き慣れぬ言葉に気づけば首を捻っていた。
その裾をちょいちょいと、地面に降りたブランシェが引っ張る。
「ヤイバ、びーえるって、なに?」
「んー、ちょっとブランシェにはまだ難しいかな」
「むつかしいこと……チイはでも、むつかしいこと、好きなの?」
「まあ、昔から好きだね。趣味のレベルだけどね」
シャリルにもわからないようで、それがわかるのかブランシェは笑顔で「むつかしいね、シャリル?」と抱きつく。その頭を撫でながら、シャリルもどうにか平常心を取り戻したようだった。
だが、女性陣はなにやら面倒くさいことになってる気がする。
「……チイたん、そゆ趣味あったんだー?」
「あっ、その、これは、えっと……み、見るだけなら。あと、愛があれば問題ありませんっ! あと創作、架空の物語に限っての話です!」
「現実じゃやっぱ、なし?」
「時と場合にもよりますが、伯爵は駄目です! そうですよね、ヤイバ君!」
いや、こっちに話を振られても困る。
あと、ちょっと神妙な顔つきになってるカホルの心中も複雑だろう。
とりあえずヤイバは、今一番大事なことに立ち返ることにした。
「この話はまず、ここまでとしよう。とりあえず、シャリル」
「は、はい」
「今もこれからも、なにもかわらないよ? 僕たちは伯爵からイクスさんを助け出したいけど、伯爵自体にはこだわりはない。ただ」
「……ただ?」
「今度君が泣くようなら、僕は伯爵をブン殴るかもしれない。それは覚えておいて」
それだけ言って「さて、進もう」とヤイバは歩き出す。
また、自分で暴力を肯定してしまった。
でも、はらわたが煮えくり返るような思いは皆も同じだと思う。シャリルには生まれが選べなかったし、育ち方に選択肢は少なかっただろう。乙女と見紛うような美貌をもたらした エルフの血は、人間社会での彼を闇の中にしか生かせなかったのかもしれない。
そこにつけこんできた伯爵は、やはり非道で下衆な男だと思った。
「あー、待ってよヤイバっち! 一人で進んだら危ないしー!」
「ヤイバ、まてまてー、わたしも行くー!」
体当たり気味に飛んでくるブランシェを受け止め、手を繋いで歩き出す。
ちらりと肩越しに振り返れば、シャリルもチイやカホルたちと小走りに追いかけてきた。
冒険再開である。
そして、イクスとの再会を目指す。
二度目の再会が訪れたら、もうそこから引く気はないとヤイバは誓った。
あと、シェエリルと伯爵の秘密については、引きずらないほうがいいとも。まだヤイバたちは、伯爵の一つの側面しか知らないのだ。そしてそれは、シャリルや結社の人たちとは真逆の裏側なのである。
表側しか見ていない人間に、わざわざ裏側を指し示す必要はないのだ。
「でも、腹が立つな」
「どした、ヤイバ? おこってる?」
「ちょっとね。……ブランシェ、君は伯爵に……いや、やめておこう。先に進もう」
「うんっ」
考えたくもないことが脳裏をよぎったし、その断片をすでに見た気がする。
だが、今は黙って森の奥へと進んだ。
すでにもう道はなく、ヤイバはナイフの一つを抜いて進む先を文字通り切り開いていく。
ここはまさに原初の森……翠緑ノ樹海はもう、太陽の光さえ届かない薄闇になっていた。
わずかに漏れ出て落ちる光から光へと、なるべくまっすぐヤイバは進む。
「ヤイバ君、その……先程はすみません。先頭を代わりましょう」
「いいよ、チイ。二重の意味でいいってば」
「疲れません?」
「このナイフは、平凡だけどね。どんな魔力が付与されてるのかと思ったら……ちょっとしたチートアイテムだよ」
「それ、初めて使ってますね」
なになにー? とカホルも顔を二人の間にねじ込んでくる。
背後ではブランシェを先に行かせて、シャリルが背後を警戒してくれていた。
平静さを取り戻した彼は、実に頼れる仲間で安心感がある。
だから、サクザク眼の前の草を切り払いながら、ヤイバはざっくり雑に説明する。
「このナイフは……ラストサバイバーは」
「ちょいまち、ヤイバっち。その名前は」
「うん? ああ、僕が今つけた。ラストサバイバーは、使えば使うほど……って、聞いてる?」
なぜかカホルがにやにやと温かい眼差しをくれる。
隣のチイも、あらあらうふふと同じ笑みだ。
妙なことを言った覚えはないのだが、イクスから借りてるナイフは全部で十本ある。それぞれに名前をつけるのはヤイバなのだが、自分ではそのセンスがちょっとアレなことに気づけないでいるのだった。
「んー、ヤイバっちもかわいいとこあんね! んで?」
「なんだよもう……とにかく、ラストサバイバーを使ってると疲れないんだ」
「ヤイバ君、それってつまり」
「ゲームに例えると、斬るたびにHPが回復する系」
どうやら、見た目は普通の短剣、というか少しナタのようなナイフだ。だが、ニ度三度と振るううちにヤイバは気づいたのだ。
疲れない。
正確に言うと、疲労が驚くほど軽い。
使った労力の何割かがキックバックされるような感触だ。
だから、少し仰々しい大鉈が軽く感じる。
もし、戦いで長期戦になることがあったら、このことを覚えておこう。そう思った、その瞬間だった。
「ん、ヤイバっち! あっぶな!」
突然、背後から蹴り飛ばされた。それでそのまま、眼の前の草ぼうぼうなジャングルに突っ伏し一回転。いててと尻をさすりながら起き上がると……背後で悲鳴が響く。
そして、ヤイバは見た。
胸に矢を生やして、そこから血を流すカホルがそこにはいるのだった。
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