第46話

 朝早く、北への旅が始まった。

 目指すは王都、自然を愛する仲間たちの本部がある町だ。

 ヤイバは初日からシャリルという現地の協力者を得て、幸運に恵まれたものだと内心ほくそえむ。シャリルはすぐ、チイやカホルとも打ち解けてしまった。


「えー、じゃあハーフエルフになると人間と同じ寿命になっちゃうんだー? マジ損した気分くなんない?」

「いえいえ、何百年も生きるのは大変ですから。……ただ、伝説の魔導師イクスロール様がまさか、三千年も生きてらっしゃるとは」

「こちらでは有名なんですね、イクスさんは」


 当然である。

 十年前、ヤイバの両親を召喚し、魔王を倒した偉大な魔導師。あらゆる全ての呪文をマスターした、スペリオールの称号を持つハイエルフ。故にイクスロール、エクストラ・スクロールの名を持つ魔法のスペシャリストである。

 だが、今はいくつかの魔法を隣のブランシェが奪ってしまった。

 そのブランシェだが、ヤイバと手を繋いで健気に旅路を歩いていた。


「ブランシェ、疲れてない? 大丈夫かな」

「ん、へーき。だいじょうぶ」

「ほら、森が見えてきた」

「うん。でも、もうなかまはいないよ? エルフもダークエルフも」

「……そうだね」


 町を出てすぐ、街道は荒れた道になって森に飲み込まれている。

 鬱蒼としげる木々の奥は、まるで闇夜のようにヤイバたちを待ち受ける。

 周囲に旅人の姿もなく、足を踏み入れれば薄暗さが心細かった。

 ひんやりとした空気は少し湿っていて、太陽の光も木漏れ日となって注ぐだけだ。

 それでも、一応道があるのでそれだけはありがたい。

 シャリルは周囲を見渡し、広がる樹海に微笑みを零す。


「このあたりはまだ、開発の手が入っていない地域ですね。木々が活き活きとしています」

「そういうの、わかるものなの? シャリル」

「私の血は半分エルフですから。なんとなく、そう感じるんです。でも」


 頭上を今、轟音を響かせながら巨大な飛翔船が飛び去ってゆく。

 その影は、森の中にいるヤイバたちをあっというまに隠してしまった。

 ほどなくして通り過ぎてゆく、その巨影が残した煙がかすかに臭う。

 世はまさに、産業革命時代。

 ここから人類の歴史は、近代化によって発展してゆくのだろう。そのなかで失われてゆくもの、既に失ったものを数える時はくるのだろうか?

 そういう杞憂ともとれる危機感が、あの男を……キルライン伯爵を動かしているのだろうか。


「シャリル、少し……伯爵の人となりを話してくれないだろうか」

「ええ、ええ、いいですとも! ヤイバさんも自然保護に興味がおありですか?」

「自然の保護自体にはね。それと、僕たちは伯爵に大事な――」


 ちょっと言い淀む。

 ヤイバにとってイクスはどんな存在だろうか。

 祖母、みたいなものなんだろうか。

 なかなかに適当な言葉が見つからない。それに、先程話題になったイクスが実は、伯爵にさらわれ利用されようとしているなんて、シャリルにはちょっと言えなかった。


「まあ、大事な友人がお世話になっててね。迎えにいくところなんだよ」

「そうでしたか。伯爵は大変に立派な方です。領地は小さく辺境の奥ですが、名だたる冒険を繰り広げて財を成し、それを投じて私のような人間たちを救ってくださるのです」

「ふむ。他にも自慈善事業や環境保護運動を?」

「はいっ! 王都みたいな大都会になると、空気も水もかなり汚れていますからね。このまま環境破壊が進めば、この世界はやがて……本当に星の泉も枯れてしまうでしょう」


 ――星の泉。

 それが、この異世界にあるという惑星自体の命みたいなものらしい。

 どこかでその言葉を聞いたような気もして、ヤイバは記憶をひっくり返す。

 だが、今はちょっと思い出せそうもない。

 正直、ヤイバも黒い焦燥感を感じていた。

 今頃イクスはどうしているだろうか。伯爵は本当にシャリルの言うような人物なのか? 彼はイクスを傷つけることもいとわず、自分のために魔法を集めている印象がある。


「ヤイバっち! まずは行動、進むしかないっしょ!」

「そうですね、カホルさんの言う通りです」


 おそらく、気持ちはカホルもイチも同じだろう。

 多分、ブランシェも。

 と、その時咄嗟にシャリルが前に出る。彼は肩越しに振り返って、静かにと唇に人差し指を立てた。

 一瞬で緊張感が満ちて、とりあえずヤイバたちは防具を装備する。


「……今の、魔法ですか?」

「あ、うん。魔法といってもまあ、知り合いがくれた、おまじない? みたいな」

「魔法は初めてみます。この十年ですっかり廃れてしまったものですから」


 シャリルが腰の剣を抜く。

 簡素なレイピアで、装飾の類を廃した実戦的なものである。

 これはもう間違いない、モンスターの類だろう。

 ブランシェにも感じるのか、彼女はヤイバの足にしがみついてきた。


「大丈夫、ブランシェは僕が守るからね」

「まほう、使う?」

「いや、よそう。この時代では扱いも慎重にならないとね」


 うんうんとチイも頷く。

 やがて、ヤイバにもはっきりと敵意が感じられた。

 軽い振動が徐々に近づいてくる。

 獣臭と共に、森の奥から巨大なモンスターが現れた。否、それはただの原生動物だろうか? 少なくともヤイバの世界では、こんな巨獣は存在しない。

 それは、猪だ。

 しかし、その巨体は大型バスほどもある。

 立派な牙が生えていて、見るからに威圧的な目に闘争心を燃やしていた。どうやら期限が悪いらしく、そんな彼の縄張りにヤイバたちは入ってしまったのだろう。


「なるほど、船長たちはこの手のモンスターは捕獲しないわけか。捕竜船だから」

「ちょ、ちょっちヤイバっち! 感心してないで、これどーすんの! 先に進めないよぉ」


 向こうはすでにこちらへ狙いを定めている。

 先程から鼻息も荒く、後ろ足が何度も地面を蹴り続けていた。

 突進してこられたら、圧倒的な質量差でペシャンコかもしれない。

 参ったなと思いつつ、シャリルをちらりと見る。

 彼も弱った様子で、ヤイバの視線に苦笑を返してくる。


「因みにシャリル、これは」

「このあたりでは見ない大物ですね。もっと人里離れた森ならわかるんですが」

「つーか、チイたん。ほら、あれじゃない? ジブリの映画の」

「オッコトヌシ様でしょうか」


 なにを呑気なことをと思ったが、カホルの軽口が今はありがたい。

 突然のピンチなのだが、緊張感がほどよく弛緩した。


「さて、ヤイバ君はシャリルさんと一緒にブランシェちゃんを」

「付き合うよー、チイたん! ここはあーしたちで」

「足止めしつつ逃げて、なるべく早く森を抜けましょう」

「それな!」


 二人の案に乗ることにした。

 戦闘は避けたいが、降りかかる火の粉とやらは払わなければならない。

 ただ、倒して殺すまでは必要ないというのは同意だ。


「シャリル、走るよ。ブランシェは僕が背負う」

「で、でも、お二人だけでは」

「大丈夫。素人でも持ってる武器防具が凄いからね」

「……もしや、マジックアイテムの類ですか?」

「そこはちょっと、あとでね」


 ブランシェを抱えて、ヤイバは走り出した。

 剣をしまって、シャリルが続く。

 猪突猛進というが、猪は真っ直ぐ走るだけの単純な獣ではない。まして、今回は小山のような巨大な猪なのだ。イメージに反して小回りがきくし、俊敏な動物である。

 すぐに大猪は絶叫とともに、ヤイバたちを追って走り出した。

 が、すぐに矢が飛んできてモンスターを掠める。


「倒さない方が難しいんだよね、これが」

「ヤイバ、まほう、使う?」

「ん、いいよ。このまま逃げて……森さえ抜ければ追ってはこない。と、思うし」


 チイとカホルの奮戦もあって、徐々にさっきが後ろに遠のく。

 弓矢で巧みに方向を誘導し、拳と蹴りで動きを封じる。

 シャリルが驚きに息を呑む気配が伝わった。


「凄い、女の子がたった二人で。お二人はあの、ヤイバさんとは」

「同級生。まあ、友達かな?」


 そう、友達だ。

 何故か二人にはそう言えるし、チイとは昔からの幼馴染だ。

 なのに何故、先程は行くストの関係性につまずいたのだろう。

 そのことを考えていたら、シャリルも気になることを言い出す。


「次の町、ロ=ロームまでのこの道は、こんな危険な猛獣は……やはり、住処を追われて?」

「開発が広がった結果、って感じ?」

「え、ええ……どんどん森林は伐採されて、町が広がってますから」

「やっぱそうなるんだよなあ」


 だが、進歩と発展は知的生命体の運命だ。同時に、共存共栄の叡智をも学ばねばならないが。それを唱えているキルライン伯爵は、本当にどう思っているのだろう。

 イクスをさらったことへの怒りはあるが、話は必要だなとヤイバは思った。

 銃声が立て続けに響いたのは、そんな時だった。

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