第34話
地球の再生と、月への移民。
そして、中学生レベルの同級生。
マクロとミクロの間で、ヤイバは見た。
チイもカホルも、勿論イクスも見ただろう。
「イクスさん、あれ」
「わかっておる、少年! くう、足腰が弱るといかんのう、走れぬ自分がもどかしいわい」
イクスを追い越し、ヤイバは手を述べた。
その先で、真っ白な髪の少女が振り返る。
褐色の体に無数のベルトを巻き付けた、それはブランシェだった。
どうしてこんなところに?
その疑問も今は後回しだ。
彼女は周囲をキョロキョロと、なにかを探しているようだった。逆に、いつもの馴染の商店街では、その格好が目立ちすぎる。大人たちがざわざわし始めたところで、ヤイバは彼女の手を取った。
遅れてチイやカホル、そしてイクスもやってくる。
「ちと目立つ格好じゃのう。……しかたない、くれてやるしかないか」
イクスが魔法を使った。
瞬間、周囲の奇異の目が散ってゆく。
恐らく、先ほどと同じ認識阻害の魔法だ。それをブランシェに施すという意味が、どういうことかをイクスは十分に承知している。
イクスの肌から一つの紋様が消え、ブランシェの肌に浮かび上がる。
しかし、これで外からはちゃんと服を着た姿に見えているのだろう。
「……魔法、ありがと」
「なんのなんの。しかし、一人でどうしたのじゃ? 伯爵はおらんのか」
「伯爵は、お買い物。わたしは」
少し考え込む仕草を見せてから、無表情でブランシェは答える。
本当に幼くあどけなくて、歳の頃は十歳前後だろうか?
小さく平坦なその身は痩せてて、見てるだけで折れそうな程である。
だが、そんなブランシェの肩を抱き寄せると、イクスは静かに微笑んだ。
「さ、元の世界に帰ろうぞ? お主を保護できれば、まずは一安心じゃ」
「……ハイエルフ、こわい」
「おうおう、そうじゃな。ワシらエルフが、お主たちの一族を滅ぼしたのじゃから。じゃが、そのエルフももうワシしかおらん」
「みんな、死んだの?」
「そうじゃ。因果応報というやつじゃの」
チイが小さく「ヤイバ君」と耳元でささやくので、警戒心を尖らせる。
どこかでキルライン伯爵が見ているかもしれない。
いわばブランシェは、今回の事件のキーマンだ。彼女を通して、伯爵はイクスから全ての魔法を奪おうとしている。イクス本人さえも欲しているようにさえ思えるのだ。
直ぐ側では、カホルが拳法? のようなポーズで身構える。
「……僕が思うに、どこかで伯爵が監視している可能性がある」
視線は感じない。
気配も拾えない。
だが、狡猾な伯爵のことをヤイバは忘れてはいなかった。
「お互い自分の拠点、本拠地を知らないんだ。なら、どうすれば探れるかというと」
「あっ、それな! あーしでもわかる、この子を拾わせて、連れ帰るあとを追いかける!」
「それにしては妙ですが。オトリ作戦は以前、ヤイバ君もやりましたし」
ヤイバたちはブランシェを保護したい。
伯爵の側はイクスを狙っている。
白と黒とのオセロのような攻防が続いた。一つ間違えば、全ては絶望の黒に染まる……そんなゲームだ。そして、ゲームに例えるにはあまりにも規模が大きく厄介な事件である。
だが、振り向くイクスは周囲を見渡すと、小さく声をひそめた。
「少年、チイもカホルも。世話になったのう。ワシは元の世界に帰る。この子を連れていけば、伯爵が魔法を奪おうとする野望も潰えよう」
「でも、イクスさん」
「できれば伯爵も拘束して捕らえたいのじゃが……それはこちらの人間たちに任せよう。なに、ブランシェがいなければ変なステッキの男、それでしかないからの」
極論、伯爵は典型的な自己陶酔型の環境テロリストだ。
美術館や観光名所に汚物をぶちまけて高説をたれる、そういう人間である。
ブランシェを失えばなにかしら事件を起こすだろうが、すぐに国家権力に捕まるだろう。異世界から見て、こちらの世界もまた異世界。生まれ育った世界に戻れぬまま、残りの人生を伯爵は地球で過ごすのだ。
「いや、いっそブランシェを確保できたんだから」
「あー、ヤイバっち! 悪いこと考えてる顔だよ、それ!」
「いや、僕としてはできれば伯爵にも帰ってほしいんだけど」
「それってさー、ブランシェちゃんを今度はオトリにして、って奴じゃね?」
「まあ、そういう方法もあるね」
「あーし、手伝わないよ? もういいじゃん、あーしたちも普通の高校生に戻れるんだし」
そう言うと、そっとカホルが耳元に唇を近付けてくる。
その空気の振動は、ひめやかに熱く湿っていた。
「ヤイバっちさ、学校来なくなったの……ふふ、あんがと。そゆとこ、好き」
「いや、僕は」
「いいんだ、あーしはあーしだからさ、どういう目で見られてても」
そして、驚きの言葉が囁かれる。
「あーしにも好きな人、いるんだ。だから……ヤイバっちも学校おいでよ。くだらない連中のせいで青春くすぶらせてたら、もったいないじゃん?」
「いや、まあ、それは……好きな人?」
「あーしだって乙女だかんね。でも、ね」
黙ってカホルは首を巡らせる。
そのまなざしの先には、チイの姿があった。
彼女は今、イクスやブランシェと言葉を交わしている。
そして、一人で徘徊するブランシェの意外な言葉に驚いていた。
「……ねこ、探してたの。昨日の、ねこ」
「猫、ですか?」
「なんじゃ、あの公園にいた猫かや?」
イクスの言葉に小さくブランシェは頷く。
なんてことはない、この幼女は昨夜の戦いに巻き込まれた猫を探していたのだった。確かにあの時、彼女はイクスから奪った回復魔法で猫を治療していたのを思い出す。
「イクスさん、猫を探す魔法とかないんですか?」
「なんじゃ少年、お主……魔法はなんでもできると思っておるじゃろ」
「できないんですか?」
「できる。見ておれ」
イクスがそっと手をのべ、指と指とで複雑な印を結ぶ。
ほのかな光が浮かび上がり、静かにゆっくり移動し始めた。
「この光の先に猫はおる。昨夜の猫かはわからぬがな」
「……魔法、本当になんでもありですね」
「なんじゃと、少年。この魔法で魚屋がどれほど助かったことか」
「あっ、ブランシェが」
光を追って、ブランシェが駆け出した。
慌てて追いかけようとして、すぐにヤイバは一歩戻ってかがむ。
「イクスさん、僕の背に」
「お、おおう、すまんのう。チイもカホルも、急いで追いかけるのじゃ」
よいしょ、とイクスを背負う。
驚くほどに軽い。
もはや魔法で体重をごまかしているのではと思うほどに軽かった。
そして、柔らかい。
彼女の豊満な胸が、背で潰れて広がり体温を伝えてくる。
ヤイバは努めて意識しないようにしつつ、走り出した。
「ほれ、急ぐのじゃ!」
「あ、暴れないでくださいってば。……当たってる」
イクスはおばあちゃん、イクスはおばあちゃん……心の中で唱えてみたが、どうにも駄目っぽい。頬が熱いのは紅潮しているかららしく、カホルもチイもフラットな視線で冷たいまなざしを突き刺してくれた。
「ヤイバ君、破廉恥です」
「ヤイバっち、ドスケベじゃん!」
「ち、違うって! これはほら、しょうがないだろ!」
そう、不可抗力だ。
16歳の健全な少年にとって、イクスのスタイリングは劇薬である。
破廉恥だスケベだと言われると、余計に意識してしまって恥ずかしかった。
落ちないように背後で組んだ手も、ボリュームのあるヒップラインに密着している。杖を振り回して急かすイクスは、本当に物理的にはトランジスタグラマーな美少女なのだった。
やがて、光を追うブランシェが商店街の路地に消える。
続いて角を曲がった、その狭いビルの間に暗がりが広がった。
「あっ、ねこ……ねこ、いた」
「そりゃそうじゃ、ワシの魔法じゃもの。ふふ、ブランシェや。猫を探す魔法はどうじゃ?」
「……ちょっと、欲しい。けど」
「一緒に帰るのじゃから、元の世界でゆっくりの。ワシはあと百年と生きれぬが、いくつかの魔法はお主に託そう。危なくないものだけじゃぞ?」
「いいの? どうして」
「最後のエルフ、ハイエルフとしての償いもあるけどの。お主はまだ若く幼い」
猫を抱き上げ、ブランシェが振り向いた。
彼女はやはり無表情だったが、その瞳には小さな光が無数に瞬いているのだった。
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