第24話「無垢なる生贄」

 悲鳴へとヤイバが振り返れば、何人もの警備員が駆け抜けてゆく。

 その先に、ひどく悪趣味な極彩色の紳士が立っていた。

 傘にもなるステッキを手にした、それはキルライン伯爵である。当然、隣には裸同然にベルトばかり無数に巻かれたブランシェも一緒である。

 その姿を見た瞬間、イクスの声が鋭く尖った。


「また現れよったか! そこを動くな、今度こそ――」


 だが、彼女は駆け出そうとしてよろけて膝をつく。

 なんとか杖に頼って転倒だけは避けたが、やはり少女の姿をしていても彼女は老人、高齢者なのだ。ヨロヨロと立ち上がるイクスに肩を貸しつつ、ヤイバは周囲に目配せする。

 チイもカホルも、大きく頷いた。

 次第に周囲もざわめく中、警備員たちは四方から伯爵を取り囲んだ。


「お客様、当イベントでのコスプレはお控えください」

「んー? ああ、吾輩のこのいでたちかね?」

「そちらのお嬢さんも、その……服を着せていただければ」

「ふむ。ああそうだ、ブランクロール、ブランシェよ。白紙の乙女よ、あれを使ってみよ」


 無言で頷き、ブランシェが手をかざすのが見えた。

 瞬間、警備員の一人が悲鳴をあげる。


「え……? あ、あっ? なんで!? お、俺の髪がっ! 髪の毛が!」


 さらさらと春の微風に乗って、男性の頭髪が消えてゆく。

 あっという間に髪が白くなって、最後には抜けてしまったのだ。

 どういうカラクリかは、すぐに側のイクスが教えてくれる。


「なんと酷いことを」

「イクスさん、あれは魔法ですね? どういった術なんですか?」

「うむ、少年。あれは……先日奪われた回復魔法じゃ」

「えっ? いやだって、治癒の魔法なんじゃ……真逆になってますけど」


 一瞬でハゲ頭になってしまった警備員が、ガクリとショックで崩れ落ちる。被った制帽が、つるつるの頭からぽとりと落ちた。

 まだ若いのに、気の毒なことだと思うし、ヤイバも奥歯を噛みしめる。

 髪は長いお友達、なんてキャッチフレーズも昔はあった。

 生命の危険がないにしても、人の尊厳を表す大事な身体機能なのである。


「ワシの治癒魔法はの、教会の神聖魔法とかじゃないんじゃよ。ワシ、その……あまり宗教には興味がなくての」

「はあ、では」

「新陳代謝を加速し、対象者の自然治癒力を活性化させる魔法なんじゃよ。しかし」

「! ん、悪用すれば、そうか」

「……一気に対象者の代謝機能を摩耗させれば、ああいうこともできような」


 恐ろしい話だ。

 現実でも、薬だって用量用法を守らなければ毒にもなる。

 そして、いいも悪いも使い手次第なのは、魔法も科学も同じようだった。

 騒ぎが広がり始める中で、真っ先に飛び出したのはカホルだった。


「あーもぉ、見てらんないし!」

「あっ、ちょ、ちょっと! カホルさん!」

「チイたんも、ヤイバっちも! ここはあーしらの出番っしょ!」


 カホルが走りながら、そっと手の甲に触れる。

 あっという間に衣服が溶け消え、彼女の輪郭が光に包まれた。

 そして、チャイナドレス風の道着姿になって加速する。

 両の手には、ややゴツい感じの手甲が装着されていた。

 やれやれとヤイバも、人目を気にしつつ着替えを選択する。


「待ってください、ヤイバ君」

「ん? いや、早くフォローしてあげないと、カホルが」

「カホルさんに続きますが……変身ポーズと決め台詞がまだ」

「あ、そゆのいいよ」

「大事なことですよ? では、失礼して……マジカル、リリカル!」


 なんだかチイは、まるでアニメの魔法少女みたいなポーズでくるくる回りだした。だが、このお着替え魔法は一瞬なので、長々とした変身バンクシーンはない。

 そうこうしている間に、ヤイバも走りながら着替える。

 人目に触れるのは考えものだったが、誰もが伯爵とブランシェを注視している。

 それが幸いなことに、三人の少年少女を混乱から守ったのだった。

 勿論、母親のミラは腰を抜かしてその場にへたりこんでしまったが。


「おお? 君たちは……おお、イクスロール殿の手駒たちだね」

「うっさい、変態キモオヤジ!」

「ああっと! 危ない、危ない……いきなり吾輩に殴りかかるとは」

「先手必勝だっつーの!」


 カホルの拳が空を切る。

 だが、伯爵は最小限の動きでその連撃を避け続けた。まるで、風に揺れる柳のように、全く無駄のない回避だった。

 その隙にヤイバは、ブランシェへと接近する。

 伯爵はただの環境テロリストだが、彼女は違う。

 彼女自身の意思を一度、確かめる必要性があった。

 周囲はいよいよ騒がしくなって、ざわめく誰もが互いにつぶやきを連鎖させる。


「なんだなんだ? こんなイベントも用意してあったのか?」

「つーか、コスプレ? ヒーローショー?」

「とりあえず拡散、動画とって拡散っしょ!」


 平和な世界環境を憂うイベントが、大惨事になってしまった。

 チイも弓を手に駆けつけたが、この混雑では飛び道具は危険だと思ったのだろう。しれっと眼鏡を上下させながら「皆さん、下がってください。特別イベントを実施中です」などと嘘をつく。

 こういう時、学級委員長を歴任するほどの堅物な生真面目さは説得力を演出していた。

 その隙に、ヤイバは呆然と立ち尽くすブランシェに駆け寄る。

 何本ものナイフを腰にさげていたが、どれも今は必要なかった。


「君! ブランシェって僕たちは呼んでるけど、君は平気? 困ってないかい?」

「わたし? わたし、なにか、困る? 困る……困って、る? 困ってる、ないかも」

「ならいいけど、もうこんなことはやめるんだ。あの男と……伯爵と一緒にいちゃ危ないよ」


 だが、無表情でブランシェは小首を傾げるだけだ。

 すぐにヤイバは、先日の疵痕がないかを見て確かめ、全く痕迹がないことに安堵する。キルライン伯爵という男は、徹底してブランシェを魔法集めの道具に使う気だ。時には、イクスの優しさに漬け込んでブランシェを傷つけることさえ厭わない。

 それなのに、ブランシェの反応はどこか鈍く、まるで要領を得ない。


「わたし、困る、ない……でも、ちょっと困る、ある」

「なんだろう。僕が、僕たちが力になるから、聞かせてくれないかな」

「魔法、なかなか集まらない。まだ、これだけ」


 ブランシェの黒い肌に光が浮かぶ。

 それは、魔法を圧縮して刻んだ紋様だ。

 イクスの全身に散りばめられていたもので、その中から既に二つが奪われていた。

 とんでもなく強力な雷の魔法と、先程使った本来は傷を癒やす魔法だ。

 二つの紋様を両の頬に浮かべて、無表情のままブランシェは言葉を零す。


「魔法、全部集める……わたし、伯爵に褒めてもらえる」

「いけないよ、ブランシェ。あの男はブランシェを道具として利用しているだけなんだ」

「でも、わたし、ダークエルフ……行く場所、ない。パパもママも、みんな、死んだ」


 そう、イクスと違って彼女はダークエルフだ。あちらの世界で二百年前、魔王の軍勢に加担した存在で、その後に迫害を受けて滅びた種族なのだった。

 そして今は、ダークエルフを堕落した存在と称して民族浄化においやったエルフもまた、イクスを残して滅んでしまった。

 ヤイバが言葉に悩んでいると、ようやく隣にイクスがやってくる。

 彼女はブランシェに、そっと手を差し出した。


「過去の過ちを悔いておるが、詫びたとてお主の失ったものはもどらんが……じゃが、もうこんなことはやめるのじゃ。ワシと元の世界に帰ろうぞ。ワシに償わせておくれ」


 あるいは、魔法を完全に異世界から隔離するなら、イクスはずっとこっちにいてくれてもいい。ブランシェが一緒でもヤイバは構わないし、母のミラも二つ返事で同意してくれるだろう。

 まずは、この幼いダークエルフの少女を保護することが大事だ。

 そう思った瞬間だった。


「お嬢さん! 手癖足癖の悪い人だ、あなたは! ハッハッハ、それでは嫁の貰い手などなくなってしまいますぞ!」

「そーゆーのっ、セクハラだから! こんにゃろ、さっきからヌルヌルと」

「それはそれとして……吾輩の素敵なステッキ、まだまだ多機能を見せますぞ!」


 カホルは通信教育でアレコレ習ったと言っていたが、なかなかに格闘技が様になっている。見た目の美しさも手伝って、見物客たちからは「おおー」と歓声が上がる。

 スマートフォンのカメラがあちこちで瞬く中、カホルは懸命に伯爵を追い詰めた。

 だが、その伯爵がヒュン! とステッキを翻す。

 彼はそれを拳銃のように構えて、杖先をヤイバに向けてきた。


「いや、違うっ! 伯爵が狙っているのは!」

「いかんっ! いや、しかし……ええい! 仕方あるまい! 持ってけ泥棒じゃあ!」


 異世界にもそういう、やけくそ気味な時に使う言葉があるんだとヤイバは呑気なことを思っていた。そんな彼ごと、ブランシェを光が包んでゆく。

 銃弾が飛来したが、イクスの防御魔法がそれを弾いた。

 瞬間、また一つブランシェの肌に紋様が浮かんで光る。

 彼女はそれを、あらわな肩の上に見て小さく頷いた。

 そして、バリン! とまるでバリアの用に周囲の空間が弾けて消し飛ぶ。


「イクスさん!」

「……しかたあるまい。くっ、盗られたのう。グヌヌ」


 高笑いする伯爵の合図で、トンとブランシェが地を蹴った。

 楽しいイベントは惨劇に変わり、そして悲劇で幕を閉じようとしている。

 イクスと違って驚異的な身体能力で跳躍すると、ブランシェは伯爵と共に消えた。

 弓に矢を射掛けたチイも、それを放つことなく肩を落とすのだった。

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