逆鱗たち

水野いつき

彼女の場合

 手始めにワインボトルをテレビの液晶に叩き付けた。天に召され一直線の虹が架かったが、人を甘く見た罪が家電一台で許されるわけがない。殺す。這いつくばって逃げる男めがけて姿見を投げた。割れた鏡から破壊の女神が微笑みかける。


 ああ、今宵、全てを終わらせてくれる。


 蹴り倒したテーブルからプロシュートが花びらのように舞い、グラスは薄氷のように砕け散った。喋る玩具を彷彿とさせるスタンドライトは男のこめかみをとらえ無邪気な一撃を繰り出す。飛んだ赤は写真立てに付着し季節の移ろいを感じさせた。花火、若さ、勘違い、ちくしょう。


 細身だが縦にある本棚を引き倒した。芸術家の部屋のようなありさまになり満足しかけたが、装飾に堕とされたサリンジャーが目に入り再燃した。これは昔から邦題が気に入らなかった。望んだなら、お前が私を受け止めろ。


 唐突に目眩がした。仕上げの時間らしい。部屋の隅に転がるワインボトルを拾い上げた。これはここに来る前に私が選んだもの。彼が間に選んだ。


 振りかぶって壁に叩き付けたが、思うような形には割れなかった。口の細い部分だけが手の中に残り、胴は床に落ちてドクドクと血を吐いている。無様なガラスを投げ捨て、オレンジからナイフを抜いた。


「ごめん」

「は?」

「もうしない」

「しね」

「信じてくれ」

「しねよ」

「愛してる」

「…………」




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る