三英雄の魔術師
村沢黒音
第1部「次代の勇者は問題児だ!?」編
第1章 ニート英雄、就職します!
第1話 英雄は今、ニートなので
※ ふんわりBL要素あり(メインストーリーは学園ものファンタジー)
「――先生」
彼にそう呼ばれた時、僕は呆気にとられた。
視線を下げる――ずっと下げる。彼の身長が低いわけでなく、むしろ僕よりも長身なのだが、それは立ち位置の問題だ。
彼は地面に立っている。そして、僕は古代魔術を使って、空中に浮かんでいた。
『あんたって、何でいつも浮いてんだよ?』
前に聞かれたことがある。
さあ。僕もわからない。その方が落ち着くから? 僕にとって魔術を使うことは、呼吸をするように簡単なことだから。飛行術だって、この通り。使うことが馴染みすぎて、むしろ使っていないと落ち着かないのかもね。
彼は無邪気な顔で笑った。
『あんたは空が好きだよな』
何なのさ、そのわかったような顔は。
……ちょっと当たっていることが、むかつくし。
それに、僕だけじゃないと思うよ。空が好きなのはね。この世界に住む、すべての人類がそうだよ。だって、普通は考えないよね――空の上に住もうだなんて!
――かつて、人は大地で暮らしていたという。
その大地を捨て、人類が浮島で暮らすようになって、千年余りの時が過ぎた。
地平線に目を凝らせば、ぽつぽつと島が浮かんでいるのが見える。
夜の帳が降りる頃。太陽がなくったって、世界は暗闇に包まれることはない。空には無数の輝きが点滅している。星屑を間近で眺めているような光景が、空いっぱいに広がっている。
僕みたいに空に浮かんでいると、それがよく見えるんだよね。
この光景は確かに好きだよ。図星を刺されたことを知られたくないから、彼には教えてあげないけどね。
「できたの?」
僕が尋ねると、彼は嬉しそうに笑った。
「できたぞ! 見ててくれよ!」
拳を前に突き出すと、手の中から光が零れた。
次の瞬間、光が剣へと変わる。きらめいて、神々しい形だ。
聖剣。僕らはそう呼ぶことにしている。
剣の柄を握りしめて、彼は僕を得意げに見上げる。
「ほらな! 先生のおかげだぞ」
「いや、なに。その呼び方」
「今はあんたのこと、そう呼ぶことにした」
僕は呆れながら、高度を下げていく。空には
そうやって、彼の前に浮かんだ。目線は同じにはしないよ。ちょっと見下ろしていたいからね。
それなのに、距離が近付くにつれて、彼は嬉しそうに目を輝かせる。そんなに熱い視線で僕を見つめるのはやめてほしいな。
「やっぱり、星光石をとりつけて正解だったな。起動できるようになった」
「気分はどう?」
「この通り! ぜんぜん……」
始めは威勢よく答えていた彼が、顔色を悪くする。その場にへなへなと崩れ落ちた。
聖剣は光となって消滅していく。
あはは、あんなに得意げだったのに。情けない。
「君、また、
「あれ? おかしいな。うまくいくと思ったんだけど……」
「ひどい顔」
「おい、からかうなよ……。これ、本気できついんだぞ……?」
青白い顔で、彼は僕を見つめる。
「なあ、助けてくれよ……先生……」
だから、その呼び方はやめなよ。
呆れながら、僕は彼の頬に手を当てる。持ち上げて、視線を交えた。その距離が更に近付く。
吐息が交わるほどに接近して、
「いいよ――? 【×××】」
僕は彼の名を呼んだ――。
◇
――という、夢を見た。
目覚めて、リーベは激しく落胆していた。
「うーわー……嫌な夢、見た。……最悪ぅ……」
夢で見た光景は、実体験を元にしたものであり、虚構ではない。
数十年前に起こった現実。その追体験だった。
それはリーベの気力を根こそぎ奪っていった。平たく言うのなら、『朝からテンション駄々下がり』である。
彼の顔も、声も、名前も。もう二度と思い出したくなかったのに。夢の中で、鮮明に拝んでしまった。これが最悪の目覚めでなかったとしたら、何というのだろう。
「夢見が悪いと、何も手につかなくなる。何も手につかないんだから、1日寝て過ごすのが有意義な時間の使い方である。うん、それがいい。そうしよう!」
リーベは一転して、晴れ晴れとした気持ちになると、布団をかぶり直した。
嫌な夢を見たのは最悪だけれど、悪いことばかりでないのかもしれない。「今日の自分は何もしなくていい」という理由を得ることができたからだ。
『人が朝からごろ寝するのに理由はいらない』というのはリーベの持論ではあるが、何か理由があった方が気分はすっきりする。体調不良とか、職場が火事にあった、とか。
その点、常日頃からマナが潤沢に体内を巡っているリーベは風邪の1つも引いたことがないし、現在は
自宅に引きこもって、怠惰生活を送ること――通算8850日(約24年と3カ月)。
そのうち『致し方なし』な理由により、家の外に出たのは両手で数えられるほどしかない。ちなみに前回、外に出たのは3年も前のことだった。
では、1日中家に引きこもっているリーベが、何をして過ごしているかと言えば。
「今日はひたすら本を読む日」と設定してみたり、「水道管を分解して徹底的に磨いてみる日」としてみたり。または朝から晩まで寝ていたり(こういう日が一番多い)。
そして、たった今、「今日やること」が決定した。
『今日は嫌な夢を見たので、1日寝て、心の傷を癒そう』の日に決定である!
というわけで、リーベが怠惰な二度寝を決め、何も得ることのない無意味な8851日目を迎えようとしていた、その時。
「リュディヴェーヌ様ー!」
豪胆な声が、リーベの平穏な世界をぶち破った。
城全体を揺るがす大音量だった。
そう、城である。怠惰な無職生活を送っている身には不相応なことに、リーベは城持ちで、浮島持ちであった。
レルクリア共和国の最北端。空を超えたところに存在する、小さな浮島。そこがリーベの所有島だ。そして、
島の周辺は結界が張られているので、感知されないようになっている。
そんな平穏をぶち破ったのは、遠慮のない大音量だ。
「リュディヴェーヌ様ー! いらっしゃいますかー!?」
リーベは布団を頭からひっかぶった。しかし、その程度の防御で防げる声量ではない。
「リュディヴェーヌ様~!?」
別名を呼ばれる度に、リーベは「ひぃ」と喉をひきつらせた。
その呼び名はやめてくれ――!
その名前は、自分が“ 死んだ時に”捨てたのだ。
声の主が近づいてくる。彼がまた、リーベの昔の名を紡ごうとした直前で、
「声が、大きい!」
リーベはベッドから起きた。その勢いのまま、ふわりと浮かび上がる。
飛行魔術で空中に漂いながら、リーベは指を振る。すると、寝癖のついていた銀髪は見えないクシでとかされるように整えられた。寝ぼけ眼の碧眼は輝きをとり戻す。服がひとりでにやって来て、着替えるのもあっという間だ。品のいい洋装姿に変わる。
彼が床に着地する頃には、先ほどまで怠惰を極めていた青年の姿は見る影もなく。どこの社交界に出しても恥ずかしくない、貴公子の姿へと変わっていた。
同時に扉が開く。
「こちらにいましたか」
遠慮なしに室内に踏みこんでくる相手に、リーベは苦い視線を向ける。
「朝から人の名前でコーラスしないでくれる?」
「ええ、寝起きにふさわしい、爽やかな夕日ですね」
男は笑顔で告げ、外に視線をやる。遮るものが何もない天空が、窓いっぱいに広がっていた。日は沈みかけ、一面は橙色に染まっている。その日最後の陽光を反射して、星光石がきらめいていた。
現れたのは豪胆な声に見合わない、細身の男だった。
白髪混じりの黒髪を綺麗に撫でつけている。その出で立ちは知的な紳士然としていた。
歳は中年といったところだろうが、きびきびとした動作のおかげで若く見える。
「どうせ日がな1日、寝て過ごしていたのでしょう」
「現在の自分の状況を顧みた上で、もっとも効率的で有意義な時間の使い方をしているだけですー」
「またそうやって子供じみた言い訳を。あなたともいうほどのお方が、いつまで怠惰な暮らしを続けるつもりですか? 先の戦が終わってから何年経ったと思っているのです?」
「さあ。2年くらいかな?」
「ゼロが1つ足りません」
「ああ、道理で。君も老けるわけだ」
リーベは男――セザールの顔を見た。セザールは愛想笑いで返してくる。
「リュディヴェーヌ様は相変わらずのご様子で」
「その名前は捨てたし、思い出したくないこと思い出しちゃうからやめて。何の用なの?」
「何を言ってるんですか。古代魔術を操る『神秘の魔術師』。帝国の脅威よりレルクリアを救った『英雄』。その類まれなる才能と美貌で、“死後”もあなたのファンが多く存在するのですよ。三英雄の魔術師――リュディヴェーヌ・ルース様」
白々しいことを言うな、とリーベは顔をしかめる。
『三英雄』とリーベのことを持ち上げているが、そう口にしている本人だって、そのうちの1人なのである。
三英雄の革命家――セザール・リブレ。
かつての盟友の顔を、リーベは苦々しい視線で射抜いた。
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