第129話 八木和信
2020年1月 Vandits garage <雪村 裕子>
八木君のご両親もお見えになった事で部屋の中の緊張感が一気に張り詰めた感覚がしました。私は皆さんの飲み物を準備する為に一旦部屋を出ます。すると、莉子ちゃんが準備をしてくれていたので、私はすぐに自分のノートPCを取り出して会議室のモニターに繋がるように設定し、いくつかのデータをノートPCに文書データとして引き出しました。
飲み物の準備が出来た莉子ちゃんと共に部屋に戻り、ノートPCにデータが見える状態にして隣に座る常藤さんにそっと画面を見せます。そのデータを見た常藤さんは私の意図に気付いてくれたらしく私に目で合図をくれました。
私はそっとノートPCを閉じて必要になるまで待機します。
ご両親と常藤さん・和馬さんのお話が始まりました。
・・・・・・・・・・
<冴木 和馬>
会社の会議室なのに雰囲気は完全にアウェイな気分だ。母親は完全に無表情でずっとこちらを見つめている。父親は少し困惑している感じだろうか。お兄さんと香苗さんは申し訳なさそうにしている。
「この度はご迷惑をおかけして申し訳ございません。デポルト・ファミリア代表取締役の常藤正昭でございます。」
「Vandits安芸の監督をしております板垣信也と申します。」
「同じくVandits安芸のキャプテンを務めておりますデポルト・ファミリア社員の中堀貴之と申します。」
「ご挨拶は結構です。息子の契約破棄の手続きを取っていただけますか?」
「母さんッッ!!」
取り付く島もない。挨拶すらしてくれない。父親がその態度を諫め、父親が挨拶をしてくれた。父親の名前は雄二さん、母親は朋子さんと言うそうだ。お兄さんと早苗さんも挨拶をしてくれたが、早苗さんは「初めまして」と挨拶したのでこちらもそれに乗っかる事にした。ちなみにお兄さんは広和さんだ。
朋子さんが主導権を握ると話が進まないと思ったのだろう。雄二さんが話を進めてくれる。それは一週間前の事だったそうだ。まだ新年の休み気分も抜けない頃に突如電話での連絡も無く、そのチームは八木の実家に挨拶に来たそうだ。
話によるとこれから八木自身には挨拶に行くと言った上で、「ぜひご両親にもうちがどれだけ息子さんを必要としているか知っていただいて、説得をしてもらえないか」と言ったそうだ。
これは恐らく八木が今までに他チームからの移籍交渉を全て断っている事が伝わっていたのだろう。だから、いきなり実家を攻めた訳だ。しかし、あまりにも礼儀知らずな行動だ。
「そうでしたか。ご迷惑をおかけしました。」
「いえ、デポルト・ファミリアさんにご迷惑をかけられたとは思っていませんが、何分私も妻も事の事情を知らなかったもので。驚いてしまって。」
「弊社としても和信君とのコミュニケーション不足を痛感しております。誠に申し訳ありません。本日に至るまでのご説明をさせていただいて宜しいでしょうか?」
「お願いします。」
「では....」
そう言って常藤さんは目線を俺に送ってくれた。ここからは俺が説明するべきだ。
「デポルト・ファミリア社員の冴木和馬と申します。八木和信君が弊社立ち上げに賛同してくれた際に代表取締役を務めておりました。」
「冴木..和馬....どこかで....」
「はい。昨年、役員の業務上横領などの不祥事があった(株)ファミリアの代表取締役も務めておりました。恐らく記者会見をご覧になっていただいたのかと。」
「あっ!....そうでしたか。」
「そんな会社にうちの息子を入社させたんですかッッ!?和信、何を考えてるの!!」
「話が進まなくなるから母さんは黙っててくれ。」
激高する朋子さんを静かに諫める雄二さんだが、その視線は有無を言わせないモノがあった。大人しく従う朋子さんを見ても、見た目は温厚そうな雄二さんだが、やはり家のかじ取りはしっかり握ってらっしゃるのだろう。
「お話を中断し、申し訳ありません。どうぞ続けてください。」
そのまま今日に至るまでの話を続ける。親友からの頼みを受けて会社を立ち上げた事、その際に八木を含め上本食品サッカー部に所属していたメンバーとは何度も話し合いの機会を持って確認もしてきた事。
デポルト・ファミリア社員として働いて貰っている中で上本食品時代よりもお給料の面では苦労はさせていない事。そして、大事な事を伝える。
「サッカー部、Vandits安芸と申しますがその中心メンバーとして今期の四国リーグ昇格はもちろん、会社発足当初からは農園部の中でも中心メンバーとしてしっかり働いてくれておりまして。地元の農家の方はもちろん、住民の方々とも積極的にコミュニケーションを取ってくれて、和信君のおかげでうちの活動のご理解をいただけた住民の方はたくさんいらっしゃいます。この状況で言う事では無いかも知れませんが、弊社には間違いなく欠かせない社員であり、プレイヤーです。」
八木は下を向いて肩を震わせていた。広和さんと早苗さんは嬉しそうに八木の背中をさすっている。雄二さんは優しい顔で、朋子さんは厳しい表情ながらも俺の話を真剣に聞いてくれている。
「この度の件に関しましては、弊社からもそのチームへの抗議・問い合わせはさせていただき、今後このような事が起こらないようHP・配信上での注意喚起と今一度全社員との話し合いの時間を持ち、同様の事が起こっていないかを確認徹底致します。」
「和信の事はどうするつもりなんですか....」
朋子さんのトーンが若干なりとダウンした。少し話を聞いていただける状態にはなったようだ。しかし、ここはしっかりと状況をお話しし続けるしかない。
「和信君のお母様がサッカーを続ける事に反対されている理由は何でしょう?」
「そんな将来性も見えない職業に就かせられる訳が無いじゃないですか!高校の時にあんなに落ち込んでサッカーを諦めたのに!どうしてまた!あなた方が和信の将来を保障してくれる訳では無いでしょう!?」
「和信君が弊社での勤務を希望し、今の頑張りを続けていただけるなら弊社としては和信君とこの先も長く一緒に働きたいと思っております。」
常藤さんがしっかりと朋子さんの目を見ながら話してくれる。しかし、そこで朋子さんの表情に突如困惑が見え始めた。そして、こちらに尋ねてくる。
「ちょっと..ちょっと待ってください。和信はこちらの会社の社員として働いてるんですか?サッカー選手では無く。」
俺と常藤さんは顔を見合わせ、常藤さんが説明を続けてくれる。
「もちろん社員業務の中にサッカー部での活動は契約上入っておりますが、立場としては弊社の正社員としての雇用契約です。こちらが弊社と和信君の結んだ雇用契約書兼労働条件通知書になります。八木君、ご両親にお見せしても構いませんか?」
八木が了承すると「こちらをご覧ください」と言って常藤さんがモニターを案内する。間違いなく社員としての雇用契約を結んでおり、契約社員時代の契約書も文書の形でお二人の前に並べる。
労働条件通知書には給与などの諸条件の中に就業規則とその他・備考欄で『弊社のサッカー部での活動は正当な労働行為に含まれており、その活動内での傷病や事故などにおける長期休業や入院を余儀なくされる事態が起こった場合、弊社は契約者に対し労働災害補償はもちろん、職務復帰に向けた支援を契約者との話し合いの元で行う。』と記載している。
その上で『本人の都合や会社の判断によりサッカー活動の継続が不可能であると判断した場合には、両者話し合いの場を持ち正社員としての雇用継続の判断をする事。』等の条件も盛り込まれている。
それを読んだご両親はやはり困惑の表情でこちらに質問を投げかける。
「うちへ来た千葉のチームの関係者は和信はこちらの会社でプロ契約として契約しているはずだから、うちのチームとしてもプロ契約として迎えたい。その条件はまた本人も含めてご家族とも相談したいと。これは....どう言う事なんでしょう?」
自分の中で怒りが込み上げてくるのを必死に抑える。しかし、それは隣に座る常藤さんの冷たい笑顔の中にも感じられるモノだった。まさか、こんな嘘を並べてうちの主力選手を引き抜こうとするとは。さすがに抗議文だけでは気が済まない。
常藤さんは軽く息を吐き、落ち着いた表情でご両親に説明する。
「このようにお二人にもご確認いただいた通り、八木君とは正社員の雇用契約であってプロ選手としての契約は結んでおりません。また、もしそのような契約を結ぶのであれば弊社としては八木君の了承を得た上で事前にご両親にもご挨拶に伺っているはずです。」
「じゃあ、相手方が嘘を言ったと?」
「何が目的かは知りませんが、私共からするとそうなります。非常に腹立たしく思っております。」
俺も言葉を加える。
「それに他クラブの選手とプロ契約の交渉を行う場合には、選手との交渉前に在籍クラブに対して書面で移籍交渉を行う旨を通知しなければならないと言うJFAのプロ契約についての規約が定められています。恐らくですがそのクラブはその規約を知らずに、と言いますか確認もせずご実家に伺ったのでは無いかと。」
「それは....あの....申し訳ありませんでした。私の早とちりで。」
朋子さんが深々と頭を下げる。しかし、これに関しても朋子さんはおろかご両親には何の落ち度もない。そんなルール知るはずが無いし、元はと言えば八木がしっかりとご両親を説得出来ていればこのような状況にはなっていないのだから。
「いえ、謝罪される必要は何もございません。息子の気持ちを思えば当然の行動と言えます。私も二人の息子を持つ親ですので、お気持ちは分かります。それに八木君自身にもご両親にしっかり説明をしなかった責任はありますし、先ほどもご説明しましたが我々もしっかり把握していなかった責任もあります。何より、相手チームの行動が一番の問題なのですから。」
お二人も多少の憤りは感じているようだ。八木は申し訳なさそうに頭を下げている。しかし、ここで話をもう一度ややこしくしなければならない。俺は常藤さんを見て確認を取る。常藤さんも分かってくれたのか目で合図をくれた。常藤さんがお二人に説明を始める。
「今回の事は八木君から改めてご両親に説明と理解をいただけるよう話し合いの場を持っていただいて、ご両親ももし何か分からない事があれば我々もご納得いただけるまで説明させていただきますので、どうか今後も良きお付き合いとなれるよう話し合いの機会をいただけますか?」
「それはもちろんです。宜しくお願いします。」
雄二さんが頭を下げ、朋子さんもそれに倣ってくれた。しかし、ここで確認の作業が始まる。
「しかし、大変申し上げにくいのですが、今後恐らく数年のうちにVandits安芸は八木和信選手とのプロ契約を視野に入れております。それも心に留めておいていただけますと助かります。」
「プロ契約ですか?」
お二人の顔が少し緊張している。広和さんと香苗さんは驚いた表情を見せる。俺が説明を引き継ぐ。
「Vandits安芸がこの先、四国リーグ・JFL、その先のJリーグを目指していく中で、現在の所属選手の中でプロ契約を考える上で真っ先に候補に挙がるのが八木君です。それは恐らく本人も少しずつ自覚は生まれてくれていると信じています。」
ご両親が八木の顔を見る。しっかりとした表情でご両親を見つめ返している。
「オレはこのチームでJリーグに行きたい。ずっと黙ってて本当にごめん。でも、このチームで行けなかったらオレはサッカー諦めるから。だから、最後の我儘だと思ってやらせて欲しい。お願いします。」
立ち上がって深々と礼をする。しばしの時が流れる。雄二さんがこちらに質問をくれる。
「御社の息子に対する評価と受け取って宜しいですか?」
「もちろんです。彼がもしご両親の事を思い、プロ契約を結ばすに選手生活を続けるとなっても、恐らくJ3かJ2に行けた時点で彼が在籍し続けてくれていれば、間違いなくプロ契約を結んでもらわなければいけなくなります。それに、それまでに恐らくいくつものプロチームから移籍交渉は来ると思いますので。」
そう言って一枚の紙を見せる。今までに八木に対して移籍交渉をうちの会社に通知してくれたチームの一覧だ。全18チーム。中にはJFLのチームもある。ご両親は驚きの表情でリストを見ていた。
「これが今のアマチュアサッカー界における和信君への評価です。県リーグ公式戦デビューからわずか二年ですが、これだけのチームが彼を評価しています。しかし、それでも彼は我々と共にJリーグを目指す事を選んでくれました。」
「母さん、これは凄い事なんだよ?」「そうよ。都道府県リーグの出来たばかりのチームのアマチュア選手にこれだけのチームから話は来ないって。」
広和さんと香苗さんが援護射撃をくれる。しかし、朋子さんは俺を見ながら気持ちを伝えてくれる。
「それでも私としては心配なんです。あんなに楽しそうにサッカーをしてた和信が夜も眠れないくらい悩んで、落ち込んでいた日々を見てましたから。もうあんな思いはしなくて済むサッカーをしてもらいたいんです。」
胸が痛い。親としての気持ち。分かり過ぎるくらいに分かる。人生には山あり谷ありだの、苦労は買ってでもしろだのと好き勝手に言う人もいるが、しなくて良い苦労ならさせたくないのが親の気持ちだろう。それが分かるだけに俺も返事を戸惑う。
その時、雪村くんがある提案をした。
「では、いかがでしょう。お話合いの期間も含め、来シーズンの四国リーグや私共のホームグラウンドで行われる練習試合などを観戦していただいては?その中で八木君の姿を見ていただいて、ご判断いただいても良いのではないでしょうか?」
「雄二さん、朋子さん、いかがでしょうか?」
二人はお互いに考えて同時に頭を下げた。
「有難う御座います。一度、倅の試合を見させていただきたいと思います。」
その言葉に張り詰めていた部屋の空気がふっと柔らかくなる。まだ何も決まった訳では無いが、それでも蜘蛛の糸は見えた。
来シーズンの練習試合にご招待する形で話は纏まった。
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