#1 聖騎士ラウル

 ある朝の事である。


 前日から降り注いでいた豪雨はつい先程止み、濡れた大地が朝の光を浴びて煌めく光景には、清々しい美しさがある。


 ポチャン、と微かな音を立てて、水溜まりにささやかな波紋が起きる。

 植木の葉から滴る朝露ではなく、それは飛び散った汗の粒。


「ふっ、ふっ、ふっ――」


 時計の秒針の如く規則正しいリズムで素振りを繰り返す度、若さ溢れる剥き出しの上半身から汗が弾ける。


「ラウル」


 背後から掛けられたその声に、千回以上乱れる事無く続いていた素振りをピタリと止めた。


「父上、お早うございます」


 剣を収め、私――ラウル・ブリル・エーゲリッヒは、声の主に向き直って一礼する。


「敷地内では団長と呼べと言ったはずだぞ、ラウル隊員」

「……失礼しました。ゼルレーク聖騎士団長」


 我が偉大なる父、聖騎士団長ゼルレーク・ブリル・エーゲリッヒ。


 エーゲリッヒ家は聖職者や聖騎士を多く輩出し、その血筋はウルヴァルゼ皇族にも連なる事から、世間では『聖なる一族』などとも呼ばれる名門貴族だ。


 そんな家系に生を受けた私もまた、幼い頃から神に仕える者達から薫陶くんとうを受け、誇りと情熱と使命感を胸に、彼らと同じく神に奉仕する道へ進んだ。

 皇立学術院の聖騎士科を文句無しの成績で卒業、入団試験にも危な気無く合格して、晴れて聖騎士の資格を得たのはまさに今月の事だ。


 ちなみに栄耀教会に於いては、所属者に対して姓ではなく、洗礼時に与えられた名の方を呼ぶのが慣例となっている。


「まあ、今は他に誰も居ないからいいだろう」


 聖騎士団本部の宿舎裏には、あまり人が来ない為、集中して鍛錬に勤しむには都合が良い。


 父ゼルレークが投げ渡したタオルを受け取り、汗を拭う。

 毎朝のランニングや素振り千回といった鍛錬も、父の日課を真似て子供の頃から続けてきた習慣だ。

 私にとってゼルレーク聖騎士団長は目標であり、憧れであり、理想の人物そのものだ。


「どうですか? 一つお手合わせでも。最近は例の『儀式』の準備でお忙しく、鍛錬を欠かす日が多いと聞きましたので」


 父の腰にある剣を眼で示す。


「ふむ……『儀式』が行われるまで、まだ時間があるな」

「ありがとうございます」


 応じたゼルレーク聖騎士団長が剣を抜き、二人で向かい合って構える。


 剣と共に、父と息子は言葉を交える。


「以前よりも動きが良くなったな」

「鈍くなっていると思っていたのですか?」

「羨ましいと思っただけだ。お前も年を取ると分かる」


 自嘲気味に言うゼルレーク聖騎士団長だが、感じる限り剣の冴えに衰えは無い。


「『儀式』の準備は如何ですか? いよいよ今日の正午が実行ですが……」

「依然、問題無い」


 会話の間も、互いの剣はいささかも緩まず乱れない。


「本当に上手くいくのでしょうか? 成功例があるとは言え、三世紀も前の事です」

「不安を感じるのは私も同じだが、しかし教皇猊下は成功を確信しておられる。であれば我らはそれに従い、最善を尽くすのみ」


 一般人よりも高度な魔法の技術と知識を身に付けた我々だが、所詮は軍人、高度な儀式魔法に関しては門外漢でしかない。


「聖騎士団長として、私も『儀式』に立ち会う事になった」


 行われる『儀式』は栄耀教会と皇室が三百年間秘匿にしてきたもので、その存在を耳にした事のある者こそ多いが、進行を知る者は極少数だ。

 故に警備を含めた関係者も、教団と皇室、双方の信頼厚い者のみに限定されて進められてきた。


「そこでどうだ? 団長の護衛として、お前も立ち会うか?」

「宜しいのですか!?」


 思いがけない一言に、歓喜で胸と声が弾んだその瞬間、


「――隙が出来たぞ」


 脇腹に叩き込まれる蹴り。

 吹き飛んだ私の体は水溜りにダイブ、派手に水飛沫を立てる。

 しかしそのままでは終わらず、体を丸めてすぐさま体勢を立て直し、父の追撃が届かない距離まで逃れた。


「肉体は成長しても、精神の方はまだ甘いようだな」

「申し訳ありません……」


 未熟な自分を恥じ、剣を構え直したその時、


「団長閣下、こちらでしたか」


 父の部下がやって来た。


「そろそろお時間です。参りましょう」


 部下に急かされたゼルレーク聖騎士団長が剣を収める。


「悪いが、今日はここまでだ」

「いえ。お忙しい中、ありがとうございました」


 一礼したが、水溜りに映る自分の顔は冴えていない。


「その……先程の話ですが……」


『儀式』に立ち会えると聞かされた途端、隙を見せて一撃を貰うという未熟さを露呈した事で、敢え無く御破算になってしまったのではないかと不安になったが、


「安心しろ。心配せずとも連れて行ってやる」


 そんな私の心中を見透かしたかのように、ゼルレーク聖騎士団長は微笑みながらそう答えた。


「ありがとうございます、父――団長閣下!」


 先程よりも深い礼。


 名門エーゲリッヒの姓を持ち、かつ団長ゼルレークの子息とは言え、私は今月入団したばかりの新米聖騎士だ。

 そんな青二才の身でありながら、栄耀教会の――否、この国の行く末を左右する重要な『儀式』の場に立ち会えるのは、望外の名誉である。


 それは同時に、父が自分の成長と情熱を認め、期待を掛けてくれているという事。

 聖騎士としても息子としても、これほど誇らしい事は無い。


「……! 団長、あちらを御覧下さい」

「おお……」


 太陽の反対側――西の空に、いつの間にか七色のアーチが架かっていた。

 ぼんやりとしたものではなく、鮮明な色彩で実に美しい。


「虹は太陽神サウルがもたらす吉兆。『儀式』の結果に期待できそうですね」

「そうだな。このウルヴァルゼ帝国の――否、西大陸に生きる全ての者の命運が懸かっている」


 左手の指先を額に、右手の指先を心臓の上に当てて、信仰する神への祈りの言葉を唱える。


「あの朝日と虹のように、我らに光輝く未来があらん事を」


 今日という日が暗黒の時代が終焉を迎える、その夜明けであるように。




 西大陸最大の国家、ウルヴァルゼ帝国。


 かつては王国を称し、隣接するラッセウム帝国の圧迫に悩まされる弱小国家でしかなかったが、三百年前に起きた『聖戦』から、この国の躍進は始まった。

 瞬く間にラッセウム帝国を打ち破って帝国に改称、その勢いで周辺諸国をも併呑して、僅か四十年で西大陸の八割を手中に収め、世界でも指折りの超大国へと成長した。


 そんなウルヴァルゼ帝国を支える最も太い柱が、太陽神サウルを信奉する『サウル教』であり、その教団『栄耀教会えいようきょうかい』である。


 皇宮を中心に据えた帝都エルザンパール、その東に広がるサウレス湾に、栄耀教会の総本山『サウレス=サンジョーレ曙光島』は浮かんでいる。


 島中央に位置するサウレリオン大聖堂や礼拝堂は、規模こそエルザンパール皇宮に劣るものの、その壮麗な外観や内部の天井画や壁画、ステンドグラスは歴史的にも美術的にも非常に価値が高く、中でも太陽型の記念塔モニュメント『日輪の眼』は、真夜中でも美しい煌めきを放ち、栄耀教会の権威と繁栄の象徴となっている。


 太陽の沈まぬ国ウルヴァルゼ――その栄光の時代は永遠に続くと、誰もが思っていた。


 誰もが忘れていたのだ。


 そう、五十年前までは。




「お待ちしておりました、団長閣下。どうぞ中へ」

「うむ」


 馬車で橋を渡ってサウレス=サンジョーレ曙光島へ上陸、サウレリオン大聖堂に到着した父と私を、警備隊長を務める聖騎士が出迎える。


 聖騎士団は栄耀教会が保有する軍隊で、サウル教徒の中でも特に能力と信仰心、家柄を認められた者のみが入団を許される。

 帝国騎士団に比べて数や規模は劣るものの、質の面では上回っている。


 現在、サウレス=サンジョーレ曙光島全域に完全武装した聖騎士が配置されており、島と本土とを結ぶ橋の対岸、そして海上を帝国騎士団が警備するという、二重の警備体制が敷かれている。


 当然だ。

 何せ今日ここで行われる事は、国家の未来を大きく左右するものなのだから。


「どうだ? 何か変わった事はあったか?」


 歩きながらゼルレーク聖騎士団長が警備隊長に訊ねる。


「嗅ぎ回っていた不審人物を数名捕らえました。例の『黄昏の牙』の構成員や協力者でしたが、『儀式』の事は一切掴んではおりませんでした。今日の事は事前の報道通り、皇族の方々の祈祷式だと思っていたようです」

「テロリスト共め……。他には?」

「強いて言うなら、今朝の虹を御覧になろうとした教皇猊下が、大聖堂の外に出て来られた事くらいでしょうか。依然、警備に問題はありません」


 地方では、政治や栄耀教会の活動に不満を持つ者達が『黄昏の牙』なるテロ組織――彼らはレジスタンスを自称している――を結成し、殺人や誘拐、強盗、放火など卑劣なテロを行っていると聞いている。

 帝都エルザンパールでは流石にテロの事例は皆無だが、摘発された者以外にも多くのスパイが潜り込んでいるのは間違い無く、依然警戒を絶やす事はできない。


 今日の『儀式』の事を知れば、彼らが何をするか分からない。


 帝国臣民は言うに及ばず、西大陸に生きる全ての者を救う計画であっても、それが理解できない者、理解しようとしない者は必ず現れる。


 それ故に今日ここで行われる事は、表向きにはウルヴァルゼ皇族が国家の安泰を祈る式として報じられており、『儀式』が行われるのも礼拝堂の地下に隠された、それまで団長である父ですら立ち入った事の無かった秘密の儀式場だ。

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