第12話:図書室の怪


「…………」『ブヒィィ! 推しと同じ空気を吸っている! これはまさに間接キスでは!?』


 …………。


 嘆息の一つもしようというものだ。カウンターで図書委員の仕事をしつつ、コーヒーをタダで飲んでいる俺は、あえて牛丼特盛の妄言……というか妄念については何もツッコまなかった。


「…………」『見ています! 彼はわたくしを見ておりますぞ! カスミぃぃ! 俺だー! 結婚してくれー!』


 黙っていれば静かな少女なのだが、牛丼特盛こと土御門先輩は読書の振りをして俺を愛でていた。俺はと言えば意識としてはアレルギーも改善したので特に思うところは無いのだが、とりあえずソッと目を逸らす。相手に集中していなければ六識聴勁も効果を発動しない。


「ずず」


 ホットコーヒーを飲みつつ優雅に本でも読んでいると、視界で一人の男子が緊張感もあらわに入室してきた。牛丼特盛がここにいることは噂を辿れば誰でも理解するだろう。その上で此処に用があるという男子生徒は、まぁ少なからず存在する。


「土御門さん!」『今日も麗しい!』


「……?」『……?』


 頬を紅潮させ、牛丼特盛を呼ぶ声には緊張と恋慕が等倍で混じっている。


「……誰?」『でしょう?』


 相手が何を言いたいのかを察しているのかいないのか。まるで興味を含有していない瞳で牛丼特盛は男子を見る。その負け戦ぶりに俺も十字を切った。


「自分は木葉と申します」『名前を知られていなかった。だが僕はここからだ』


「……はあ」『で?』


 恐ろしいほどのテンションの落差に、俺も少し同情する。


「好きです! 付き合ってください!」『成功率は五十二パーセント! 半分は勝ったようなもの!』


「……ごめんなさい」『……ていうかカスミの前でそんなことしないで欲しいのですが』


「理由を……お聞きしても?」『馬鹿な……』


「……あなたに興味がありません」『そも見分けがつかないんですが』


「それはつまり……」


「はい。そこまで」


 加熱しようとする場の雰囲気に俺が水を差した。議論しようとした男子生徒の肩を叩いてデバガメをすると、ヒョイと図書室の扉を指す。


「騒ぎ立てたいのなら外でやってくれ」


「君は?」『くっ。邪魔を』


「単なる図書委員だ」


 ソレ以上でも以下でもなく。


「告白をする場所じゃねーよ。ここは」


「僕の愛を妨げる気か?」『まだだ。まだ終わらんよ』


「牛丼特盛。騒がしくするならあなたも出てください」


「……もう終わった」『ブヒィィ! カスミに話しかけられちゃった! これってもう婚約では?』


 六識聴勁も善し悪しだな。これは。


「……事情は終わった。……これ以上は話すこともない」『カスミだったらなー。いくらでも貢ぐのに』


「土御門さん。話し合いましょう。僕はあなたに興味がある」『負けを認めない限り、それは負けじゃない!』


「……脚下」『面倒』


 とりあえず。


「ここでは自重してください。図書室はそういう場所ではないので」


「くっ」『ボクは自由じゃないというのか』


 ヒラヒラと手を振る。残念無念に去っていく男子生徒を見送り、そうして仕事に戻る前に。


「……ごめんなさい」


 座っている牛丼特盛が謝罪してきた。俺は男子生徒を見送っていたので、彼女に視線を向けていない。


「……騒がしくしました」


「気にしないで。どう考えても相手が騒ぎ立てた」


「……失望しましたか?」


 聞こえる声から受け取れる感情は怯え。彼女は俺の認識を恐れている。


「別にいいんでないの? 誰かに愛されることは悪いことじゃない」


「……あなたも……そう思うのですか?」


「最近そう思えるようになったような。ていうか俺のこと分かるので?」


「……認知も……しておりませんが」


 今更嘘つかれてもなー。だが確かに牛丼特盛は他人を識別できないのは知っている。その上で何故俺が識別できるのかが不思議なのだが、これも恋の力なのだろうか?


「……図書委員……ですよね?」


「そういう身分のモノですな」


「ちょっと記憶するように努力します」


「大丈夫です。備品とでも思ってもらえれば」


 俺も嘆息した。こうまで相手に興味を持たれることが不思議だ。俺は彼女に何かしただろうか。考えるだけでも不毛なのだが。


 土御門秋穂。そういう財閥令嬢であることは知っている。成績優秀でスポーツ万能。芸術にも秀でる超人。人間の二大能力である「フェノメノン」と「フィロソフィ」の双方を高次元で再現する天才は、果たしてどういう景色を見ているのか。


 牛丼特盛にとって人間とは自分とそれ以外しか存在せず。だから誰にも興味を持たない……はずだった。


「……あなたもわたくしを……想ったり」


「かもしれませんね」


「……え?」


 困惑。そういう色の声だった。


「……想って……いるのですか?」


「財閥令嬢と恋仲になれば金に困らないとは思ってる」


「…………」


「引いたろ?」


 別に幻滅されることに抵抗はない。相手が俺を不快に思うことさえ異論はない。


「……そう……ですか」


 聞こえた声は何かに納得するもので。俺が金目当てで土御門先輩を見ている。そのことに憂慮するような声。


「……では……いくら欲しいですか?」


 …………は?


「……いくら払えば……あなたは満足してくれますか?」


 もちろん俺の思考はストップだ。金が欲しくないわけじゃないが、冗談で言った金銭の授受を本気にとられても困る。シャッティといい、俺の貢いでどうしようというのか。


「……そもそもお前は俺を知らんだろ」


「……まぁ」


 虚偽の声音で、牛丼特盛は肯定する。そのことを虚偽だと認識できる俺の六識聴勁がこの際の問題でもあり。


「でも何円なら他人が動くのかには興味があります。一億ですか? 十億ですか?」


 貰えるんならそりゃ貰いたいが、お前の稼いだ金じゃねーだろ。


 ああ、不安になってきた。牛丼特盛はどう考えてもダメ女の考えだ。もしも悪い男に捕まったら骨の髄までしゃぶられる。


「男は見極めよーな?」


「……他人の区別がつかないので」『ブヒィィ! でもカスミは見分けつくよー!』


 さいですか。

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