ひよわな私の異世界ぐらし

ささみし

ひよわな私と未知の世界

第1話 異世界へ

「あたし、シホ姉が好き」

「えっ!?」


 突然の告白にのけぞる私である。

 

 相手は隣に住んでいる女の子。幼い頃から仲良しで妹のように思っていた。

 すぐに体を壊す私のことをいつも気にかけて、なにかと面倒をみてくれる優しい子だった。

 

「あたし、シホ姉のためならなんでもする! 毎朝起こしてあげるし、ごはんだって作るし。勉強だってがんばる。たくさんお金稼いで大人になったらシホ姉を養ってあげるから! だから、シホ姉のこと教えて。最近、なにか隠し事してない? それって、あたしにも言えないことなの?」

「そっ、それは……」


 言葉に詰まる。そんなことを言われたら、余計言い出しづらいよ。


 私があと半年で死ぬだなんて。

 

 

 ある日、突然の発作に倒れて病院に運ばれた私は、数日間に及ぶ検査の末に医者から深刻な話を聞かされた。

 あと半年、と言っても目安らしい。そこからもっと長く生きた人もいるし、すぐにぽっくりいってしまった人もいるんだとか。どちらにしても、私の人生が近いうちに終りを迎えることは確かなようだ。

 

 はっきり言って、いまだに全然実感がわかない。夢だったんじゃないかと思うこともある。

 本当に、夢ならよかったんだけど。

 

「心配してくれてありがとうございます。でも、大したことじゃないんですよ。最近貧血気味で、また学校の帰りに倒れてしまったんです。心配されるんじゃないかと思って黙っててすみません。えっと、鉄分でしたっけ? もっと鉄分とらなくちゃいけませんよね」

「シホ姉……。わかった! あたし、いまからレバー買ってくるね!」

「あっ」


 だだっと走って行ってしまった。

 そして思い出したように、くるっと振り返る。

 

「シホ姉ー、さっきの、冗談じゃないからねっ! 今夜、返事聞かせてもらうから!」

 

 私はいま、どんな顔をしているんだろう。

 ひとつ確かなのは、今日の晩ごはんにレバーが出てくるということだった。

 

 

 私はその後、近所の神社を訪れた。

 

 神社ってお願い事をしていいんだっけ、と思いながら、お賽銭を投げ込んだ。神様にお願いなんて、たぶん子供のころ以来だ。

 こんな不信心者に手を差し伸べてくれるかはわからないけど、お医者様が匙を投げてしまったからには神様に頼るくらいしかやりようがない。

 近所のよしみで助けてはくれないだろうか。

 

 この神社は住宅地のど真ん中にある。

 周囲には木がこんもりと茂っていて遠目に見るとミニチュアの森という感じ。こういうのを鎮守の森と言うらしい。

 散歩ついでにときどきお参りをすることはあったけど、真剣にお願い事をしたのは今回が初めてだった。

 

 お参りを済ませて帰ろうとしたら、社の裏に見覚えのない鳥居があることに気がついた。

 こんなところに鳥居なんてあったかな、と不思議に思いながら近づいた。鳥居の向こう側には細い道が伸びている。

 

 方向だけみれば家までの近道になりそうだ。いつもの道だと森を出てからぐるっとまわっていく必要がある。

 もし行き止まりだとしても、道の先に何があるのか確かめたい。

 

 私は鳥居をくぐって、ゆるい坂道をおりていった。

 

 

 ――どれくらい歩いただろう。まだ森を抜けていない。

 おかしい。神社の周りの森がこんなに広いわけがない……。

 それに、いつのまにか森の中に霧が出てきている。絶対変だ。

 

 いったん神社まで引き返そう。

 小さい山でも遭難することはあると言うし……いや、山ですらないんだけど。ご近所で遭難なんて、ちょっと笑えない。

 

 まっすぐに引き返して、ゆるい坂道に差し掛かる。ここを上った先が神社だ。

 だけど、さっき見た鳥居が見当たらなかった。木の影に隠れてるわけでもないし、変だなと思っているうちに坂を上り切ってしまった。どこで見落としたんだろう。

 とりあえず、神社まで戻ってこられれば一安心――の、はずだった。


「え…………?」


 木々が開けた頂上に、見慣れた神社はなかった。代わりに見えるのは、苔むした石柱と大きな木。

 

 ……なにこれ?

 

 石造りの床の上に、一抱えもありそうな石柱が並んでいる。柱の上には梁がわたされていて、かつては屋根もついていたのだろうと思えた。

 ぱっと思いついたのは神殿という言葉。教科書やテレビで見たことのある古代の神殿の遺跡、みたいな。

 こんなご近所に……?

 

 いやそんなわけないでしょ。とツッコミをいれて冷静さを取り戻そうとしても、目の前にあるのが現実だ。

 まっすぐな一本道だった。分かれ道なんてなかった。歩いた道を確実に戻ってきたはずなのに……。

 

 得体のしれない違和感に、心臓がどきどきしていた。激しい運動やびっくりするようなことは避けてくださいと医者が言っていたけど、こんな状況で驚くなと言われても困る。

 

 どう考えてもここは私の知らない場所だ。

 神社の敷地よりもぜんぜん広いし、よく見ると周りに生えている木もなんだか変だ。

 

 どうなってるの?

 私は謎の遺跡に踏み入って大きな柱の間を進んでいった。

 柱に囲まれた中央の広間には、御神木のように大きな木が生えている。幹の周りで分厚い石版がめくれ上がっているところを見ると、床の下にある地面まで根が突き抜けているのかもしれない。

 

 不格好な木だった。根本のほうが大きく膨らんで、こぶのようになっている。

 よく見ると、木の幹が大きな石を包み込んでいるのだった。その石は木の裂け目から顔をのぞかせている。水晶のようにきらりと光っていて、大きさは私の背丈ほどもあった。

 不思議な感じだった。周りの床には草もないのに、この石のある中央にだけ大きな木が生えている。

 まるで、この石が木を成長させているみたい……なんて、そんなわけないけど。

 

 さらに近づいてみると、おかしなことに気がついた。

 

「……この石、光ってる……?」


 光を反射しているわけではなく、石そのものがぼんやりと発光していた。イルミネーション……にしてはへんな場所にある。

 きれいだな、と思って手を伸ばした。手のひらが吸い寄せられたみたいに、ひたりと石にくっついた。

 その瞬間、びりっと電気が流れたみたいな衝撃が、頭のてっぺんまで駆け抜けた。

 

「かっ…………」


 心臓が口から飛び出しそうなくらい大きく跳ねた。

 自分の体がいうことを聞かない。指先すら動かせず、口も、舌先も、瞬きひとつできなかった。

 体が倒れていく。額が石にぶつかって赤い血がこぼれた。痛いはずなのになにも感じない。

 視界がだんだん暗くなっていく。

 

――待って、私、死ぬの……?

 

 他人事のように思っていた死が、あっけなく訪れたことに気がついた。

 

――返事、できなくてごめんね

 

 やり残した後悔と、理不尽さが脳裏に押し寄せる。

 情けないことに、私は死を目の前にして初めて「生きたい」と本気で願ったのだった。

 

 薄れていく意識の中、青い光を見たような気がした――

 

 

 

「………………あ……う」


 頬に当たる感触が冷たい。

 力が入らないけど、このまま寝そべっていると体の熱が地面に全部吸い取られてしまいそうだった。

 金縛りにあったみたいに動かない体に、えいと気合を入れて起きあがった。冷え固まった関節が、みしみしと悲鳴をあげる。

 

「あいたたたた……」


 どうやら私は木のうろみたいな穴の中で眠っていたようだ。

 なんでこんなところで、と思いながら外に這い出ると、いつのまにか夜になっていた。月明かりが不思議なほどに明るかった。

 

「確か、石に触ったあと気を失って……」


 死ぬんじゃないかと本気で思ったけど、まだ生きている。

 体の調子は拍子抜けするほどなんともない。寝違えたような痛みがかすかにあるだけで、怪我や異常はどこにもないようだった。

 あれ? 頭、打たなかったっけ……?

 

 変だな、と頭をさすっているうちに、違和感に気がついて振り返った。

 大樹の根本に、不自然にぽっかりと空いた空洞がある。そういえば、あの光る大きな石はどこにいったんだろう?

 幹の周りをぐるっと一周しても、石はどこにもなかった。見落とすような大きさじゃないのに。

 

 私が眠っていた空洞の大きさは、さっき見た石の大きさとぴったりはまるような気がする。

 ここから石が消えてしまったとしか思えなかった。どうなっているんだろう。

 

 そもそも神社はどこに行ってしまったのか。

 …………あれ、神社ってなんだっけ。私はここに何をしに来たんだ。そうだ、家に帰ろうとして……。

 記憶が混乱している。

 ここは一体どこ?

 

「あ、地図アプリを見ればわかるかも」

 

 こんな場所が地図に載っているかどうかわからないけど、GPSとかの位置情報があれば自分の居場所はわかるはずだ。

 そう思って鞄を探ろうとして……鞄――

 ……鞄なんて最初から持ってきていないことを思い出した。

 

「近所だからと思って手ぶらで来たんでした……。こんなことだからいつも叱られるんですよね、あの子にも。えーと………………あれ? あの女の子の名前、なんでしたっけ。隣に住んでいて毎日会っているのに」


 考えても名前がわからなかった。それどころか顔もぼんやりとしてはっきりと思い出せない。

 他にも何か、大事なことを忘れているような気がした。そうだ、返事!

 …………何の?

 

「……とにかく早く帰らないと。もう夜になってしまったみたいですし。今日は月が出ていて明るいみたいですけど――」


 空を見上げて、思考が止まった。夜空の中心に、まるく切り取った青空が浮かんでいた。ありえない光景だった。

 まばたきするのも忘れて“青空”を凝視したまま、どのくらい時間が経っただろう。ようやくわかった。それは青空ではなく、夜空にうかぶ大きな青い星なのだった。


「月って……こんなに大きかったんでしたっけ……」


 というか、色が全然違くない?

 もっと、こう……小さくて、色も。何色だったっけ。あれ?

 思い出せない。もともとこうだったと言われればそうだったような気もする。そうかな。そうかも……? 

 どこか腑に落ちない感覚は頭の片隅に置いておくことにして、私は家に帰ることにした。

 

「まあ帰り道なんてわからないんですけどね」


 誰にともなくつぶやいて、私は神殿らしき建物をあとにした。

 建物の近くには細い道が一本だけ通っていた。人が通る道というよりは獣道みたいだけど、ここを進めばどこかに着くかもしれない。そうすれば、なにか思い出すこともあるだろう。

 

 妙に明るい月明かりのおかげで夜道もよく見える。足元は悪いので、よく見て歩かないと石とか木の根っこに躓いてしまいそうだけど。

 

 ガサリ

 

 藪をかき分けるような物音に顔を上げる。正面に道を塞ぐような大きな黒い影があった。

 その影の中から、キラリと光る2つの目がこちらを向いていた。よく見ると顔があって、その影は真っ黒な色をした大きな動物なのだとわかった。

 私の知っている動物によく似ている。

 

「くま……?」


 私は、森の中でくまさんに出会った。

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